神戸海軍操練所

hidesun(英寸)

2011年06月17日 21:21


1864年6月17日(元治元年5月14日) - 江戸幕府が神戸海軍操練所を開設。


明治維新の中心人物として幕末の志士たちに大きな影響を与えた勝海舟(かつかいしゅう)は、神戸を拠点に壮大な構想を実現させようとしました。

1863年(文久3年)、鎖国政策の崩壊により海防の必要性が高まっていた折、勝海舟は神戸に海軍操練所(かいぐんそうれんしょ)の設立を提案しました。これは海軍兵学校と海軍機関学校を兼ねたものであり、日本に欧米と肩を並べる海軍を建設するための足がかりを作ろうとしたのです。勝が神戸を選んだ理由は、江戸時代の末期に網屋吉兵衛(あみやきちべえ)が築いた「船たで場(ふなたでば)」(船底に付いた貝殻や船虫などを焼くための施設、現在の「ドッグ」に相当する)の設備を利用できると考えたからでした。

翌年の1864年(元治元年)から勝は生徒の募集をはじめますが、幕府に反対する者でも入所を認めたことが問題となり、わずか1年で操練所は閉鎖されてしまいます。操練所の開所期間は非常に短かったものの、その間に坂本龍馬・陸奥宗光(むつむねみつ)など新しい時代を担う人々を育て、日本の海軍の歴史にも大きな足跡を残しました。海軍操練所跡は現在の中央区新港町にあり、錨(いかり)の形をした記念碑が建っています。


【 注目動画 】
堺SIM代表 千利休先生の最近活躍されているCM動画紹介
和の暦