七夕

hidesun(英寸)

2011年07月02日 21:21


旧暦7月を文月(ふみづき、ふづき)と呼び、現在では新暦7月の別名としても用います。文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となってます。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものです。そこで、稲の穂が含む月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるとする説もあります。また、「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」の別名もあります。


七夕(たなばた、しちせき)は、日本・中国・ベトナムなどにおける節供、節日の一つ。旧暦の7月7日の夜のことです。

※ 7月7日晴れ

【 織女星と牽牛星の伝説 】
こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られています。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルです。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めました。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなります。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離しましたが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができました。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができません。星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名があります。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれています。

古典文学として上記のようなストーリーとなった七夕説話ですが、長い歴史の中で中国各地の民話として様々なバリエーションを生じるに至りました。それらは地方劇で上演され、戯曲の題材となりました。その中で有名なものに京劇などで演じられる『天河配』があります。その内容は牛飼いの牛郎(牽牛)が水浴びをしていた天女の一人である織女の衣を盗んで夫婦となるが、やがて織女は天界に帰り、牛郎は織女を追って天界に昇るものの、織女の母である西王母によって天の川の東西に引き裂かれるというものであり、羽衣伝説のようなストーリーすなわち白鳥処女説話となっています。

風習としては、全国的には、短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われています。短冊などを笹に飾る風習は、夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったもので、日本以外では見られません。「たなばたさま」の楽曲にある五色の短冊の五色は、五行説にあてはめた五色で、緑・紅・黄・白・黒をいいます。中国では五色の短冊ではなく、五色の糸をつるします。


【 みるきー舞姫 2011年夏公演告知動画 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
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