平安貴族(1)

hidesun(英寸)

2011年08月23日 21:38


平安時代になると国風文化が花開き、華やかな固有の衣装が確立しました。


【 衣装 】

貴族にとって衣装はとても大きな関心事でした。というのも、地位によって衣装や持つものも決められていました。いかに衣装をセンスよく選び、自分の株をあげるかが大切だったからです。これが出来ない人は「もののあはれ」の分からない無粋な人と周りから失笑を買い、馬鹿にされたのです。それ位重要なことだったのです。そのほかにもどのような香を衣にたきしめるか、扇を持つか、いかに季節に合わせたものをさりげなく着こなすか、これらもとても大切なポイントでした。
正式の衣装では男女ともに長い布を後ろに垂らすなど、とても動きにくい格好でしたが、儀式や宴に堂々と参列するには立ち居の姿を立派に見せることが重視されました。
また、男女ともに顔に化粧をしていましたが、顔に塗る白粉は水銀が使われていることも多く、お歯黒とともに病気の原因になっていました。そのほかには唇には紅を、眉はすべて抜き目と眉の間を大きくあけて眉墨(まゆずみ)で別に書くのが普通でした。
また、衣装と、季節に合わせたお香(全く自分のオリジナルのもの)を調合して、たきしめているのが、当時の常識でした。ちなみに女性は、女の命と言われた黒髪にもたきしめていました。

【 住宅 】

平安の貴族の住まいは、寝殿造りというもので、平安時代に完成した住宅様式です。南向きの寝殿を中心に左右対称に建物が建っています。

「 MilkyHouse_SIM : 平安の寝殿造りと大きな池のSIMです。」

【 教養 】

男性は官僚貴族として身を立てるため、漢詩文の教養が絶対に必要でした。次に有職故実(ゆうそくこじつ)という、宮中行事の決まりに通じていることも大変重要でした。そのほか、習字、音楽、和歌が一般教養として求められていました。

女性は情操面が重んじられ、和歌、習字、音楽に通じていることが求められました。和歌の上達のため、歌集の暗記も大切でした。そのほか、和歌を書くのにふさわしい紙の色や質、墨の濃淡の工夫、センスよく衣服の色目を選ぶこと、すぐれた香を合わせる能力、普段の立ち居振る舞いについての心得も重要でした。
当時の貴族達は(特に女性)相当にひまを持て余しており、そのため様々な遊びが生まれました。

この頃の世の中では、遊びは貴族の生活そのものともいえ、出来て当たり前の、いわば教養の一種だったのです。主流は室内的な娯楽でした。最も盛んに行われていたのは“遊び”と称された音楽で、日常的に演奏、合奏をしていました。こうした"管弦の遊び"では、管楽器(横笛、笙など)、弦楽器(和琴、琴、筝、琵琶)、打楽器(太鼓、鼓など)を組み合わせて演奏しました。また、"物合(ものあわせ)"も盛んで、主に貝合、絵合、歌合、薫合(かおりあわせ)などが有名です。これらは、互いに優劣を競い合う、一種のコンテストのようなものでした。
このほか、囲碁、双六、舟遊び、絵画の制作や書道、物語の深く味わったりする事などもありました。
男性は屋外の娯楽として蹴鞠(けまり)、鷹狩、弓などがありました。

「 おじゃる丸画像 」


【 みるきー舞姫 2011年9月11日(日)公演予告動画 】

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