hidesun(英寸)
2011年10月25日
20:08
神嘗祭
神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)は宮中祭祀のひとつ。五穀豊穣の感謝祭にあたるもので、宮中および神宮(伊勢神宮)で儀式が執り行われる。
宮中祭祀の大祭で、その年の初穂を天照大御神に奉納する儀式が執り行われる。かつては旧暦9月11日に勅使に御酒と神饌を授け、旧暦9月17日に奉納していた。明治5年(1872年)の太陽暦改暦以降は新暦9月17日に実施するようになったが、これでは稲穂の生育が不十分な時期になってしまうため、明治12年(1879年)以降は月遅れで新暦10月17日に行われるようになった。
古来より、神嘗祭には皇室から神宮に幣帛使が派遣されていたが、応仁の乱以降は中断されることも多くなった。江戸時代に入り正保4年(1647年)に幣帛使の発遣が復活して以降、今日まで途切れることなく発遣が行われている。
明治4年以降は皇居の賢所でも神嘗祭の儀式が行われるようになった。神嘗祭の儀式に先立って、天皇は宮中三殿の神嘉殿南庇で神宮を遥拝する。明治6年、祝祭日として神嘗祭の行われる日は国定の休暇日とされた。
昭和23年(1948年)からは、国民の祝日に関する法律の施行により、国定の休暇日ではなくなり、宮中三殿と神宮(伊勢神宮)で儀式を執り行っている。神宮へは、皇室から幣帛と、勅使(掌典)が遣わされ、奉幣の儀が奉仕される。
「神嘗」は「神の饗(あえ)」が変化したものと言われている。「饗え」は食べ物でもてなすという意味の古語である。また、饗は新殻を意味する贄(にえ)の転じたものという説もある。
神宮では、神嘗祭のときに御装束・祭器具を一新する。神宮の正月ともいわれる。20年に一度行なわれる神宮の式年遷宮は、実は大規模な神嘗祭だと言われている。式年遷宮後最初に行われる神嘗祭は、神宮では「大神嘗祭」とも呼ばれる。伊勢の民衆は、この祭りを「おおまつり」と呼び、奉祝の各種行事を行う。神宮の神職や伊勢の神領民はこの祭りが終わるまで新穀を口にしないといわれているが、実際に守られているかどうかは定かではない。
新嘗祭(にいなめさい)
日本では、古くから五穀の収穫を祝う風習があった。 その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられている。
一時中断されたが、元禄時代の東山天皇の在位中に復活した。1873年の太陽暦採用以前は旧暦の11月の2回目の卯の日に行われていた。
1873年から1947年までは祝祭日となっており、その後も勤労感謝の日として国民の祝日になっている。
新嘗祭自体は伊勢神宮及びそれに連なる神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて、大御饌(おおみけ:神が召し上がる食事)を供える形式となった。
現代では稀であるが、新嘗祭まで新米を口にしない風習も残っている。
【 神嘗祭・新嘗祭wikiより 】
堺(Japan Graffiti sakai SIM)大神稲荷神社
場所