hidesun(英寸)
2012年01月09日
14:10
えびすは日本の神で古来から漁業の神である。夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記し、えびっさん、えべっさん、おべっさんなどとも呼称される。えびすはえびす神社にて祀られる。
日本一大きいえびす石像は舞子六神社にあり商売繁盛の神社とされている。
日本古来の神(漁業の神・市神・福神)としての変遷
現在では一般に七福神の一員として日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神であるが、それは中世以降の信仰で、由来をたどると非常に複雑な経緯を持つ。
「えびす」を称する神は複数あって、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。
そのため、えびすを祀る神社でも祀られる神は必ずしも同一ではない。また少数であるが、えびすを少彦名神や彦火火出見尊とすることもある。
留守神という神格も後に与えられた。
外来の神(客神・門客神・蕃神)としての変遷
様々な記紀神話の神に当てられるえびすだが、いずれの神も後世の付会であって、元来の姿ではない。えびすの漢字に戎や夷などが当てられている事は、中央政府が地方のまつろわぬ民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、戎や夷の字を当てたのと同じことで、いずれも異邦の者を意味する。
「えびす」という神名の文献における初見は平安時代後期の『伊呂波字類抄』であるが、そこには「夷 エビス 毘沙門」と記されている。少し時代が下った『諸社禁忌』には「衣毘須 不動」とある。
古い時代、えびすは毘沙門天や不動明王を本地仏とする神格として信仰されていたことがわかる。えびすの神像も古い時代のものほど威厳に満ちたものとなっており、この時代のえびすは「荒々しい神」として信仰されていたものとみられる。端的にいえば記紀神話以外の外来神・蕃神である。
クジラ(海神・漁業の神)としての変遷
本来の神格は異邦より村に時たま訪れる外来物に対する信仰(神)であり、海の向こうからやってくる海神である。日本各地の漁村では近年までイルカやクジラやジンベエザメなど(これらをまとめてクジラの意味である「いさな」と呼ぶ)を「えびす」とも呼んで、現在でも漁業神として祀っている地域も多数ある。
クジラなどの海洋生物をえびすと呼んだ理由としては、それらの生物は餌となる小魚群やプランクトン群を追うところ、人間の漁獲対象であるカツオなどの魚もしばしば同じ餌を追って行動を共にしている点にあるのではないかと推測される。
つまり、クジラなどが出現すると漁獲対象魚も一緒に出現する相関関係があるため、クジラが豊漁をもたらしてくれると理解されていたのではないかと考えられる。
寄り神信仰(漂着神)
主に漂着したクジラを指し、古くは流れ鯨・寄り鯨(座礁鯨)といった。予期せぬクジラの到来により、思わぬ副収入を地域が得たり、飢饉から救われたという話が数多くあり、「鯨 寄れば 七浦潤す」「鯨 寄れば 七浦賑わう」などといわれ、日本各地で似たような話が伝承されているが、特に能登半島や佐渡島や三浦半島で、寄り神信仰として残っている。特殊な例として、海外からの漂着物(生き物の遺骸なども含む)のことを「えびす」と呼ぶ地域もあり、漁のときに漂着物を拾うと大漁になるという信仰もあるという。漁業に使う網の浮きに神が宿り正月などに祀る地域があるが、四国の宇和島周辺や隠岐などでは、その浮きのことを「えびすあば」(あばとは浮きのこと)と呼んでおり、えびすが漁業神であることを示す好例である。
平安時代後期には、えびすを市場の神(市神)として祀ったという記録が有り、鎌倉時代にも鶴岡八幡宮内に市神としてえびすを祀ったという。このため、中世に商業が発展するにつれ商売繁盛の神としての性格も現れる。それは同時に福神としても信仰されるようになり、やがて七福神の1柱として数えられるようになる。福神としてのえびすは、ふくよかで「えびす顔」の言葉どおりの笑顔で描写されている。
民間信仰として一般の民衆に広く知られるのが、「えびす講」における「えびす」である。このえびす講は、えびすを神として祭り、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全を願って行われる。
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