hidesun(英寸)
2012年12月02日
20:07
「師走」とは本来は旧暦の12月の別称ですが、いまでは新暦12月のこととして普通に用いられています。
大神稲荷神社
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【 師走の語源または由来 】
師は学校の先生、先生が走る。
師走とは、年末で日ごろ落ちついている学校の先生も忙しくて走りまわる月だと言うところからきたという説。いまだにそう言う人もいる。
師とは坊さんなり、坊さんが走る。
師走とは「師馳(は)せ月」(しはせづき)なのだそうです。昔は正月も盆と同じように祖先の霊をともらう月でした。お経をあげるため、お坊さん(=法師とか導師と言うでしょう)があちこちの家々を忙しく走りまわったのが語源だと言う。
師とは師団の師で、兵隊さんが走る。
師走とは師団つまり、「年末になると兵隊さんがバタバタ走る」という意味らしい。
何々の終わりという意味
仕事が終わる 。師走とは、12月は1年の終わりの月であり、総仕舞いの意味の「仕極(しは)つ」が語源との説。『し』が仕事の「し」で『はす』の方は「果てる」の意味。仕事仕舞いの月、つまり仕事が終わるという意味。
為す事が終わる
「師走」とはもともと「為果つ月(しはつつき)」であり、1年の終わりの物事をなし終えるという意味があったらしい。
年が終わる 。
師走とは「としはつるつき」や「としはするつき」がなまったという説。
日時が終わる
貝原益軒の説は、日時がはつる月だから、「しはつる月」、それがなまって「しはす月」となったのであろうという説。
季節(四季)が終わる
江戸・元禄元(1688)年の『日本歳時記』(貝原好古編・貝原益軒補)という本には「しわすというは四時の訛音なり。四極月(しはつづき)なるべし」とあります。つまり四時(春夏秋冬)が果てる意味の「しはつ」がなまって「しわす」になったのだそうです。これは四季の終わり、つまり季節が終わるという意味。
当て字説
「十二月(シハス)には 沫雪降ると 知らねかも 梅の花咲く含めらずして」と万葉集巻第九~一六四八にあり、また、「十有二月(シハス)」と日本書紀にあります。 これからして、万葉・記紀時代には数字で書いて「シハス」と読み、「師走」とは表記しておりません。従って、「師走」は後世の当て字であることがわかります。
※万葉集や日本書紀という一応権威のある記録物を元にしているので信用が置ける。したがって、 昔から十二月と書いて「シハス」と読んで(呼んで)いた。当時は「師走」という表現はなかった。後の世に「シハス」という発音に「師走」という字を当てたのであろう。だから「師走」は当て字であるということはほぼ正しい。
では師走の字が当てられたのはいつごろでしょうか? 元禄元(1688)年以降ですが、その部分の手がかりはなく全く分かりません。