大奥-右衛門佐局

hidesun(英寸)

2010年11月30日 22:02


右衛門佐局(えもんのすけのつぼね、うえもんのすけのつぼね、慶安3年(1650年)- 宝永3年2月11日(1706年3月25日)は、江戸時代前期の大奥女中。単に右衛門佐とも。公家・水無瀬氏信の娘。


五代将軍徳川綱吉の時代、霊元天皇の後宮で常盤井の局という名で仕えており、宮中随一の才媛と呼ばれていた。貞享二年には、綱吉とお伝の方の間にできた鶴姫付上臈として紀州家に入る。その後、江戸城本丸大奥へ入った。または、御台所鷹司信子の姉で中宮の鷹司房子の推薦で、信子付上臈御年寄として大奥入りした、とされる。

江戸城大奥に入ってから名前を右衛門佐と改め、将軍付上臈御年寄として、大奥の総取締を行ったと考えられている。その後は大典侍、新典侍といった公家の姫を綱吉の側室として迎え入れた。

1706年、57歳で死去。墓所は東京都新宿区の月桂寺にある。
【右衛門佐局wikiより】

「大奥~華の乱~」では、高岡早紀さんが演じ印象深いです。
大奥