もののけ姫(1)

hidesun(英寸)

2011年11月06日 16:03


映画 『もののけ姫』
猛烈な速度で駆け抜ける画面には、その隅々に至るまで、新しい歴史観、新しい民俗学・考古学的視点、そして生命の倫理が貫かれている。また、物語は緻密かつ重層的に構築されており、画面には直接登場しない組織や人物たちによる文字通りの暗闘が背後にある。「人間の世界」として、一つの異民族と四つの政治勢力が描かれる。そして、四つの勢力と対立する「神々の世界」がある。



人間の世界

●エミシの村
異民族とは、冒頭に描かれたアシタカの村、つまり「蝦夷」のことである。蝦夷は、大和朝廷との戦争に破れ、絶滅寸前の民である。物語ではアシタカ以外の民が、登場した他の勢力と関わることはないが、縄文人の末裔たる蝦夷は、基本的に森との対立関係になく、共生関係を保っていたと考えられる。
青森県の山内丸山遺跡の発見に明かなごとく、縄文時代の東北地方には日本最古の文明があった。縄文人は、「ナラ林文化」と呼ばれる山内の豊富な資源の採集、サケ・マスなどの漁撈、熊・鹿の猟などで食文化を形成し、様々な部族が共同体的小国を成していた。その根幹は、「我らは山に生かされている」という自然崇拝のアニミズム文化であった。蝦夷は、その血を引き継ぐ山の民であったと言われる。
一方、弥生時代に渡来人が南方で興した豪族国家は、武力制圧と共に水田稲作を食資源とする文化を各地に広めて行った。この動向は、大和朝廷成立によって更に加速し、東北地方侵略に至る。蝦夷の一部は従属・奴隷化し、一部は徹底抗戦を選択した。七七四年~八一一年に至る熾烈な三八年戦争の末、蝦夷の長アテルイはついに降伏し、斬殺された。
かくて蝦夷の残党は、山内深く隠れ里にひっそりと暮らすより他はなかった。そこには、古の因習や独特の文化が残っていたと思われる。宮崎氏によれば、アシタカは勇者アテルイの部族の末裔であると言う。

●エボシ御前とタタラ場の人々

人間の政治勢力の第一は、主要な舞台となるタタラ場の製鉄民たちである。エボシ御前率いる通称「エボシタタラ」は、城塞都市のごとき風貌の製鉄・加工プラントであり、俗世と隔絶された小国のごとき自治体といった印象である。これは当時実際にあった製鉄民の特権制度を膨らませた設定である。
タタラ製鉄とは、砂鉄から鋼塊を作り出す独特の製鉄法である。太古の昔から明治初期まで、タタラは日本の製鉄技術の主流であった。タタラで作り出された鉄は、世界的な貴重品と言われるほど高い純度と質を持っていた。
タタラ製鉄は、莫大な労力を要する作業であるため、数十人規模の大所帯による共同体を構成しなければ稼働出来なかった。また、武器・鎧・農具の元となる鉄は最大の必需品であるため、各地の大名や寺院が特権を与えて保護していたのだ。
タタラ製鉄の元は何より山である。まず、徹底的に森を伐って木炭を作る。同時に山を崩して、土を水と共にトヨに流し、水流で砂鉄を洗い出す。この為、下流域の農民は泥まみれの鉄砲水や山崩れの被害に合う。製鉄民は農民の敵であり、平地に住めないならず者の仕事とも言われた。「タタラ者」とは製鉄民の蔑称でもあった。
タタラ場では以下のような作業を行う。
まず「高殿」と呼ばれる特殊な建物の中で、木炭を焚き続けて地下まで地盤を乾燥させ、その上に粘土で炉を築く。ここで火を焚き、砂鉄と木炭を交互に振り入れる。この間、炉の左右に設けられた板踏み式の送風装置(「踏み吹子」と言う)を稼働させ、一五〇〇度前後の高温を保つ。これを三日四晩続けて、ようやく鉄塊(「ケラ」と言う)を取り出すことが出来る。この際、粘土の炉は壊す。
タタラがどれほどすさまじい重労働であるかは、以下の操業凡例に明かである。一回の操業で使用した砂鉄十九トン、木炭十五トン(基礎部乾燥には更に一五〇トン)、得られた鉄五トン。操業数回で山一つ消滅したと言う。
 物語は、タタラが最も盛んであった出雲(島根県)で展開されているが、実際に出雲の地形は製鉄によって著しく変化したと言われている。弥生時代に、日本の原生林が多く消失していることも、渡来人による製鉄の開始が原因と言われている。作中、タタラ場の周囲はすでに禿山となっており、更に伐り進む必要性を物語っている。
ところで、タタラ場には女人禁制の掟があった。タタラの神が女性なので同性を嫌ったとか、血(月経や出産など)を嫌ったとか諸説あるが、詳しくは不明である。エボシ御前は、これを真っ向から否定してタタラ場を女性の職場にしてしまっている。これは宮崎監督らしい創作だが、実際に室町中期までは、たくましい女性職人が活躍していたのだ。宮崎監督は、室町期の絵巻「職人歌合(『職人尽絵』とも言う)」に描かれた数十人の女性職人に注目し、その気風を学んだと言う。
 なお、作中のタタラ炉は実に巨大であり、吹子踏みも四日五晩続けると語られることから、出雲でも最大規模のタタラ場であったと分かる。このため操業人員・資材発掘・運搬人員が大量に描かれているのは当然である。
また、エボシタタラは、「天朝」の保護下にあり、「師匠連」から砲術プロ「石火矢衆」四〇名を借り受け、シシ神退治にあっては「唐傘」の指示も受けていた。ただし、これらの諸勢力とは、完全な友好関係ではなく、一時的な契約共闘関係であり、最終的には破綻する。一方、タタラの経営権を狙う「アサノ公方」率いる地侍たちとは敵対関係にあり、アサノの使者も撃退されている。

●天朝と大和朝廷
第二の勢力は、天朝(天皇)の大和朝廷である。南北朝の戦乱を経た室町時代において、朝廷の権威は衰退していたものの、職人たちの特権(自由通行権・免田給付など)を認めた「供御人制度」は健在であった。額面通りには、天朝の威光を借りることは、他者の侵略を退けることにもなるのだ。
天朝はジコ坊を通じてエボシ御前に密書を届けるが、直接登場はせず、書面の内容も不明である。察するに密書は「シシ神の首を刈ったならば、タタラ場の自治的経営権を認める」という類のものではなかったか。シシ神退治の計画は、単に「不老不死の力を得る」というまじない的意味だけでなく、台頭しつつあった戦国大名たちに朝廷の権威を知らしめるため、あるいは新兵器「石火矢」の威力誇示のためにも必要であったと考えられる。朝廷にとっては死活を賭けた一大計画であったのかも知れない。

●謎の組織・師匠連

第三の勢力は、謎の組織・師匠連である。
ジコ坊はこの一員であるが、僧侶らしい布教活動や修行とは無縁の術策士といった風貌である。配下に「唐傘」と呼ばれる戦闘指揮官、砲術士「石火矢衆」などの特殊部隊を従え、狩人や「ジバシリ」と呼ばれる山の民なども動員出来るネットワークを持つ。朝廷とは主従関係にあるらしく、「シシ神退治」に於けるタタラ場の指揮を任されている。
その実体を単純に推察すれば、「石火矢」を日本に持ち込んだ中国(明)か朝鮮の渡来人と思われる。深読みすれば、古代日本に製鉄技術を持ち込んだ渡来人(「韓鍛冶」)の末裔とも、朝廷に新型兵器の売り込みをアピールする「死の商人」とも、さらには朝廷をも闇で支配しようと画策していた陰謀集団とも考えられる。彼らの当面の目的も、「シシ神退治」の見返りとして、朝廷からエボシタタラの独占経営―兵器工場としての機能確保を任されることにあったのではないか。
なお、「石火矢」とは実在した世界最古の金属製銃器「手把鋼銃(ハンドカノン)」の和名である。中国では十四世紀頃、朝鮮では十五世紀頃から実用化されていた。着火装置は「指火式」と呼ばれ、小枝や棒で直に薬室に点火するスタイルである。何故か種子島の火縄銃伝来以前に日本に輸入された痕跡がなく、幻の銃とされている。作中の旧式石火矢は、中国に残されている最古の青銅製ハンドカノンを真似ている。
日本では戦国時代に新式石火矢が開発され、「国崩」「佛郎機」などの名で呼ばれた。これが、エボシ御前や女たちが使う薬室カートリッジ型銃(「子母式銃」と言う)に当たる。しかし、この新型は火縄の実用性にかなわず、ついに普及はしなかった。
宮崎監督の設定は、ポルトガルからの火縄銃伝来(一五四三年)以前に隣国から石火矢が輸入され、子母式銃まで作られていたという、現実性のある仮説に基づくものである。

●アサノ公方と地侍

第四の勢力は、これも本人が登場しない「アサノ公方」の軍勢である。おそらく下克上の成り上がり大名か、悪党の親玉侍であり、統率の取れない地侍たちを集めて仮の勢力を築いていると思われる。武器の源たるエボシタタラの経営権を狙っており、度々侵攻を試みているが、石火矢の威力の前に撃退されている。その新兵器強奪への渇望もあってか、最後にはエボシ御前と男衆の留守を狙って一斉攻撃を仕掛ける。
しかし、これは「シシ神退治」の情報漏洩抜きには考えられないタイミングの攻撃である。タタラ場の徹底した監視体制を敷いていたか、アサノと大和朝廷、乃至は師匠連が密通していた可能性が考えられる。つまり両者共謀の上、シシ神退治とエボシタタラ強奪を同時進行させる作戦だったのではないか。そう考えると、アサノ軍がシシ神退治に無関心であることもよく分かる。
各勢力が各々の野望に燃えて一時的な共闘・共謀を行うものの、やがて「昨日の味方が今日の敵」という泥沼的抗争へと至る。まさに血で血を購う時代である。 なお、戦国時代の尾張(愛知県)に「浅野氏」は実在している。



  
【 もののけ姫 (高音質) 】
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