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2011年06月20日

清明神社

晴明神社(せいめいじんじゃ)は、京都市上京区にある神社である。安倍晴明を祀る。一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座する。全国各地に同名の神社が存在する。


晴明神社で祀られている安倍晴明公は孝元帝(こうげんてい)の皇子大彦命(おおびこのみこと)の御後胤(ごこういん)で幼い頃から非常に賢明な方で多くの道に秀でていました。特に天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけられていたのです。
成人になられた後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。そして、村上帝に仕えられておられた時には進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれます。帰国して後、これを元に日本独特の陰陽道を確立。 朝廷の政治、日本人のさまざまな生活の規範を決められました。今日、私達の日常生活の基準となる年中行事や、暦術、占法は皆この時に創られたのです。

晴明公は生きておられる間から高徳な方で、天体を移り行く星や雲の動きを観察して、宮殿での異変の予知、遠方での吉凶を言い当てられ、朝廷を始め多くの人々の信望を寄せられたとされています。
そして、一条帝に仕えておられた寛弘2年(西暦1005年)9月 26日に85歳でお亡くなりになります。
こうして、晴明御霊神として祀られた後も、我が国の陰陽道の祖として広く世の中の尊敬を集めます。
「晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受ける事ができ、様々な災いから身を守り、病気や怪我が治る…」そうした評判が多くの人々に語り継がれています。


本殿の北には、晴明井といわれる井戸があり、ここから湧く水は晴明水と呼ばれ、晴明の陰陽道の霊力より、湧き出たといわれ、無病息災のご利益があるといわれています。
伝承によれば千利休が茶会において、この井戸から汲んだ水を沸かし、茶の湯として利用していたといわれ、豊臣秀吉もその茶を服されたと伝えられています。
この井戸は五芒星(晴明紋}を描き、その取水口がその星型の頂点の一つにあり、立春には、晴明神社の神職がその晴明井の上部を回転させ、その年の恵方に取水口を向けるのが、慣わしとなっています。


千利休屋敷跡を記した石碑
数年前に、江戸時代の茶書から、清明神社の境内に当たる「葭屋町通元誓願寺下ル町」に利休屋敷があったことが確認されたため、利休の遺徳をたたえ茶道 武者小路千家家元が石碑を奉納されました。境内の「晴明井」の水は利休が使ったとされています。正面には、千宗守家元筆の「千利休居士聚楽屋敷趾」の文字が刻まれています。




【 陰陽師 映画予告 -Youtube- 】

  


Posted by hidesun(英寸) at 21:49Comments(0)清明神社