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2011年12月14日

絵合

源氏31歳。「澪標」の巻で、六条御息所の遺児「斎宮」を、冷泉帝の後宮に入内させる計画をたてましたが、この巻は、その延長線です。



よきライバルである光源氏と頭の中将(現権中納言)ですが、頭の中将の娘(すでに入内して弘徽殿女御)と、源氏が送り込んだ斎宮とが、帝の寵愛をめぐるあらそいとなり、絵合(えあわせ)という宮中行事で競うこととなります。
そして、それがそのまま源氏と頭の中将との権勢争いに連なっています。



六条御息所の娘、斎宮は、源氏の思わくどおりに彼の養女として、冷泉帝の後宮に入内しました。
冷泉帝には、すでに権中納言(頭の中将)の娘が入内していたため、この斎宮の女御と帝の寵愛を二分することになります。
冷泉帝は、しばらくは先に入内していた弘徽殿女御の方に寵が傾いていましたが、そのうち、絵の上手な斎宮の女御に心が移ってきました。これに対抗して、権中納言は、絵師を集め、贅を尽くして絵を描かせ、弘徽殿女御のもとに贈ります。源氏も、秘蔵のものをとりそろえ、藤壷の御前で、二人の女御が左右にわかれて物語絵合を試むこととなりました。しかし優劣つけがたく、あらためてこの絵合は、帝の前で、公式の宮中行事として行われることとなりました。



当日は、美々しい催しとなり、いずれ劣らぬ名品そろいで、判定がつかず、いよいよ最後の一番になった時、源氏の須磨の日記絵が出品されて、斎宮女御方の勝ちとなります。そのことによって、斎宮女御が、後宮随一の存在となり、源氏の権勢も、権中納言方を圧倒して、強固なものとなります。その時点で源氏は、心中省みるところがあって、懸案の事柄の落着を機に、出家の念が萌し、嵯峨の山里に勤行のための御堂を建てます。

大臣ぞ、なほ常なきものに世を思して、今すこしおとなびおはしますと見たてまつりて、なほ世を背きなんと、深く思ほすべかめる。「昔のためしを見聞くにも、齢足らで官位高くのぼり、世に抜けぬる人の、長くえ保たぬわざなりけり。この御世には、身のほどおぼえ過ぎにたり。中ごろなきになりて沈みたりし愁へにかはりて、今までもながらふるなり。今より後の栄えはなほ命うしろめたし。静かに籠りゐて、後の世のことをつとめ、かつは齢をも述べん」

  


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2011年12月10日

紫式部

 『源氏物語』・『紫式部日記』・『紫式部集』の作者。


生年は973年頃、没年は1031年(長元4年)頃と考えられている。※生没年には諸説あり。最も短命な場合の説では、没年は1014年(長和3年)。本名は未詳だが、角田文衞氏によって「藤原香子(たかこ・かおりこ・こうし)」説が提起されている。
父は、藤原為時。母は、藤原為信の娘。幼い頃から才気を発揮しており、父・為時は紫式部が男子でなかったことを惜しんだらしい。
996年(長徳2年)、父・為時が越前守になり共に越前に下向する。
997年(長徳3年)の秋~998年(長徳4年)春頃、帰京。



999年(長保元年)、藤原宣孝(ふじわらののぶたか)と結婚し、同年または翌年に 賢子(けんし・かたこ=のちの大弐三位)を出産するものの、宣孝の死によって結婚生活は終止符を打たれた。1001年(長保3年)のことだった。夫・宣孝の死後、『源氏物語』の執筆を始めたと考えられる。
1005年(寛弘2年)または1006年(寛弘3年)、藤原道長の娘で一条天皇の中宮・彰子<のちの上東門院>に女房として仕えるようになり、「藤式部」と呼ばれる。 『源氏物語』の完成時期は不明だが、宮仕え中や里邸<堤第(つつみてい)>において書き続けられたと思われる。



 「紫式部」という呼称の由来は諸説あるが一説には、『源氏物語』の登場人物“紫の上”にちなんで呼ばれるようになったという。「式部」は、父・藤原為時が式部省の官僚“式部大丞(しきぶのたいじょう)”だったことによる。伝・紫式部の墓が京都市北区堀川北大路下る西側にある。紫式部の墓の場所については、室町時代に書かれた『源氏物語』の注釈書である「河海抄(かかいしょう)」に記されており、現在の伝承の場所と一致する。   


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2011年12月07日

関屋

かつて源氏と一夜の契りをかわした「空蝉」の後日譚です。逢坂の関で、源氏と偶然に再会し、その後出家して尼となります。
のちに末摘花と同じように二条院に迎えられ、平穏な余生をおくります。



昔、紀伊守の邸で、はかない一夜の逢瀬をもった空蝉は、心ならずも拒みつづけた源氏への思いを胸に、夫伊予の介(その後常陸宮となる)に伴われて、任地常陸国へ下っていましたが、源氏帰京の翌年、任期を終えて都にもどってくることになりました。
その一行が、逢坂の関を越えて都に入ろうとしたとき、たまたま願ほどきのために石山詣でをする源氏の行列と行き会わせたのです。常陸介の一行は、車からおりて木陰に隠れるように、華やかな行列を見送りますが、源氏も空蝉も、それぞれに感慨はつきません。源氏は、昔の小君(空蝉の弟、今は衛門の佐)を介して、この行き会わせは偶然でなく宿世であると、空蝉に消息を送り、また女心を揺さぶります。


その後、夫の常陸介は、空蝉の行末を案じつつ、亡くなり、空蝉は、継子の河内守(昔の紀伊の守)に好色な下心で言い寄られ、頼る人もなくなって、出家して尼になってしまいます。



伊予介といひしは、故院崩れさせたまひてまたの年、常陸になりて下りしかば、かの帚木もいざなはれにけり。須磨の御旅居もはるかに聞きて、人知れず思ひやり聞こえぬにしもあらざりしかど、伝へきこゆべきよすがだになくて、筑波嶺の山を吹き越す風も浮きたる心地して、いささかの伝へだになくて年月重なりにけり。限れることもなかりし御旅居なれど、京に帰り住みたまひて、またの年の秋ぞ常陸は上りける。
  


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2011年12月05日

蓬生

源氏28~29才。この巻は、うまずらで、長く真っ赤な鼻の、想像を絶する醜女として登場した、あの末摘花の後日譚です。
源氏が須磨に退去している間、生活の窮乏に耐えながらじっと彼との再会を待ち続けていた彼女に、再会した源氏が感動し、二条院に引き取って幸せに暮らすという暖かい物語です。




源氏が須磨に退去していたころ、末摘花の生活は悲惨を極めていました。
昔風の気性の彼女は、由緒ある宮家の誇りを持ち続けようと、庭の木や道具類を所望する者があっても、けっして手放そうとせず、邸は蓬(よもぎ)や葎(むぐら)のしげる狐のすみかにもなって、盗人さえもよりつかないような貧しさの中で、細々と暮らしていました。
末摘花の叔母は、かってこの宮家から軽んじられ恨んでいましたが、いまこそその報復をと、あれこれ意地悪をし、彼女のたった一人の相談相手であった女房の侍従までも自分のもとに引き取ってしまいます。
頼りにする使い人もいなくなり、荒れ果てた邸で、ひとしおもの寂しい冬を過ごしていました。
翌春、源氏は花散里を訪ねる道すがら、末摘花の邸のそばを通り掛かり、木立に見覚えのあるのを思い出し、蓬の露をわけて訪れます。
対面した彼女に、源氏は疎遠にした年月を悔いながら、これまでの労をねぎらい、今なお自分を信じて待ってくれていた彼女の心がいとおしく、この人を終生庇護してあげようと誓います。
源氏の心遣いで、邸内も修理され、生気を取り戻し、末摘花もやっと安らかな暮らしに戻ることができました。
のちに、末摘花は二条院に迎えられ、源氏の配慮のもと、幸せに過ごします。



霜月ばかりになれば、雪霰がちにて、外には消ゆる間もあるを、朝日夕日をふせぐ蓬葎の陰に深う積もりて、越の白山思ひやらるる雪の中に、出で入る下人だになくて、つれづれとながめたまふ。はかなきことを聞こえ慰め、泣きみ笑ひみ紛らはしつる人さへなくて、夜も塵がましき御帳の中もかたはらさびしく、もの悲しく思さる。
  


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2011年04月13日

源氏物語とふすま


『源氏物語』の中に「開きたる障子をいま少しおし開けて、こなたの障子は引きたて給いて」とあり、また障子に歌を書き付ける話が何度か出てくる。
『源氏物語』は、引き違いの襖障子をありふれた情景として描いている。この頃になると貴族や上流階級の邸宅には襖がかなり普及していたと判断できる。
『源氏物語』が書かれてから凡そ100年のちの 藤原隆能(ふじわらのたかよし)の描いた『源氏物語絵巻』は、濃い色彩を塗り重ねていく、つくり絵の独特の優美な日本最古の絵巻物語である。人物は下ぶくれの顔に細い横線を引いて目とし、鼻を鉤かぎ状に描く「引目鉤鼻」の手法で描かれ、家屋は屋根や天井を省略した吹抜け屋台となっている。この絵巻物によってで室内の様子がよく判り、衝立、几帳、簾、蔀、屏風など建具の使用状や、襖障子に大和絵が描かれているのが分かる。

「宿木」の巻では、清涼殿朝餉の間には大和絵の襖障子と、銀地に流水飛鳥の図を描いた副障子(可動式の壁として使用した、嵌め込み式の襖障子の一種)が描かれている。「東屋」の巻では、浮舟の住まう三条の小家の縁側には、遣戸が見える。
室内の間仕切りに襖障子が使用されているが、姫君の座している側にはかならず几帳が置かれ、個性を演出する織物が使用されていて、部屋をさらに細分化して使用するための重要な隔ての役割を演出している。華麗な室内意匠は実に王朝絵巻にふさわしい。外回りの隔てには、明かり取りに簾や格子も多く見受けられるが、要所には舞良戸が使用されている。
帝やその他位高き男性の側には、屏風が描かれている。それぞれの建具にそれぞれの役割とインテリアとしての意匠や象徴的意味が込められているようだ。この時代の襖障子は、板戸用の骨太い組子桟に、絹裂地(きれじ)張りであった。開閉の為、引き手として太い総(ふさ)や、戸締まり用の懸金(かけがね)が付けられていた。そして多くは絵師による絵付けが施されていた。当時の一間は3mであり、2枚引違いにすると現在の建具の倍近い巾があった。しかも大工道具が未発達で台鉋もない時代で、骨太い組子しか作れなかった為、今日から考えると実に武骨で大変重い建具であったと思われる。

現存最古の襖は、建久8年(1197年)に建立されたと伝えられる、高野山金剛峯寺不動堂の内陣と外陣の境にたてられている襖である。ただ上張りも下張りも張り替えられており、当時のものは襖の骨組みだけである。ヤリ鉋で仕上げられた組子骨は太く、見付け3cm見込み2cmの桧造りで、縦骨が4本、横骨が7本組まれている。しかも現在の組子と同じ縦横の骨を交互に組付ける地獄組で、大変手のこんだ作り方であるという。

狩野永徳は、時代の変革に柔軟に対応して、時の権力者に巧みに取り入り、これらの障壁画のほとんどを狩野永徳とその一門で描いている。ついでながら、狩野派一門は江戸時代徳川将軍家の画工の長として、勢力を維持し続け、画才の他に鋭い政治感覚も合わせて持ち合わせていた。俵屋宗達や尾形光琳などが、狩野派の絵画技法を継承発展させて、金碧障壁画は日本美術に実に大きな影響を与えた。

※金碧障壁画※
書院造のひとつの特色に、華麗な金碧障壁画がある。金碧障壁画は、金箔地に群青・緑青・白緑そして朱や濃墨などを用いた、濃彩色の障壁画(襖や貼り付け壁、屏風などに描かれた絵)で、狩野永徳によって新しい画法が創造された。書院造の障壁画として、有名な二条城の二の丸殿舍や西本願寺の対面所がある。正面床の間の、貼り付壁や付け書院、違棚の小襖や間仕切りとしての襖、長押の上の壁面などをすべて構成要素として利用した、雄大で華麗なパノラマ金碧障壁画が描かれている。 【襖wiki】


【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land  


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2010年11月07日

澪標


第14帖 澪標(みおつくし) 源氏28歳10月から29歳冬の物語



藤壷の宮との不義の子「冷泉帝」が即位し、内大臣として復権。
明石の君の出産。愛人六条の御息所の死。

須磨でのまる2年と4か月のわびしい生活に終止符がうたれ、源氏や昔の左大臣家の人々に再び明るい春が訪れてきました。
源氏の弟宮(本当は実の子)「冷泉帝」が即位し、源氏も内大臣となります。
その喜びの中で、これまで出会った数々の女君たちのその後が語られます。
出産、死、そしてまた新たな恋・・・・・・。

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夢にあらわれた故桐壷院の姿を見た源氏は、早速追善供養のための法会(法華八講)を催します。これで名実共に政界における主導権を握ったことになります。
朱雀帝は、源氏の帰還に心やすらぎ、病も癒えるものの、長からぬ余命を心細く思い、退位を決断しますが、
それにつけても、今なお源氏へ思いを寄せる朧月夜尚侍をいとおしくもうらめしくも思うのでした。
翌年2月。東宮が元服し、冷泉帝となります。それを機に、朱雀帝は譲位し、源氏は内大臣となり、前左大臣も太政大臣に復帰して、かくて源氏方の人々が政界の主流にすわるようになります。
源氏は、これまでにかかわりを持った女君たちのために、二条院の東院造営を思い立ちます。
三月、明石の君に姫君が誕生しました。源氏は、やがては后となるべき姫のために乳母を選び明石へ送ります。
明石入道は、源氏の配慮をありがたく思い、源氏と別れて物思いに沈んでいた明石の君も、源氏の心配りに慰められていきます。
源氏は、姫の将来のことをほのめかしつつ、はじめて明石の君との一部始終を紫の上に打ち明けます。
さすがに心おだやかでない紫の上ですが、その嫉妬の姿に、源氏はかえって魅力を感じるのでした。
姫の五十日の祝いには、明石に立派な使いを送り、入道は感激し、明石の君の心も相通い合いますが、紫の上の心はやすらかではありません。
藤壷が、我が子冷泉帝の即位により、異例の女院となり、権中納言(もとの頭の中将)の娘が、冷泉帝に入内して弘機殿女御となります。
その秋、源氏は数々の願いがかなえられた願ほどきのために、住吉詣でをしました。
その地で、偶然に参詣に来合わせた明石の君は、源氏一行の栄えばえしい盛儀を目の当たりにして、あまりの身分差に、己が身の悲しみをおぼえ、そのまま逢わずに引き返してしまうのです。
源氏はこのことを供人から聞いて悲しみ、明石の君を都へ迎えようと文を届けますが、明石の君は決心がつかず、また物思いを重ねる日がつづいてしまいます。
六条御息所が伊勢から帰京しますが、間もなく病に臥し、驚いた源氏は見舞いに訪れます。
死の床で御息所は、源氏に娘の斎宮の行末を、後見として世話してほしいと頼みます。源氏はこれまでの御息所との関係の償いのためにも、斎宮のために力を尽くすことを誓います。
朱雀院は、かねてからこの娘にご執心でしたが、源氏は藤壷女院とも相談の上、斎宮を養女にした上で、冷泉帝に入内させることにします。
  


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2010年11月06日

明石

第13帖 明石(あかし) 光源氏27歳3月から28歳8月の物語



政情激変。源氏須磨への退去。はじめて味わう挫折感。

この巻は、神霊力のなせる業が、物語を新たな局面へと導いていきます。
桐壷院の霊力と住吉の神。この2つの神霊が、源氏を明石の地へと導き、明石の姫君と結びつけ、都での凶事をひきおこして朱雀帝を動揺させ、ついには源氏免還へと展開させます。

この神懸かりのドロドロとした物語の中に、彩りを添えるように、「明石の君」という女性が、シンデレラ的要素をもって登場し、源氏と運命的な出会いをして結ばれます。

須磨の海岸で暴風雨が吹き荒れて以来ずっと嵐の日が続き、家も火事になるという不幸のドン底にいる光源氏でしたが、夢の中に桐壷院が現れ、須磨を離れるようお告げを残します。あくる朝、同じくお告げがあったという明石の入道がタイミングよく船で現れ、その船で光源氏は明石に引っ越しました。そのころ、都でも嵐の日が続き、朱雀帝は夢の中で桐壷院にニラみつけられます。それ以来、右大臣は急死、弘徽殿は病気、朱雀帝は目をわずらうといったように次々と不幸が右大臣ファミリーに襲いかかりました。朱雀帝は、これは光源氏をこよなく愛した桐壷院のタタリだと思い、光源氏に京都に戻るようメールを送ります。そのころ光源氏は、明石の入道のモクロミどおり明石の君と契りを交わす仲になっていました。明石の君は身分の差に恐縮しながらも、光源氏の子を宿していました。光源氏は、必ず迎えに来ることを明石の君に約束して京都に戻ります。  


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2010年11月05日

須磨


第12帖 須磨(すま) 光源氏26歳3月から27歳3月の物語



花散里との出会い。 小休止的な短い巻。

自ら招いたあやまちで、源氏はその一生でもっともわびしかった須磨での生活を始めることになりました。
右大臣の陰謀から逃れ、静かにすべてを時の流れにまかせよう・・・と、自分から進んで身を引く決心をしたのです。
しかし、須磨に行くということは、罪人として都を追放されたと受け取られても仕方ありません。
ここでも源氏は「明石の君」という女性をつくり、子供まで産ませています。

源氏26才から27才。事態はますます険悪となり、このまま京にいたのでは政界から完全に放逐されかねないと、自主的に須磨への退去を決意します。
それにつけても気がかりなのは、他にたよる人のない紫の上を、ひとり京に残して行かねばならないこと。
源氏は、左大臣家と花散里、朧月夜らに別れを告げ、わずかな供人をつれ、都を去ります。

磨の住居は、在原行平の伝説で名高いあたりで、腹心の人々の心つかいによる風流な構えで、よく整えられていました。
しかし、語り合う人とてなく、紫の上、藤壷の宮、朧月夜、左大臣家の人々、伊勢の六条御息所、花散里らと消息を交わすことによって、わずかに慰められていました。
京では、朧月夜内侍が参内を許され、朱雀帝の寵を受けていましたが、やはり源氏のことが忘れられません。
秋がきて、須磨のわび住まいはあわれもひとしおで、源氏は琴をひき、絵を描き、和歌を詠み、精進の日々をすごします。
都では、月日がたつにつれ、帝をはじめ人々が源氏を惜しみ懐かしく思い出しますが、弘徽殿大后の意向をはばかって都からの便りも途絶え、須磨の冬がやるせなく過ぎていきます。
一方、源氏の血続きでもある、明石入道が、源氏の噂を聞き、最愛の娘を源氏に奉りたいと願っています。

春になり、今は帝相になっているライバル「頭の中将」がある日はるばる都から源氏をなぐさめにきて、一日をすごします。
三月はじめの巳の日。源氏は、或る人のすすすめもあって、海辺で開運の祓えをさせていました。
海辺はうららかに一面凪いで、源氏は過去のこと将来のことなどを次々に思い出していました。
そのうち、不思議なことに、にわかに空がまっくらとなり、暴風雨となり、雷が鳴り、稲妻がひかり・・・生きた心地もなく、ほうほうの体で戻ります。
風雨は一晩中吹き荒れ、明け方源氏は、怪しい夢におびやかされます。何やら気味わるく、急にこの地を去りたいと思い始めます。

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ますます窮地に追い込まれていく光源氏は、流罪を言い渡される前に自ら京都を離れ、須磨に都落ちすることにしました。そして、これまで散々契りを交わしてきた女性たちに次々と別れを告げていきます。紫の上は光源氏について行こうとしますが、光源氏は紫の上を気遣って同行を認めません。一方、朧月夜は朱雀帝に参内するようになりました。その後、須磨で侘しい生活を送る光源氏でしたが、隣町の明石の入道(あかしのにゅうどう)という仏門に入った元貴族が、自分の娘の明石の君(あかしのきみ)を光源氏に嫁がせようと画策します。最近ついてない光源氏は開運のお祓いをするために海岸に行きますが、そこでは雷まじりの暴風雨が吹き荒れます。こんなところにはもう住みたくないと思う光源氏でした。



  


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2010年11月04日

花散里


第11帖 花散里(はなちるさと) 光源氏25歳夏の物語


花散里との出会い。 小休止的な短い巻。


まわりの人々が離れて行き、政治的にもどんどん窮地に追い込まれ、落ち込んでいた源氏は、ふと、かって一度関係があった、亡き桐壷院の女御の一人(麗景殿女御)の妹(花散里)のことを思い出します。
いつもの性格から、思い立ったらいてもたってもいられず、五月雨の晴れ間に会いにでかけました。
麗景殿女御や花散里と、昔話しに花を咲かせ、桐壷院を懐かしみ、心和むひとときをすごします。


光源氏は、朱雀帝の婚約者である朧月夜とのスキャンダルで政治的にピンチに追い込まれ、世の中がいやになってしまいます。そんな中、以前契りを交わしたことがある花散里(はなちるさと)という女性のことを思い出します。花散里は、故桐壺院の妻の一人であった麗景殿(れいけいでん)の妹で、今は姉妹でひっそりと暮らしています。この二人を訪ねようと梅雨の合間に外出した光源氏でしたが、その途中でこれまた一度だけ契りを交わしたことがある別の女性の家を見つけました。光源氏は、迷わずその女性を誘いに行きましたが、体よく断られてしまいます。さて、麗景殿邸に到着した光源氏は、麗景殿と花散里の二人と昔話に花を咲かせます。夜が更けると、先ほどのつれない女性とは違い、変わらずに光源氏を待っていてくれた花散里と、心和むひとときを部屋で過ごすのでした。



  


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2010年11月03日

賢木


第10帖 賢木(さかき) 光源氏23歳秋-25歳夏の物語




父桐壷帝の死。藤壷の宮の出家。朧月夜との密会発覚。・・・源氏の冬の時代到来。


世の中変りて後・・・。桐壷帝が位を去って、朱雀帝の治世となりました。
位を退いた帝は、前にも増して藤壷中宮とつきっきりの日々を送り、源氏は藤壷と逢うてだてもなく、悶々とした日々を過ごしていました。いつもの人目を忍んでのお出掛けも、元気がありません。
一方、かねてから源氏の冷淡な態度を嘆いていた「六条御息所」は、一人娘が、伊勢神宮に奉仕する斎宮に決まったのを機に、自分も一緒に伊勢に下ろうかと思い悩んでいました。
4月、賀茂神社の葵祭りが行われ、源氏がその行列に加わるというので、懐妊中の葵の上は、女房たちにせがまれて見物にでかけます。
一方、御息所も、源氏の姿をひと目見ておこうと、人目を避けて網代車で出掛けました。
一条大路の雑踏の中で、おくれてやってきた葵の上の一行は、権勢をたのんで、他の車を強引に押しのけさせますが、その中に御息所の車があったのです。
衆人注目のなかでうけたこの辱めに、御息所は悔し涙にかきくれます。これが名高い「葵祭りの車争い」の場面です。
源氏は、後で事の顛末を知り、御息所に同情します。
御息所は、車争いの一件以来、物思いがつのり、一方、懐妊中の葵の上は、物の怪に悩まされて命をあやぶまれるほどになります。 その後源氏は、その物の怪が、御息所の生霊であることを知って、愕然とします。
やがて葵の上は、男児(夕霧)を出産しますが、御息所の物の怪が再びあらわれ、ついには、息を引き取ってしまいます。
やっと葵の上とも心もとけあいはじめていた源氏は、突然の妻の死を悲しむとともに、女の怨念のすさまじさに愕然たる思いとなり、一時は出家をさえ考えるほどでした。それでも亡骸を鳥辺野に送り、49日間のしめやかな喪に服します。

喪が明けて源氏は二条院に戻り、しばらく見ぬ間にすっかり成人した若紫の姿を見て驚きます。あの藤壷のおもかげをそのまま美しくひきついでいたのです。
まもなく源氏は、若紫と新枕をかわします。そしてその日から若紫は、「紫の上」と呼ばれるようになります。

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生霊と化して光源氏と交際する女性達を次々とタタってしまう六条御息所は、娘の斉宮(さいぐう)とともに京都を離れて伊勢で暮らすことにしました。その前にまずは嵯峨野の野宮に滞在して身を清めます。光源氏はそんな六条御息所のもとを訪ねて出発を思いとどまるよう頼みますが、六条御息所の決心はかたく、伊勢に旅立ってしまいました。一方、宮中では桐壷院が亡くなり、朱雀帝の祖父である右大臣の権力が強まります。藤壷は、再三誘いに来る光源氏との仲が噂されて皇太子の出生の秘密がバレないよう出家してしまいます。また左大臣は嫌気をさして辞任します。そんな中で、光源氏は朧月夜と契りを交わし続けていましたが、ある日その密会現場を右大臣に見つかってしまします。朱雀帝の就任とともに皇太后となった弘徽殿は、このスキャンダルによって光源氏を失脚させる計画を錬ります。



  


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2010年11月02日

第9帖 (あおい) 光源氏22歳-23歳春の物語


MilkyHouse-SIM


朱雀帝の即位。愛人六条御息所と正妻葵の上との車争いのトラブル。葵の上の懐妊、出産そして急逝。若紫との結婚。

「葵祭り」での、「葵の上」と「六条御息所」の車争い
葵の上の、男児「夕霧」の出産と、急逝
源氏、若紫と新枕をかわし、「紫の上」の誕生


MilkyHouse-SIM

少し時が過ぎ、桐壺帝がミカドを引退して桐壷院(きりつぼいん)となり、光源氏の兄である皇太子が新たなミカドの朱雀帝(すざくてい)に、藤壺が産んだ子が皇太子になりました。さて、光源氏の子を妊娠した葵の上は、葵祭見物に出かけましたが、混んでて見物できる場所がありません。そこで沿道の車を強引に押しのけたのですが、その車にはお忍びで来ていた六条御息所が乗っていました。もちろん怒り心頭です。八月になると、夕顔を呪い殺したあのモノノケ女が出産間近の葵の上を襲います。このモノノケ女は光源氏の姿を見ると退散しましたが、その正体は六条御息所の生霊でした。葵の上は、夕霧(ゆうぎり)と後に名付けられる男の子をなんとか産みますが、力尽きて死んでしまいます。光源氏は、最近仲が良かった葵の上の死を悲しみ、左大臣の屋敷でヘコんでいましたが、やがて紫の上のことが気になり始めて自宅に戻りました。そして紫の上を正式に妻にして契りを交わすのでした。



  


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2010年11月01日

花宴

第8帖 花宴(はなのえん) 光源氏20歳春の物語

MilkyHouse-SIM



朱雀帝の妃に決まっていた「朧月夜」との密会。これがのちの源氏失脚の発端に。

源氏物語に登場する女性の中でも、人気の高い「朧月夜の君」が登場します。
二つの「花の宴」での源氏との出会いと再会。新しい時代の到来の予感、藤壷への思い、苛立ちが、この禁断の恋に火をつけ、これがのちの源氏失脚の発端になろうとは・・・。



桜の季節の宮廷のパーティーでも光源氏は詩を詠んでは舞を見せて、女性達をうっとりさせます。その夜、ほろ酔いの光源氏は恋する藤壷を求めて宮中をうろつきますが、セキュリティが強固なため、どうしても会うことができません。そんな中、偶然戸が開いていた弘徽殿に侵入すると、一人の女性が美しい鼻歌を歌いながら暗闇の中を歩いていました。この女性は、右大臣の娘で弘徽殿の妹の朧月夜(おぼろづきよ)という女性で、光源氏の兄である皇太子の婚約者です。光源氏は相手が誰とも知らずにその女性と無理やり契りを交わしてしまいます。そして、夜明けが近づくと、スキャンダル回避のため素性も聞かずに扇子だけ交換して急いでその場を離れました。ある日、右大臣家のパーティーに招待された光源氏は、扇子を交換した女性が朧月夜であることをつきとめます。



  


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2010年10月29日

紅葉賀

第7帖 紅葉賀(もみじのが) 光源氏18歳秋-19歳秋の物語


藤壷の宮の出産。


宮中では、優雅に舞楽が催される中、藤壷が皇子を出産。表面は自分の弟で、実は自分の子。そしてつぎの帝(冷泉帝)となるべき運命をもって生まれてきたわけで、これほど重大な秘密はありません。
源氏はさらに、兄朱雀帝に入内が決まっている「朧月夜」にも手を出し、これがのちの源氏失脚の発端にもなります。
手当たりしだいの源氏に、苦悩がしのびよってきます。


紅葉の季節、宮廷イベントのリハーサルで光源氏と頭中将の高貴な舞いが披露され、藤壺をはじめとする女性達はみんなうっとりです。さて、年がかわって藤壷が男の子を出産しました。生まれた子は光源氏にうりふたつです。藤壺は、不義の子であることがバレるのではないかと気が気でありません。そして光源氏と会うことも拒み続けます。そんな中、光源氏はひょんなことから源典侍(げんのないしのすけ)という好色な老女と契りを交わしてしまいます。また、その現場を頭中将に押さえられ、以降かなりの冷やかしにあうことになります。ただ、そういう頭中将も実は源典侍と契りを交わしていたのです。一方、何も知らずに子供の誕生を喜ぶ桐壺帝は、皇太子の母の弘徽殿をさしおいて藤壺を正妻と宣言するのでした。

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みるきー舞姫秋の公演告知動画
10/30(日)23:00開演 

公演場所
舞姫御殿上空 特設会場 此処から会場付近にでます。


  


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2010年10月28日

末摘花

第6帖 末摘花(すえつむはな) 光源氏18歳春-19歳春の物語



末摘花との出会い。これが想像を絶する醜女。

見境もなく女に手をだす源氏に、作者の紫式部は、この巻でちょっといじわるをしたようです。
こんどの女性はとてつもなくユニーク。うまずらで、長くて真っ赤な鼻の想像を絶する醜女。なんとも残酷な巻です。
作者はこの女性を笑いものにしますが、源氏は純真なこの女性に同情してあとあとの生活の面倒を見ます。源氏の優しい一面がここでも登場します。

父の常陸宮(ひたちのみや)を亡くして琴をひきながらひっそり暮す末摘花(すえつむはな)という女性がいるという噂を耳にした源氏は、早速琴の音を聴きに行きました。家の中を様子見していると、そばには同じく末摘花をねらう頭中将の姿が・・・。頭中将に負けることはできないと、後日、光源氏は無理やり暗闇の中で末摘花と契りを交わしてしまいます。その後も何度か暗闇でばかり契りを交わした光源氏でしたが、雪の朝にはじめて末摘花の姿を見ることになります。そこには末摘花のように鼻先が赤い醜い女性がいました。不憫に思った源氏は将来にわたって末摘花の面倒を見ていこうと決心するのでした。
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10月31日(日) みるきー舞姫公演告知動画
【 MOD竹取物語 】


公演場所: 舞姫御殿上空 特設会場
此処から会場付近にでます。


  


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2010年10月27日

若紫

第5帖 若紫(わかむらさき) 光源氏18歳の物語



少女若紫(のちの紫の上)との出会い、拉致。正妻葵の上との不仲。藤壷の宮の懐妊(実は源氏の子)。



源氏18歳の春。こんどは、われわれにはとても考えられないどんでもないことを企てます。
幼女を強引に連れ去り、この子を気長に理想の女性に育て、自分の妻にしようというのです。 源氏は、ロリータ趣味もあったのでしょうか。
その幼女こそが、後の物語のヒロインともなる「紫の上」です。
その一方で、あこがれの藤壷の宮と密会し、懐妊させたりもします。

光源氏はひょんなことから、北山で藤壺似の美少女に出逢います。実はこの少女の父は藤壺の兄の兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)でしたが、継母から不当な扱いを受けたため、父と離れて祖母といっしょに暮らしていました。光源氏はこの可哀想な少女を養女にして引き取ろうとしますが、祖母からなかなかOKが出ません。そんな中、光源氏は、体調をくずして実家で療養している藤壺に近づき、再び契りを交わして藤壺を妊娠させてしまいました。藤壺は、何も知らずに懐妊を喜ぶ桐壺帝を見るたびに良心の呵責から落ち込むのでした。その後、少女の祖母が急死すると、光源氏は少女を強引にさらって自宅に住まわせました。少女はその後、紫の上(むらさきのうえ)と呼ばれました。

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10月31日(日)公開 みるきー舞姫 【 MOD竹取物語 】



公演場所: MilkyHouse舞姫御殿上空 特設会場
此処から会場付近にでます。  


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2010年10月26日

夕顔


第4帖 夕顔(ゆうがお) 光源氏17歳秋-冬の物語



夕顔との出会い。愛人「六条御息所」の「物の怪」による、夕顔の急死。

この巻では、あらたに夕顔という女性と出会います。夕顔は、帚木の巻で頭の中将が打明けた女性です。
源氏は、身分の低いこの女性にすっかり惚れこみます。これまでの相手の女性は、そろって身分が高く、年上でプライドが高く、気疲れがしていました。それにくらべ夕顔は無邪気で初々しく、ひたすら源氏に身を任せ頼り切って従います。
しかし、この夕顔は突然「物の怪」にとりつかれ、あっけなく死んでしまいます。
あまりのはかない命の夕顔と源氏の一途な純愛・・・・・。全編のなかでも、印象にのこる巻です。



垣根に咲く夕顔の花をきっかけにして親しくなった光源氏と可憐な女性の夕顔(ゆうがお)は、互いの身分を隠しながらもすぐに契りを交わす仲になります。ある夜、サビれた家屋で密通する二人の前にモノノケ女が出てきました。光源氏はなんとかそのモノノケ女を追っ払いましたが、夕顔の体調に異変が起こり、なんと夕顔は死んでしまいました。この危機に駆けつけてきた腹心の惟光(これみつ)は、このスキャンダルが発覚しないよう光源氏を逃がして事件をもみ消しました。その後、この夕顔は、頭中将が妊娠させたという例の中流階級の女性であり、粗末な家に身を隠していたことがわかりました。そんな中、空蝉と軒端荻の姉妹は伊代介の転勤に伴って京都を去っていきました。

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2010年10月31日(日)23:00~24:00 秋のみるきー舞姫公開動画予告
【 MOD竹取物語 】

公演場所: 舞姫御殿上空 特設会場
此処から会場付近にでます。  


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2010年10月25日

空蝉

第3帖 空蝉(うつせみ) 光源氏17歳夏の物語



逃げた空蝉の継娘「軒端の荻」との契り。プレーボーイの本領発揮。

光源氏はその後も空蝉を忘れられず再アタックをかけますが、拒まれ続けます。フラストレーションがたまる光源氏は、紀伊守の留守の日に空蝉の弟の子君(こぎみ)に手引きさせて屋敷の中をひそかにのぞくと、空蝉とその義理の娘の軒端荻(のきばのおぎ)が碁を楽しんでいました。さて、その夜に光源氏は空蝉の寝室に忍び込もうとしましたが、忍び込んだ先は軒端荻の寝室でした。ただ、そこでちゃっかりと軒端荻と契りを交わしてしまいます。

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2010年10月31日(日) みるきー舞姫 秋公演告知動画 



公演場所: 舞姫御殿上空 特設会場
此処から会場付近にでます。


  


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2010年10月23日

帚木



友人たちとの女性談義「雨夜の品定め」。空蝉との出会い。はじめての拒否する女。


第2帖 帚木(ははきぎ) 光源氏17歳夏の物語

桐壷の巻で源氏は12才で結婚しますが、ここからはすでに17才の恋多き
青年貴公子として登場します。
美男子で頭がよく、やさしくて学問、知識、遊び何でもこい・・・の源氏は、今
や世間の憧れと好奇心の的で、幾多の女性と出会い、多彩な恋に情熱を燃
やします。

いよいよ「恋の狩人」源氏の登場です。
友人たちとの恋の経験談や恋愛論に花を咲かせるいわゆる「雨夜の品定め」
が展開されたあと、その翌日偶然にある女性と出会います。他人の妻です。
さかんに言い寄りますが、女性は拒み続けます。源氏は、はじめて拒否する
女性を知ることとなります。

五月雨の夜、光源氏は妻の葵の上の兄弟で親友の頭中将(とうのちゅうじょう)
達と女性談義をしました。頭中将は「つきあうなら中流階級の女性」説を主張し
、以前、中流階級の女性を妊娠させてしまった話やその女性は頭中将の正妻
からイジメられて現在行方不明になってるという話を披露しました。その翌日、
たまたま中流階級の紀伊守(きいのかみ)の屋敷を訪れた源氏は、頭中将の
話を思い出し、紀伊の守の父である伊代介(いよのすけ)の妻、空蝉(うつせみ)
と一夜の契りを交わしてしまいました。空蝉はそれっきり会ってくれませんでした。

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秋のみるきー舞姫公演予告動画 公開日 10月31日(日)23:00~24:00

公演場所: 舞姫御殿上空 特設会場
此処から会場付近にでます。  


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2010年10月22日

桐壷




第1帖 桐壺(きりつぼ) 光源氏1-12歳の物語

光源氏の誕生、元服、結婚。母桐壷更衣のいじめられ死。
父桐壷帝の後妻「藤壷の宮」への一途な思慕。

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身分がそれほど高くない桐壺(きりつぼ)は、時のミカドの桐壺帝(きりつぼてい)から寵愛されて男の子を産みますが、右大臣の娘で皇太子の母である弘徽殿(こきでん)など桐壺帝の他の妻達からイジメを受け心労で死んでしまいます。
悲しみに明け暮れる桐壺帝でしたが、その後、桐壺にそっくりの藤壺(ふじつぼ)と出逢って彼女を寵愛するようになります。さて、桐壺が生んだ男の子もまた母似の藤壺にオマセにも想いを寄せますが、12歳で元服して桐壺帝から源氏という姓をもらうと、左大臣と桐壺帝の妹の大宮(おおみや)の間にできた娘の葵の上(あおいのうえ)と愛のない政略結婚をさせられてしまいます。この男の子はその光り輝く美貌から光源氏(ひかるげんじ)と呼ばれました。

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みるきー舞姫
秋の公演予告動画 第2回公開日:10月31日(日)23:00~24:00

公演場所: 舞姫御殿上空 特設会場
此処から会場付近にでます。  


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2010年10月21日

源氏物語


源氏物語(げんじものがたり)は平安時代中期に成立した日本の京都を舞台
とした長編物語


紫式部の著した、通常54帖よりなるとされる。
物語は母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台にして、天皇の
皇子として生まれ、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓と
なった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫の人生を描く。
通説とされる三部構成説に基づくと、各部のメインテーマは次のようになると
され、長篇恋愛小説として間然とするところのない首尾を整えている。

54帖の現在伝わる巻名は、紫式部自身がつけたとする説と後世の人々がつ
けたとする説が存在する。作者自身が付けたのかどうかについて、直接肯定
ないし否定する証拠はみつかっていない。
現在伝わる巻名にはさまざまな異名や異表記が存在し、もし作者が定めた巻
名があるのならこのように多様な呼び方は生じないので、現在伝わる巻名は
後世になって付けられたものであろうと考えられる。しかし一方で、本文中
(手習の巻)に現れる「夕霧」(より正確には「夕霧の御息所」)という表記が、
「夕霧」という巻名に基づくとみられるとする理由により、少なくとも夕霧を初め
とするいくつかの巻名は作者自身が名付けたものであろうとする見解もある。
源氏物語の巻名は、後世になって、巻名歌の題材にされたり、源氏香や投扇
興の点数などに使われたり、また、女官や遊女が好んで名乗ったりした
(源氏名)。


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10月31日(日) みるきー舞姫公演予告動画
  


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