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2011年06月23日

出雲大社

神います空 神集いし社 古代と現在が交わる地 出雲大社
出雲大社(いずもおおやしろ、いずもたいしゃ)は島根県出雲市にある神社です。


神々の国、出雲。この地の象徴であるかのようにそそりたつ出雲大社。八雲山を背にした神域は森厳な空気が流れ、その中で数千年もの歴史を持ち、威容を誇る神殿が厳かに立っています。八雲立つこの場所には、なにか巨大なものの気配があります。厳粛な緊張感があります。浮雲ただよう青空に突き刺さるような千木を仰ぎ見ると、壮大な神代の世界が確かにここに存在したことは想像に難くありません。


縁結びの神・福の神として名高い『出雲大社』は、日本最古の歴史書といわれる「古事記」にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社と呼ばれていました。
主祭神は大黒様として馴染みの深い『大国主命(おおくにぬしのみこと)』で、「古事記」に記される国譲り神話には、大国主命が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)が出雲大社の始まりといわれています。

大国主命が祀られていえる本殿は延享の造営(1744)で建立されたもので、大社造で国宝に指定されています。神社建築の中では日本一を誇り、高さは約24m、厚い桧皮葺きの屋根の棟の上には長さ7.9mの二組の千木が交差しています。千木の上方にあいている小さな穴は、実際は大人一人がくぐり抜けられるほどの大きさで、本殿の大きさを実感できます。本殿に祀られる御神体は西向きで稲佐の浜の方角を向いておられ、本殿の正面から参拝すると、神様の横顔を拝んでいる事になります。


主祭神の大国主命は須佐之男命の子孫、多くの兄弟の末っ子として出雲に生まれました。
神話の中の「因幡の白うさぎ」の話が有名で、『サメを騙したため全身の皮をむかれた白うさぎが大国主の兄たちに助けを求めたところ、海水につかり風にあたるとよいと言われた。うさぎが言われた通りにしたところ、塩水がしみてよけいにひどくなった。兄たちに荷物を持たされ遅れてやってきた大国主命が痛みで泣いているうさぎを可哀想に思い、真水で塩を洗い、がまの穂にくるまると良いと教えたところ、うさぎの傷は治りました』というお話で、大国主の優しい性格がうかがえる一幕です。そしてこの神様は多くの女神と結婚し、多くの子供をもうけます。縁結びの神様というのもうなずけます。大国主命は出雲王朝を繁栄させるという偉業を成した王ですが、大きな袋を肩にかけ、ずきんを被り、右手に打出の小槌を持って米俵の上に立つ、あの人懐こいお姿の大黒様もまた、大国主なのです。


出雲大社には、大きなものがたくさんあります。
本殿の大屋根にかかる千木や、大国主の銅像、大注連縄など、なぜこんなにと思うほどです。
出雲大社本殿は、今でも神社建築の中では日本一を誇りますが、平安時代には現在の約倍の高さ、48mあったといわれています。当時の建築技術でそんなに高いものは作れないのでは?と長い間伝説とされていましたが、2000年に本殿八足門前の出雲大社境内遺跡から当時のものとされる宇豆柱が発見され、かつての本殿の巨大さを証明するものとして注目されました。実際に発掘されたものは、出雲大社東方の古代出雲歴史博物館で見ることが出来ます。主祭神の大国主命は、とにかく大きいものを好まれたのでしょうか。
雄大な雰囲気漂うここ出雲大社は、「大いなる国の王」の名と、福徳の神でもあるそのおおらかさを表現しているようです。旧暦10月は日本全国の八百万の神々が出雲に参集されます。
神様がお留守になるのでこの月を『神無月』といい、出雲は神様が集まられるので、この地に限っては『神在月(かみありづき)』と呼ぶようになりました。


【 陰陽師Ⅱ予告 -youtube-  】
  


Posted by hidesun(英寸) at 21:25Comments(0)出雲大社