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2012年10月31日

霜月

霜が降りる頃であることから、「霜月」と呼ばれるようになったと言われます。



日本では、旧暦11月を霜月(しもつき)と呼び、現在では新暦11月の別名としても用います。
「霜月」は文字通り霜が降る月の意味です。他に、「食物月(おしものづき)」の略であるとする説や、「凋む月(しぼむつき)」「末つ月(すえつつき)」が訛ったものとする説もあります。
また、「神楽月(かぐらづき)」、「子月(ねづき)」の別名もあります。




「 異名 」
かぐらづき(神楽月)、かみきづき(神帰月)、けんしげつ(建子月)、こげつ(辜月)、しもつき(霜月)、しもふりづき(霜降月)、しもみづき(霜見月)、てんしょうげつ(天正月)、ゆきまちづき(雪待月)、ようふく(陽復)、りゅうせんげつ(竜潜月)



誕生石 - トパーズ
星座 - 蠍座(11月22日頃まで)、射手座(11月23日頃から)
誕生花 - 椿、クリスマスローズ




大神稲荷神社
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Posted by hidesun(英寸) at 19:28Comments(0)和の暦

2012年10月30日

千本桜 VOCALOID 3

ボカロ3のキャラ達に千本桜踊ってもらった




千本桜

作詞:黒うさP
作曲:黒うさP
編曲:黒うさP



踊り キャラクター名:IA(イア) / SeeU(シユ) / 蒼姫ラピス / 結月ゆかり

【MMD】ボカロ3のキャラ達に千本桜踊ってもらった




  


Posted by hidesun(英寸) at 19:39Comments(0)和風曲

2012年10月29日

弓張月

輝いている半円部分を、弓とそれに張った弦になぞらえたもので、弓張(ゆみはり)、弓張月(ゆみはりづき)といいます。



弓張月弦に力の漲れり


昔の人は半月を、弦(つる)を張った弓にたとえました。弓の張った形になぞらえているわけですから、完全な半月の月だけではなく、弦が上側に張っていれば「上弦の月」、下側の場合には「下弦の月」。

その弓から放たれるのは、やさしい光の矢です。



大神稲荷神社
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Posted by hidesun(英寸) at 19:59Comments(0)和文化

2012年10月28日

八百万の神

「八百万の神」と言う場合の「八百万」は数が多いことの例えです。



生かされていることに感謝する。
その謙虚な心が、八百万の神々につながっているのです。



自然と共生する日本人独特の感性、「 八百万の神を感じる心 」



私たち日本人の祖先は、自然の恵みに感謝し、自然に畏敬の念を抱き、自然の摂理に従いながら生きてきました。その中で、世界に誇る豊かな感性が育まれていきました。人間も動物も、山、川、岩、草花などの自然も、太陽や月も、雨の一滴にいたるまで、あらゆるものに目に見えない不思議な気配や存在を感じ取ってきたのです。人々はそれを「神」と呼び、畏れ敬うようになりました。日本には「八百万(やおよろず)の神」がいるといわれます。「八(や)」は数が多いことを表す言葉で、八百万は実際の数ではなく、それほど多いということを意味します。現代を生きる私たちはとかく自分の力だけで生きていけると思いがちですが、共生やつながりの大切さが叫ばれる今、かつて我が国に息づいていたあらゆるものに生かされているという謙虚な考え方、そして八百万の神々を感じる豊かな心を見つめ直したいものです。




大神稲荷神社
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Posted by hidesun(英寸) at 19:54Comments(0)神話

2012年10月27日

稲穂

天照大御神(あまてらすおおみかみ)から授かった、天上の稲穂



神から授かった稲を育て 実りを神に捧げることで 日本人は国を豊かにしました。





古来、日本は稲作を中心に発展し、瑞々しい稲穂がたわわに実る「瑞穂の国」と称されてきました。お米は日本の気候風土でよく育ち、栄養価が高く保存もできるため、日本人にとってはまさに「命の根」(稲の語源)だったのです。日本人がいかにお米を大切にしてきたかは、日本の神話からも紐解くことができます。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から天降(あまくだ)る際、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は天上の田で育てた稲穂を授け、「地上で大切に育て継承しなさい」と命じました(斎庭〈ゆにわ〉の稲穂の神勅)。つまりお米は、神から授かった聖なる食べ物であるのです。毎年、収穫したお米は神嘗祭(秋祭り)で神々に捧げられます。託された稲が今年も豊かに稔ったことを奉告し、感謝の心でお供えするのです。飽食の時代にあっても、一粒の米に神を感じて感謝する日本人の清らかな心を失いたくないものです。




大神稲荷神社
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Posted by hidesun(英寸) at 19:59Comments(0)和文化

2012年10月26日

いろは唄 / 鏡音リン 陽炎

有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず



色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
知りたいの もっともっと深くまで





作詞:銀サク
作曲:銀サク
編曲:銀サク
唄:鏡音リン

【Project DIVA Arcade】いろは唄【PV】鏡音リン 陽炎




  


Posted by hidesun(英寸) at 20:27Comments(0)和風曲

2012年10月25日

Gravity=Reality【IA Model】

あなたの心のGravity 私の心のReality




いつの間にやら始まってた 心の温度急上昇中
数えきれないドキドキが膨らんでく



作詞:samfree
作曲:samfree
編曲:samfree
唄:巡音ルカ

【モデル】IA:mqdl
【MUSIC】samfree
【MOTION】なつき
【STAGE】かにひら
【EFFECT】MirrorWater、BubbleParticle:ビームマン

【VOCALOID MMD】Gravity=Reality【IA Model】


  


Posted by hidesun(英寸) at 19:48Comments(0)和風曲

2012年10月23日

桔梗色

桔梗色(ききょういろ)は、桔梗の花のような淡い青紫



桔梗の名称は平安時代から使われるようになり、古名は「あさがお」という。現在のアサガオとは別のものです。
桔梗といえば秋の七草の一つでもあります。平安文学にもしばしば登場し、青味の紫色系を表す伝統的な色名のひとつです。



襲(かさねの色目では花を表す紫みの二藍と、葉を表す緑みの濃青の組み合わせで、秋に着用されました。
日本の伝統色は紫系の色が多く、古代の技術では染め分けが難しかったのか、桔梗にちなんだ色が染められる様になったのは江戸時代ごろからだった様で、平安時代には襲を用いて桔梗の花色を表していました。



後世にもこの色は愛好され、他の色名や修飾語と組み合わされて、青紫から紫系までの色の表示に用いられました。たとえば紺桔梗、紅桔梗、桔梗納戸など。




大神稲荷神社
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Posted by hidesun(英寸) at 21:36Comments(1)伝統色

2012年10月21日

今宵 2012舞姫祭公演 

2012舞姫祭公演 in Milky House SIM



開場:2012.10.21 JST 21:30 (PDT 5:30)
開演:JST 22:00 (PDT 6:00)
場所:http://maps.secondlife.com/secondlife/Milky%20House/99/106/23


上空の特設ステージ(入口のTPマシーンで上がってください。



今年のテーマもお客様も一体感になれるようにするお祭りでございます。
舞姫たちの舞や屋台並びお祭り雰囲気満点なスカイステージもご堪能ください。
そのあとDJありのダンスタイムもありまして2時間程のショーとなります。

詳細はこちら ↓
http://milkymaihime.blog14.fc2.com/

  


Posted by hidesun(英寸) at 21:41Comments(0)みるきー舞姫

2012年10月20日

鶯色(うぐいすいろ)

鶯色(うぐいすいろ)とは灰色がかった緑褐色を言う。また、抹茶色に近い柔らかな黄緑色を連想する人もいる。



鶯(うぐいす)の羽の色に似たくすんだ黄緑色、灰色がかった緑褐色に用いられます。鳥に由来する色名がつけられるようになるのは中世以降に多くなり、鶯色も、一般に普及したのは江戸時代になってからです。当時は、藍の下地に刈安か楊梅をかけて染め出していましたので、色相が複雑になり、渋い黄緑系統の色になっています。



茶色全盛の江戸時代中期には鶯色がより茶色味がかった鶯茶のほうが女性の普段着の色として大流行したため、当時「鶯色」といえばこちらの色を指しました。江戸後期にはほぼ同じ色になったようです。



粋な色として、江戸の庶民から愛された色でもあります。
鶯色が一般に普及したのは明治になってからのようです。




大神稲荷神社 
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Posted by hidesun(英寸) at 19:19Comments(0)伝統色

2012年10月19日

石清水八幡宮

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社です。



旧称は男山八幡宮。
伊勢神宮・賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)とともに日本三社の一社であるほか、宇佐神宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社です。



京都盆地南西に位置する男山(鳩ヶ峰、標高143m)山上に鎮座する神社で、平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請されたことに始まる。以降、遠国の宇佐神宮に代わりニ所宗廟の一つとして天皇家から崇敬され、多くの天皇・上皇が参拝した。また、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに公家に重要視されたほか、多くの武家からも崇敬を集めた。武家の中でも特に源氏から武神としての信仰が篤く、当社からは源頼義による壺井八幡宮や頼義・頼朝による鶴岡八幡宮を始めとして、源氏の広がりとともに各地に八幡宮が勧請された。



創建当初より、境内にあった護国寺と一体になった宮寺形式をとっていた。現在は失われたが往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、山麓が当社だと勘違いした『徒然草』収録の話は有名。明治維新に伴う神仏分離以後は仏式を排除している。仏式で行われていた放生会は「石清水祭」と名を変え、葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の一つに数えられる。近年は、厄除開運、必勝、商売繁盛、家内安全などの御利益を願って全国から参拝者が足を運ぶ。
境内は、本宮のある山上の上院と頓宮や高良神社のある山麓の下院とに大きく分けられる。また境内は国の史跡に、本殿をはじめ建造物16棟等が国の重要文化財に指定されている。



男山には、八幡神が鎮座する以前から、いまなお中腹で湧出ている霊泉に因み行基が創建した石清水寺があった。摂社「石清水社」がそれで、現在も社殿の前には極彩色に彩られた覆屋があり、石清水が湧く。石清水寺は護国寺と改め、石清水八幡宮護国寺と称する神仏習合の宮寺となった。以後、約一千年間もの歴史を重ねた幕末。慶応4年(1868)3月、激変が起きた。神仏分離令にはじまり、廃仏毀釈。宮寺の代表格的存在であった石清水八幡宮も、所蔵していた多くの仏像・仏具・什器類が売却・破棄され、宿坊も廃棄または移転されている。さらに、明治初年(1871)官幣大社に列せられ、社号 も“男山八幡宮”と改称された。なお社名は、“石清水”が創建以来の由緒深いものであると、大正7年(1918)再び“石清水八幡宮”と改称されて現在に至っている。



  


Posted by hidesun(英寸) at 20:26Comments(0)石清水八幡宮

2012年10月17日

般若綺譚(秋着物)MilkyHouse

Milkyhouseより
2012秋 着物 【 般若綺譚 (HannyaKitan) 】



【 般若 】
一説には、般若坊という僧侶が作ったところから名がついたといわれています。
あるいは、『源氏物語』の葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まされ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれています。

女性の怨霊を表現する面。 恨みの復習の敵愾心を芸術化したもの。日本人の蛇信仰により蛇の面からの進化したといわれています。

【 綺譚 】
美しく、優れた物語という意味となります。


● 姫タイプ



● 引き振袖



● 振袖




● 片肌着物




● 花魁



Milky House本店
http://maps.secondlife.com/secondlife/Milky%20House/126/159/23 

Milkyhoue 堺店
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※ 大神稲荷神社 西門右手  


Posted by hidesun(英寸) at 19:34Comments(0)MilkyHouse

2012年10月16日

神無月

神無月(かんなづき、かみなしづき)とは、一般には縁結びの相談のため神々が出雲へ出向くので その地域を鎮護するものがいなくなることからきています。



出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなると言われるのは、後付けの中世以降、出雲大社の御師が全国に広めた俗説とされます。また留守神という性格を持つ神も存在し、すべての神が出雲に出向くわけではありません。



出雲大社に神が集まるのは、一般には縁結びの相談のためとされている。そのため、かつて佐渡には10月の縁談を避ける風習が、北九州では神が出雲に向かう日と帰ってくる日には未婚の男女がお籠りをする風習がありました。
出雲に行くのは大国主神系の国津神だけであるという説や、天照大神を始めとする天津神も出雲に行くという説もあり、この考えと一致するような、「出雲に出向きはするが、対馬の天照神社の天照大神は、神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する」と言う伝承もあります。



出雲に祭神(さいじん)が出向いてしまっては、その地域を鎮護(ちんご)するものがいなくなるということから、「留守神」と呼ばれる留守番をする神も考え出されるようになりました。一般に留守神には恵比須神が宛てられ、10月に恵比須を祀る恵比須講を行う地方もあります。
鹿島神宮の祭神は、地震を起こす原因と考えられた「地中に棲む大鯰(おおなまず)」を、押さえつける「要石」を鎮護するものであり、過去において神無月に起きた大地震の幾つかは、鹿島の神が出雲に出向いて留守だったために起きたと伝承されているものがあります。


【 いわし雲 】
鰯の群れのように空に広がる雲。魚の鱗にも似ていることから、鱗雲ともいう。この雲が見られると鰯の群れがやってくるともいう。秋によく見られる。

いわし雲眼下に衝くや古都の鐘  作者 高橋正三





大神稲荷神社 
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Posted by hidesun(英寸) at 19:33Comments(0)和文化

2012年10月15日

茜色

薬用・染料植物アカネの根で染めた 暗い赤色を さし、西の空が夕焼けに染まる時のオレンジ色に近い朱色です。



アカネを染料として得る色には他に、緋色がありますが、こちらは鮮やかな赤色で茜色よりはるかに明るい色です。



アカネ(茜、Rubia argyi)はアカネ科のつる性多年生植物で、根を煮出した汁には茜色素が含まれることから、染色に用いられます。色の茜はこの茜草の根から得られる色で、暗めの赤色です。







大神稲荷神社 南門付近
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Posted by hidesun(英寸) at 20:18Comments(0)伝統色

2012年10月14日

牡丹色

牡丹色(ぼたんいろ)はピンク色の一種で、牡丹の花弁の色。紫紅色をさすこともあります。



明治時代ごろに爆発的に流行した色で、牡丹の花のような華やかな紫紅色が女性たちに支持されました。



牡丹の花の色を模したかなりはなやかな赤紫色です。ボタンの花弁が幾重にも重なって見える濃い赤紫からとられたといわれている。牡丹の花そのものはかなり古くから観賞されており、文様としても古くからキモノや工芸品に取り入れられてきました。






大神稲荷神社 
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Posted by hidesun(英寸) at 18:43Comments(0)伝統色

2012年10月13日

柿色

柿色(かきいろ)とは柿の果実のような鮮やかな朱赤のこと、江戸中期に登場した梅の木で染めた黄赤色を照柿色とも呼びます。



柿渋、紅柄で染めた、熟れた柿をおもわせるにぶい黄赤で「柿渋色」を略したものです。江戸前期の柿右衛門様式と言われる弁柄で絵付けをして焼いた陶磁器が「柿色」を代表する芸術品として知られています。







大神稲荷神社 
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Posted by hidesun(英寸) at 21:09Comments(0)伝統色

2012年10月13日

ルナ ~海の妖精~

深い深い 海の底で  ずっとずっと あなたを待つ


私はあなたの事を ずっと昔から知ってるよ
あなたは私の事を きっと知りはしないでしょうね






作詞:トラボルタP
作曲:トラボルタP
編曲:トラボルタP
唄:初音ミク



【初音ミク】 ルナ ~海の妖精~ 【オリジナル曲】



月日が流れあの時と同じ 岩場に座り息を整えて
今度の私は違う そして再び巡り会った・・・

  


Posted by hidesun(英寸) at 15:04Comments(0)和風曲

2012年10月12日

瑠璃色

宝玉の瑠璃のような、わずかに紫味の美しい青色に用いられます。青の中の最上の青に対する美称です。



瑠璃は仏教で言う七宝の一つで、、金、銀、珊瑚、琥珀などと並んで、古代インド、中国で珍重された青色の宝石です。また、瑠璃は西洋の顔料・天然ウルトラマリンの原鉱石であるラピスラズリおも意味していましたが、六朝時代以降、瑠璃のような青ガラスの色も瑠璃というようになりました。瑠璃もウルトラマリンも大変高価な顔料なので、仏教美術やキリスト教美術のどちらにおいても、高貴で神聖なものを描く絵具として貴重に扱われました。







半貴石のラピスラズリを粉砕し精製した顔料は、天然ウルトラマリンと呼ばれます。しかし、色としてのウルトラマリンブルーを和色の群青色と表し、瑠璃色と区別する分類法もあります。もちろん、瑠璃の色と瑠璃の粉末の色、天然ウルトラマリンの色は異なるのは当然で、加工の過程で色合いが変化します。しかし、主要発色成分の化学組成は変わりません。そもそも、ラピスラズリはそれぞれの色合いが異なり、色名で指定してもその色合いとは異なります。





大神稲荷神社 
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Posted by hidesun(英寸) at 19:22Comments(0)伝統色

2012年10月11日

浅葱色

葱藍で染めた薄藍色。浅葱とは、薄い葱の葉の色を意味します。



浅葱色(あさぎいろ)とは、ごく薄い藍色のことである。また、現在は薄い青緑をこう呼ぶこともあります。水色より濃く、花色より薄い。新選組が羽織等で使用されます。
しばしば淡い黄色の浅黄色(あさぎいろ もしくは あさきいろ)と混同されるが、別の色です。



新選組の羽織で、袖口に山形の模様(ダンダラ模様)を白く染め抜いた浅葱色(水色)の羽織を着用していたとされます。羽織のダンダラは忠臣蔵の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたときに着ていた羽織の柄で、浅葱色は武士が切腹のときに着る裃の色です。



この色が庶民に広まったのは江戸時代です。下級武士が浅葱木綿の羽織裏を愛用していたことから、吉原の遊郭では無粋なことを「浅葱裏」と言ってからかいました。


浅葱色の眼


大神稲荷神社 
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Posted by hidesun(英寸) at 19:40Comments(0)伝統色

2012年10月10日

萌黄色

芽吹いたばかりの草木の色(萌黄色)



萌黄(もえぎ、萌葱)とは鮮やかな黄緑色系統の色。春に萌え出る草の芽をあらわす色で、英語色名の春野の緑を意味するスプリンググリーンに意味的にも色的にも近い。



黄緑色を表す代表的な伝統色名です。春になって萌え出でた若葉のような冴えた黄緑色です。モエギは春の木の葉が萌え出る印象を表す萌木、黄の感じのある萌黄などともかかれ、平安文学にもしばしば登場します。萌黄は当時から若者の色とされ、「平家物語」などにも萌黄威しの鎧は若武者に用いられ、貴婦人の表着や打衣などにも使われました。やはり、浅緑と同様に春の色とされ、紅や紅梅との配合例もよくみられます。江戸時代の萌黄は木綿に染められた色で、本来の色より濃くなっています。



平安時代を通して若者向けの色として愛された。今昔物語には浮気者の舎人に腹を立てた妻が萌黄や紅の衣装を着て若い令嬢を装い夫を騙す話があり、平家物語には十八歳の貴公子平敦盛が萌黄縅の鎧を着て戦地に赴くくだりがあります。



大神稲荷神社 南門付近
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Posted by hidesun(英寸) at 21:09Comments(0)伝統色