ソラマメブログ › 【 黒衣 】 › 石清水八幡宮

  

Posted by at

2012年10月19日

石清水八幡宮

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社です。



旧称は男山八幡宮。
伊勢神宮・賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)とともに日本三社の一社であるほか、宇佐神宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社です。



京都盆地南西に位置する男山(鳩ヶ峰、標高143m)山上に鎮座する神社で、平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請されたことに始まる。以降、遠国の宇佐神宮に代わりニ所宗廟の一つとして天皇家から崇敬され、多くの天皇・上皇が参拝した。また、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに公家に重要視されたほか、多くの武家からも崇敬を集めた。武家の中でも特に源氏から武神としての信仰が篤く、当社からは源頼義による壺井八幡宮や頼義・頼朝による鶴岡八幡宮を始めとして、源氏の広がりとともに各地に八幡宮が勧請された。



創建当初より、境内にあった護国寺と一体になった宮寺形式をとっていた。現在は失われたが往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、山麓が当社だと勘違いした『徒然草』収録の話は有名。明治維新に伴う神仏分離以後は仏式を排除している。仏式で行われていた放生会は「石清水祭」と名を変え、葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の一つに数えられる。近年は、厄除開運、必勝、商売繁盛、家内安全などの御利益を願って全国から参拝者が足を運ぶ。
境内は、本宮のある山上の上院と頓宮や高良神社のある山麓の下院とに大きく分けられる。また境内は国の史跡に、本殿をはじめ建造物16棟等が国の重要文化財に指定されている。



男山には、八幡神が鎮座する以前から、いまなお中腹で湧出ている霊泉に因み行基が創建した石清水寺があった。摂社「石清水社」がそれで、現在も社殿の前には極彩色に彩られた覆屋があり、石清水が湧く。石清水寺は護国寺と改め、石清水八幡宮護国寺と称する神仏習合の宮寺となった。以後、約一千年間もの歴史を重ねた幕末。慶応4年(1868)3月、激変が起きた。神仏分離令にはじまり、廃仏毀釈。宮寺の代表格的存在であった石清水八幡宮も、所蔵していた多くの仏像・仏具・什器類が売却・破棄され、宿坊も廃棄または移転されている。さらに、明治初年(1871)官幣大社に列せられ、社号 も“男山八幡宮”と改称された。なお社名は、“石清水”が創建以来の由緒深いものであると、大正7年(1918)再び“石清水八幡宮”と改称されて現在に至っている。



  


Posted by hidesun(英寸) at 20:26Comments(0)石清水八幡宮