ソラマメブログ › 【 黒衣 】 › 伝統色

  

Posted by at

2013年06月07日

染め色 - 支子色 -

支子色 ( くちなしいろ )


暖かみのある黄色ですが、本来は支子(くちなし=梔子)の実で染めたことからこの名が付きました。一般にやや赤味を帯びた濃い黄色に用いらます。支子はアカネ科の常緑低木で、オレンジ色の果実が染料として使われます。『延喜式・縫殿寮』には深支子、浅支子、黄支子の三種がありますが、深支子浅支子はともに支子と紅花とで染色されていて、支子の果実のようなオレンジ色で、皇太子の黄丹の色と紛らわしいので禁色とされていました。



古くから染料や薬料として用いられてきた支子の実は今でも、きんとんを作るときにさつまいもの色づけに使われたりします。梔子とも書きます。



この実は、熟しても口を開かないことから「口無し」と呼ばれ、支子色のことを「言わぬ色=不言色」ともいいます。





-------------------------


京都幕末 大神稲荷神社
  


Posted by hidesun(英寸) at 20:59Comments(0)伝統色

2013年06月01日

染め色 - 藍色 -

藍色は、藍染めの染料の色のことで、一口に藍色と言っても染めの濃淡や色味に幅があり、細分化すれば様々な色が含まれる。


日本では着物の色として、江戸時代から人気がある。海外でもデニム生地などが有名。英語では「Indigo(インディゴ)」という。



日本人のblue系統の色に対しての感覚では、緑と青を同一視しやすい代わりに、明るめの「青色」と、紫寄りで深い色であるこの「藍色」を区別することが多い。そのため、日本では虹の色の中に藍色が含まれると言われている(青と紫の間)。



藍染めの色として名前が付いているものは、藍白(=白殺し)、水縹、瓶覗き(かめのぞき)、水浅葱、浅葱(あさぎ)、薄縹、薄監、花浅葱、浅縹、縹(はなだ)、納戸、熨斗目(のしめ)、藍錆(あいさび)、藍、鉄、紺藍、紺(=留紺、とまり紺)、搗(かち、褐)、紫紺、藍鉄、搗返し、濃紺、など。だいたい後に来る色ほど濃い色である。





 【 藍 スキマスイッチ 】

--------------------------------------



京都幕末 大神稲荷神社
  


Posted by hidesun(英寸) at 16:07Comments(0)伝統色

2013年05月27日

染め色 - 紅 -

紅色(べにいろ、くれないいろ)は、色名のひとつ。単に紅(べに、くれない)とも。鮮やかな赤を意味する。




紅は大陸から来た色彩で、紅染と藍染(あいぞめ)の染色法が通じることから呉藍(くれない)と呼ばれました。

紅花の花弁から抽出した赤色から黄色を除いて染めた美しい濃い桃色は、奈良時代には朱華(はねず)、平安時代では朝鮮や中国渡来の色彩の意で韓紅(からくれない)と呼ばれています。


また群れ咲く梅の花色に例えて紅梅とも称されました。






= 和 =

--------------------------------------------------------------------------------------------------



大神稲荷神社 場所  


Posted by hidesun(英寸) at 19:41Comments(0)伝統色

2012年10月23日

桔梗色

桔梗色(ききょういろ)は、桔梗の花のような淡い青紫



桔梗の名称は平安時代から使われるようになり、古名は「あさがお」という。現在のアサガオとは別のものです。
桔梗といえば秋の七草の一つでもあります。平安文学にもしばしば登場し、青味の紫色系を表す伝統的な色名のひとつです。



襲(かさねの色目では花を表す紫みの二藍と、葉を表す緑みの濃青の組み合わせで、秋に着用されました。
日本の伝統色は紫系の色が多く、古代の技術では染め分けが難しかったのか、桔梗にちなんだ色が染められる様になったのは江戸時代ごろからだった様で、平安時代には襲を用いて桔梗の花色を表していました。



後世にもこの色は愛好され、他の色名や修飾語と組み合わされて、青紫から紫系までの色の表示に用いられました。たとえば紺桔梗、紅桔梗、桔梗納戸など。




大神稲荷神社
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 21:36Comments(1)伝統色

2012年10月20日

鶯色(うぐいすいろ)

鶯色(うぐいすいろ)とは灰色がかった緑褐色を言う。また、抹茶色に近い柔らかな黄緑色を連想する人もいる。



鶯(うぐいす)の羽の色に似たくすんだ黄緑色、灰色がかった緑褐色に用いられます。鳥に由来する色名がつけられるようになるのは中世以降に多くなり、鶯色も、一般に普及したのは江戸時代になってからです。当時は、藍の下地に刈安か楊梅をかけて染め出していましたので、色相が複雑になり、渋い黄緑系統の色になっています。



茶色全盛の江戸時代中期には鶯色がより茶色味がかった鶯茶のほうが女性の普段着の色として大流行したため、当時「鶯色」といえばこちらの色を指しました。江戸後期にはほぼ同じ色になったようです。



粋な色として、江戸の庶民から愛された色でもあります。
鶯色が一般に普及したのは明治になってからのようです。




大神稲荷神社 
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 19:19Comments(0)伝統色

2012年10月15日

茜色

薬用・染料植物アカネの根で染めた 暗い赤色を さし、西の空が夕焼けに染まる時のオレンジ色に近い朱色です。



アカネを染料として得る色には他に、緋色がありますが、こちらは鮮やかな赤色で茜色よりはるかに明るい色です。



アカネ(茜、Rubia argyi)はアカネ科のつる性多年生植物で、根を煮出した汁には茜色素が含まれることから、染色に用いられます。色の茜はこの茜草の根から得られる色で、暗めの赤色です。







大神稲荷神社 南門付近
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 20:18Comments(0)伝統色

2012年10月14日

牡丹色

牡丹色(ぼたんいろ)はピンク色の一種で、牡丹の花弁の色。紫紅色をさすこともあります。



明治時代ごろに爆発的に流行した色で、牡丹の花のような華やかな紫紅色が女性たちに支持されました。



牡丹の花の色を模したかなりはなやかな赤紫色です。ボタンの花弁が幾重にも重なって見える濃い赤紫からとられたといわれている。牡丹の花そのものはかなり古くから観賞されており、文様としても古くからキモノや工芸品に取り入れられてきました。






大神稲荷神社 
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 18:43Comments(0)伝統色

2012年10月13日

柿色

柿色(かきいろ)とは柿の果実のような鮮やかな朱赤のこと、江戸中期に登場した梅の木で染めた黄赤色を照柿色とも呼びます。



柿渋、紅柄で染めた、熟れた柿をおもわせるにぶい黄赤で「柿渋色」を略したものです。江戸前期の柿右衛門様式と言われる弁柄で絵付けをして焼いた陶磁器が「柿色」を代表する芸術品として知られています。







大神稲荷神社 
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33
  


Posted by hidesun(英寸) at 21:09Comments(0)伝統色

2012年10月12日

瑠璃色

宝玉の瑠璃のような、わずかに紫味の美しい青色に用いられます。青の中の最上の青に対する美称です。



瑠璃は仏教で言う七宝の一つで、、金、銀、珊瑚、琥珀などと並んで、古代インド、中国で珍重された青色の宝石です。また、瑠璃は西洋の顔料・天然ウルトラマリンの原鉱石であるラピスラズリおも意味していましたが、六朝時代以降、瑠璃のような青ガラスの色も瑠璃というようになりました。瑠璃もウルトラマリンも大変高価な顔料なので、仏教美術やキリスト教美術のどちらにおいても、高貴で神聖なものを描く絵具として貴重に扱われました。







半貴石のラピスラズリを粉砕し精製した顔料は、天然ウルトラマリンと呼ばれます。しかし、色としてのウルトラマリンブルーを和色の群青色と表し、瑠璃色と区別する分類法もあります。もちろん、瑠璃の色と瑠璃の粉末の色、天然ウルトラマリンの色は異なるのは当然で、加工の過程で色合いが変化します。しかし、主要発色成分の化学組成は変わりません。そもそも、ラピスラズリはそれぞれの色合いが異なり、色名で指定してもその色合いとは異なります。





大神稲荷神社 
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33
  


Posted by hidesun(英寸) at 19:22Comments(0)伝統色

2012年10月11日

浅葱色

葱藍で染めた薄藍色。浅葱とは、薄い葱の葉の色を意味します。



浅葱色(あさぎいろ)とは、ごく薄い藍色のことである。また、現在は薄い青緑をこう呼ぶこともあります。水色より濃く、花色より薄い。新選組が羽織等で使用されます。
しばしば淡い黄色の浅黄色(あさぎいろ もしくは あさきいろ)と混同されるが、別の色です。



新選組の羽織で、袖口に山形の模様(ダンダラ模様)を白く染め抜いた浅葱色(水色)の羽織を着用していたとされます。羽織のダンダラは忠臣蔵の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたときに着ていた羽織の柄で、浅葱色は武士が切腹のときに着る裃の色です。



この色が庶民に広まったのは江戸時代です。下級武士が浅葱木綿の羽織裏を愛用していたことから、吉原の遊郭では無粋なことを「浅葱裏」と言ってからかいました。


浅葱色の眼


大神稲荷神社 
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 19:40Comments(0)伝統色

2012年10月10日

萌黄色

芽吹いたばかりの草木の色(萌黄色)



萌黄(もえぎ、萌葱)とは鮮やかな黄緑色系統の色。春に萌え出る草の芽をあらわす色で、英語色名の春野の緑を意味するスプリンググリーンに意味的にも色的にも近い。



黄緑色を表す代表的な伝統色名です。春になって萌え出でた若葉のような冴えた黄緑色です。モエギは春の木の葉が萌え出る印象を表す萌木、黄の感じのある萌黄などともかかれ、平安文学にもしばしば登場します。萌黄は当時から若者の色とされ、「平家物語」などにも萌黄威しの鎧は若武者に用いられ、貴婦人の表着や打衣などにも使われました。やはり、浅緑と同様に春の色とされ、紅や紅梅との配合例もよくみられます。江戸時代の萌黄は木綿に染められた色で、本来の色より濃くなっています。



平安時代を通して若者向けの色として愛された。今昔物語には浮気者の舎人に腹を立てた妻が萌黄や紅の衣装を着て若い令嬢を装い夫を騙す話があり、平家物語には十八歳の貴公子平敦盛が萌黄縅の鎧を着て戦地に赴くくだりがあります。



大神稲荷神社 南門付近
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33


  


Posted by hidesun(英寸) at 21:09Comments(0)伝統色

2012年10月09日

緋色(ひいろ)

「緋」とは「火」という意味があり、茜(あかね)や紅で染めた黄色をおびた赤い色で「あけいろ」とよぶこともあります。
深紅色 スカーレット あけ



色名の一つ。やや黄色みのある鮮やかな赤で、平安時代から用いられた伝統色名。『延喜式えんぎしき』では茜あかねと紫根しこんで染めた色を深こき緋とし、紫に次ぐ官位に用いた。その次の官位が茜だけで染めた浅うす緋となる。また茜染の薄い色を纁そひといい、これは浅緋よりも下の官位に用いられた。一方、茜だけで染めた色には茜色もある。JISの色彩規格ではこの茜色を「こい赤」とし、緋色は採用していない。一般的に、それぞれを区別する場合は茜色を「やや暗い赤」のイメージ、緋色を「鮮やかな赤」のイメージとする。



スカーレットと緋色(ひいろ)はしばしば同一視される。
緋色は茜の赤色色素プルプリンを高純度に精製した染料の色である。それに対し茜色は、茜を精製せずに使った染料の色で、緋色よりくすんだ赤である。



和訓では「あか」「あけ」とも読み、茜の根の灰汁を原料として作られた。これに対して紫草を重ねて染めた紫褐色を深緋(黒緋)と呼ぶ。また、平安時代には茜に替わって支子の黄色と蘇芳の赤を混ぜて明礬を触媒として作った紅緋色を生み出すことも行われ、後にはこれを緋色と呼ぶようになった。日本では大和朝廷時代より緋が官人の服装の色として用いられ、紫に次ぐ高貴な色と位置づけられた。養老律令衣服令には四位は深緋、五位は浅緋(うすあけ)すなわち緋色の礼服を用いることが定められた。以後、緋色は中級官人の色として知られるようになり多くの文学作品にも登場するようになった。また、武士にも用いられて『平家物語』などの軍記物語には緋の腹巻や緋威(ひおどし)の鎧が登場する。江戸時代には庶民の衣装にも広く用いられた。



大神稲荷神社
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 20:41Comments(0)伝統色

2012年10月08日

黄櫨染(こうろぜん)

黄櫨染とは、世界が紫を最高位の色と定める歴史の中にあり、ひっそりと衣の内に光る太陽の染を最高の色とした日本人の美徳。 天皇の御袍にのみ用いられる黄櫨染(こうろぜん)は天皇以外誰も使用することが出来ない絶対禁色であると言われていました。


世界最高の染と色

古来より貝紫(帝王紫:ていおうむらさき)を用いた染は、世界一の染と言われており、紀元前より世界の王族がこぞって着用していました。
日本においても、聖徳太子の時代に定められた位階制度、冠位十二階により「紫」が最高位の色と位置づけられ、都が奈良から京に、時代は桓武天皇の平安へと移っても、平城天皇の時代までは紫を高貴な証と定めていました。
しかし嵯峨天皇の時代に入り、突如、日本だけが『黄櫨染(こうろぜん)』を最高位の色(染)と定めることになります。



天皇だけに許された染

日本紀略によれば、弘仁11年(820年)2月、嵯峨天皇の詔により黄櫨染は、天皇だけが即位の大礼や大嘗祭など、重要な儀式の際にのみ着用できる第一礼装となり、以来、歴代天皇陛下だけに許される最も厳格な絶対禁色と定められました。
歴代天皇がお召しになった黄櫨染は、秘仏の聖徳太子像がお召しになり、その後、代々の黄櫨染と共に京都・広隆寺に保管されるため、皇室の中でも天皇側近のごく限られた人にしかその染は知れることがなく、一般の人が目にできる機会も少なかったことから、黄櫨染は、世界に広く知らしめた貝紫の染に対し、隠れた染と称されています。
また最高位の色が「紫」から黄櫨染に変わったことも大きな謎であり、研究の起点にもなっていました。


夢黄櫨染(ゆめこうろぞめ)

世界各国が貝紫による染を世界一と称する中にあり、太陽の光によって色が変化する「黄櫨染(こうろぜん)」を最高位の色と定めた日本。

太陽の光によって染色が変化する日本最高位の染「黄櫨染(こうろぜん)の御袍(ごほう)」にあります。平安時代初期、「黄櫨染」は、嵯峨天皇の詔により「天皇のみが第一礼装として着用する御袍」と定められ、それ以降、約1200年の長きにわたり、天皇側近の少数の人々以外の目に触れる機会がなく、正確な染色法も一般には知られていないことから、染の世界では「幻の染」と呼ばれていました。



夢黄櫨染という名前は、現在も天皇陛下が黄櫨染(こうろぜん)を第一礼装としてお召しになっておられることから、そのままお使いさせていただくのもおこがましく、奥田祐斎の「日本独自の芸術文化を昇華させて行きたい」という夢を一つ叶えていただいたお礼の意を込めて「夢黄櫨染(ゆめこうろぞめ)」とさせていただいています。




大神稲荷神社
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 19:32Comments(0)伝統色