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2013年10月29日

百鬼夜行(2)


大神稲荷神社に集まる妖怪百鬼夜行 



楽しそうです^^

お越しいただき、ありがとうございました。



※ 当日、見れなかったので画像をお借りいたしました。


※ 過去 載せた 百鬼夜行記事
http://hidesun.slmame.com/e1118635.html

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2011年 みるきー舞姫 MOD女陰陽師 予告


http://www.youtube.com/watch?v=SsxY3zNgOhw

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舞姫神社での、神前式典をご希望される場合は、このブログのメール宛または,IN内では、hidesun716 Protoまでお問い合せ・ご相談ください。

場所
http://maps.secondlife.com/secondlife/Milky%20House02/168/182/23

Milkyhouse02-SIM 舞姫神社 : 神前式 承ります。




※ 神前 結婚式 本殿内①


※ 神前 結婚式 本殿内②

MilkyhouseSIM 舞姫カフェ


場所
http://maps.secondlife.com/secondlife/Milky%20House02/248/103/23



大神稲荷神社


場所
http://maps.secondlife.com/secondlife/Kyoto%20BAKUMATSU/49/212/22



予告

  


Posted by hidesun(英寸) at 21:28Comments(0)妖怪

2012年03月28日

河童

河童は、日本の妖怪・伝説上の動物、または未確認動物。標準和名の「かっぱ」は、「かわ(川)」に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「かわわっぱ」が変化したもの。河太郎(かわたろう)とも言う。ほぼ日本全国で伝承され、その呼び名や形状も各地方によって異なる。水神、またはその依り代、またはその仮の姿ともいう。鬼、天狗と並んで日本の妖怪の中で最も有名なものの一つとされる。各地に残る河童神社、河童塚がある。



悪戯好きだが悪さをしない妖怪として伝えられる場合もあるが、多くは水辺を通りかかったり、泳いだりしている人を水中に引き込み、おぼれさせたり、「尻子玉」(しりこだま。尻小玉とも書く)を抜いて殺すなどの悪事を働く。抜いた尻子玉は食べたり竜王に税金として納めたりする。尻子玉とはヒトの肛門内にあると想像された架空の臓器で、これを抜かれるとふぬけになると言われている。この伝承は溺死者の肛門括約筋が弛緩した様子があたかも玉が抜けたように見えたことに由来するようである(尻子玉は胃や腸などの内臓を意味するという説もある)。人間の肝が好物ともいうが、これも前述と同様の溺死者の姿があたかも内臓を抜き去ったかのように見えたことに由来するといわれる。
相撲が大好きでよく子供を相撲に誘う。相撲に負けた子供は尻子玉を抜かれる。河童は大人よりも力が強いが、仏前に供えた飯を食べた後に闘えば子供でも負けないと言われている。また相撲をとる前にお辞儀をすると河童もお辞儀を返し、それにより頭の皿の水がこぼれてしまうため、力が出せなくなるともいう。河童が相撲を好むのは相撲が元々水神に奉げる行事だったためとも言われる。
好物はキュウリ、魚、果物。これにちなみ、キュウリを巻いた寿司のことを「カッパ巻き」と呼ぶ。キュウリを好むのは、河童が水神の零落した姿であり、キュウリは初なりの野菜として水神信仰の供え物に欠かせなかったことに由来するといわれる。



河童の由来は大まかに西日本と東日本に分けられ、西日本では大陸からの渡来とされるが(河伯信仰を参照)、東日本では安倍晴明の式神、役小角の護法童子、飛騨の匠(左甚五郎とも)が仕事を手伝わせるために作った人形が変じたものとされる。両腕が体内で繋がっている(腕を抜くと反対側の腕も抜けたという話がある)のは人形であったからともされる。大陸渡来の河童は猿猴と呼ばれ、その性質も中国の猴(中国ではニホンザルなど在来種より大きな猿を猴と表記する)に類似する。
河神[6]が秋に山神となるように、河童も一部地域では冬になると山童(やまわろ)になると言われる。大分県では、秋に河童が山に入ってセコとなり、和歌山県では、ケシャンボになる。いずれも山童、即ち山の神の使いである。また、河童は龍などと同じ水神ともいわれる。山の精霊とも言われる座敷童子などと同様に、河童も一部の子供にしか見えなかったという談がある。
河童は、間引きされた子供の遺体が河原にさらされている姿との説もある。江戸時代には間引きは頻繁に行われており、他の子供に間引きを悟られないよう大人が作った嘘とも言われている。



河童にまつわる言葉
河童の川流れ
河童は泳ぎが得意であることから、物事に長けている人でも失敗することがあるという意。
屁の河童
河童はいつも水の中にいるため、屁をしてもあまり勢いがないことから、「取るに足りないこと」を「河童の屁」、後に語順が変わった。「木っ端の火」から来たという説もある。
陸(おか)へ上がった河童
河童は水中では能力を十分発揮できるが、陸に上がると力がなくなるとされるところから、力のある者が環境が一変するとまったく無力になってしまうことのたとえ。
カッパ巻き
河童がキュウリを好むことから巻き寿司のキュウリ巻きをカッパ巻きと呼ぶ。


カッパ淵(カッパぶち)は、岩手県遠野市にあるカッパ(河童)の伝承地


堺SIM 大神稲荷神社
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 20:33Comments(0)妖怪

2012年03月26日

天狗

天狗(てんぐ)は、日本の民間信仰において伝承される神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物である。



一般的に山伏の服装で赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされる。俗に人を魔道に導く魔物とされ、外法様ともいう。また後白河天皇の異名でもあった。元来は中国の物怪で、火球の流星痕が狗(いぬ)に似ていることから、天の狗、すなわち天狗と呼ばれた。日本において天狗の言葉が初めて見られるのは『日本書紀』舒明天皇9年2月(637年)、怪音をたてて空を飛来するもの(ソニックブームを生じた火球)を唐から帰国した学僧の旻が、「非流星 是天狗也 其吠聲 似雷也」(流星にあらず、これ天狗アマキツネなり)と呼んだという記載がある。奈良〜平安時代初期における天狗とは、『山海経』の形状の通り天狐であり、火球を指したと考えられる。



天狗は、慢心の権化とされ、鼻が高いのはその象徴である。これから転じて「天狗になる」と言えば自慢が高じている様を表す。彼等は総じて教えたがり魔である。中世には、仏教の六道のほかに天狗道があり、仏道を学んでいるため地獄に堕ちず、邪法を扱うため極楽にも行けない無間(むげん)地獄と想定、解釈された。



天狗の種類

一般的な姿は修験者の様相で、その顔は赤く、鼻が高い。翼があり空中を飛翔するとされる。このうち、鼻の高いのを「大天狗」、鼻先が尖ったのは「小天狗」あるいは「烏天狗」という。

神としての天狗
神として信仰の対象となる程の大天狗には名が付いており、愛宕山の「太郎坊」、鞍馬山の「僧正坊」(鞍馬天狗)、比良山の「次郎坊」の他、比叡山の「法性坊」、英彦山の「豊前坊」、筑波山の「法印坊」、大山の「伯耆坊」、葛城山の「高間坊」、高雄山の「内供坊」、富士山の「太郎坊」、白峰山の「相模坊」、等が知られる。滋賀県高島市では「グヒンサン」と言い、大空を飛び、祭見物をしたという。高島町大溝に火をつけにいったが、隙間がなくて失敗したという話が伝わっている。鹿児島県奄美大島でも、山に住む「テンゴヌカミ」が知られ、大工の棟梁であったが、嫁迎えのため六十畳の家を一日で作るので藁人形に息を吹きかけて生命を与えて使い、二千人を山に、二千人を海に帰したと言う。愛媛県石鎚山では、6歳の男の子が山頂でいなくなり、いろいろ探したが見つからず、やむなく家に帰ると、すでに子供は戻っていた。子に聞くと、山頂の祠の裏で小便をしていると、真っ黒い大男が出てきて子供をたしなめ、「送ってあげるから目をつぶっておいで」と言い、気がつくと自分の家の裏庭に立っていたという。

山神としての天狗
天狗はしばしば輝く鳥として描かれ、松明丸、魔縁とも呼ばれた。怨霊となった崇徳上皇が、天狗の王として金色の鷲として描かれるのはこのためである。また、山神との関係も深く、霊峰とされる山々には、必ず天狗がいるとされ(それゆえ山伏の姿をしていると考えられる)、実際に山神を天狗(ダイバ)とする地方は多い。現在でも、山形県最上郡の伝承にみえる天狗は白髪の老人である。山伏を中心とする天狗の信仰は、民間の仏教と、古代から続く山の神秘観山岳信仰に結びついたもので、極めて豊富な天狗についての伝説は山岳信仰の深さを物語るものである。

天狗と猿田彦
古事記・日本書紀などに登場し、天孫降臨の際に案内役を務めた国津神のサルタヒコは、背が高く長い鼻を持つ容姿の描写から、一般に天狗のイメージと混同され、同一視されて語られるケースも多い。
祭礼で猿田彦の役に扮する際は、天狗の面を被ったいでたちで表現されるのが通例である。

天狗と迦楼羅(カルラ)天
天狗は、仏法を守護する八部衆の一、迦楼羅天が変化したものともいわれる。カルラはインド神話に出てくる巨鳥で、金色の翼を持ち頭に如意宝珠を頂き、つねに火焔を吐き、龍を常食としているとされる。 奈良の興福寺の八部衆像では、迦楼羅天には翼が無いがしかし、京都の三十三間堂の二十八部衆の迦楼羅天は一般的な烏天狗のイメージそのものである。




堺SIM 大神稲荷神社  


Posted by hidesun(英寸) at 20:32Comments(0)妖怪

2011年07月13日

百鬼夜行

百鬼夜行(ひゃっきやぎょう、ひゃっきやこう)とは、説話などに登場する深夜の町を集団で徘徊する鬼や妖怪の群れ・行進


【 百鬼夜行の登場する説話 】
●宇治拾遺物語  
ある修行僧が摂津の竜泉寺で出遭った100もの鬼の集団。
諸行無常を詠じながら大路を通った、馬頭の鬼の話。
●今昔物語集
貞観年間(859~877)、右大臣藤原良相の長男、大納言左大将藤原常行が愛人のもとへ行く途中、美福門周辺で東大宮大路の方から歩いてくる100人ほどの鬼の集団に遭遇。常行の乳母が阿闍梨に書いてもらった尊勝仏頂陀羅尼を縫いこんであった服を着ていたので、これに気がついた鬼たちは逃げていった。
●大鏡
天暦10年(956)に藤原師輔が遭遇したもの。蘇我入鹿を先頭に、蘇我馬子、蘇我倉山田石川麻呂、山背大兄王、大津皇子、山辺皇女など藤原氏を恨んで死んだ者たちの行列。藤原師輔が尊勝仏頂陀羅尼を読んで難を逃れた話。
●江談抄 ●打聞集 ●古本説話集 ●宝物集 ●諸国百物語

【 百鬼夜行を描いた作品 】
●百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)
百鬼夜行絵巻とは、その名の通り、「百鬼夜行」のさまを描いた絵巻物の総称である。但し、その名称は、現代の研究者等が名付けたものであって、当初よりの名称ではない。そのため、百鬼夜行のさまであると確定し得ない場合は、同様の図像が描かれた絵巻であったとしても、「妖怪絵巻」と名付けられている場合も見受けられる。
国の内外を問わず、各地に所蔵される絵巻であるが、著名なのは、真珠庵本である。室町時代の絵巻で、土佐光信筆と伝承されている。そこに描かれるのは、付喪神と呼ばれる器物の妖怪たちが中心である。
但し、百鬼夜行絵巻に描かれるのは、真珠庵本に見られるような付喪神だけではなく、他の本では、動物の変化した妖怪なども描かれており、当初より、数種の絵巻が存在していて、それが模写・転写されて、今日に伝わっているものと考えられている。
描かれる妖怪は器物中心であるが、真珠庵本以降の江戸模本には、獣、草木などの妖怪化したものも描かれ、鳥獣草木器物戯画絵巻という性格からも見ることが出来る。
説話に登場する百鬼夜行を題材とした絵巻の総称で、内容は各作品によって多少の差異がある場合もある。百鬼夜行図とされる物もある。
室町時代に作られたとされる京都大徳寺真珠庵の物が特に有名。
●画図百鬼夜行(えずひゃっきやぎょう)
鳥山石燕の作品で百鬼夜行絵巻や、その他の作品に登場する妖怪たちを分類し名付け、辞典化したもの。
『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』『百器徒然袋』とある石燕の妖怪画の中でも最初に刊行されたものであり、現代ではこの4つを総称して「画図百鬼夜行シリーズ」などとも呼ばれる。
「前篇陰」「前篇陽」「前篇風」の3部構成となっている。各部を「前篇」と題しているものの後篇は存在せず、この後に刊行された『今昔画図続百鬼』が後篇に相当する。
題名の「百鬼夜行」とは本来は妖怪たちが集団で跳梁する様子のことであり、室町時代の『百鬼夜行絵巻』などはその通り妖怪の集団を描いたものだが、本書は妖怪の1点1点に名称を添えて紹介しており、いわば「妖怪図鑑」のようなスタイルとなっている。後の画集と比較すると河童や天狗といった、日本の伝承にある妖怪の中でも比較的有名なものが多い。
●妖怪シリーズ ●妖怪百物語 ●妖怪大戦争 
●ぬらりひょんの孫
妖怪の集団。ただし烏合の衆ではなく、全体が一つの力。百鬼夜行の大きさは、主の力の大きさに比例する。主の力が衰えると、配下の者は力を発揮できなくなってしまい、最悪散り散りになってしまう。
( 関連記事:百鬼夜行wiki・百鬼夜行絵巻wiki・画図百鬼夜行wiki・ぬらりひょんwiki )

【 ぬらりひょんの孫 画像 】


【 みるきー舞姫 2011年夏公演告知動画 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube
  


Posted by hidesun(英寸) at 21:21Comments(0)妖怪

2011年01月13日

玉藻前

玉藻前(たまものまえ。玉藻の前、玉藻御前と紹介されることもある)は平安時代末期、鳥羽上皇に仕えた白面金毛九尾の狐が化けた架空の絶世の美女。鳥羽上皇が院政を行った1129年から1156年の間に活躍したといわれ、20歳前後の若い女性(少女とも)でありながら、大変な博識と美貌の持ち主であり、天下一の美女とも、国一番の賢女とも謳われた。また、化生の前(けしょうのまえ)とも云われ、その正体は白面金毛九尾の狐ではなく、二尾の狐であったとも云われている。

【 ぬらりひょんの孫 羽衣狐より 】
伝承
最初は藻女(みずくめ)と呼ばれ、子に恵まれない夫婦の手で大切に育てられ、美しく成長した。18歳で宮中で仕え、のちに鳥羽上皇に仕える女官となって玉藻前(たまものまえ)と名乗る。その美貌と博識から次第に鳥羽上皇に寵愛され、契りを結ぶこととなった。
しかしその後、上皇は次第に病に伏せるようになり、天皇家お抱えの医者にも原因が分からなかった。しかし陰陽師・安倍泰成(安倍泰親、安倍晴明とも)がその病が玉藻前による事が判明し、正体を暴露された玉藻前は、白面金毛九尾の狐の姿で宮中を脱走し、行方を暗ましていた。
その後、那須野(現在の栃木県那須郡周辺)で婦女子をさらうなどの行為が宮中へ伝わり、鳥羽上皇はかねてからの那須野領主須藤権守貞信の要請に応え、討伐軍を編成。三浦介義明、千葉介常胤、上総介広常を将軍に、陰陽師・安部泰成を軍師に任命し、8万余りの軍勢を那須野へと派遣した。
那須野で、既に白面金毛九尾の狐と化した玉藻前を発見した討伐軍はすぐさま攻撃を仕掛けたが、九尾の狐の術などによって多くの戦力を失い、失敗に終わった。三浦介と上総介をはじめとする将兵は犬の尾を狐に見立てた犬追物で騎射を訓練し、再び攻撃を開始する。
対策を十分に練ったため、討伐軍は次第に九尾の狐を追い込んでいった。九尾の狐は貞信の夢に娘の姿で現れ許しを願ったが、貞信はこれを狐が弱っていると読み、最後の攻勢に出た。そして三浦介が放った二つの矢が脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけたことで、九尾の狐は息絶えた。
だが九尾の狐はその直後、巨大な毒石に変化し、近づく人間や動物等の命を奪った。そのため村人は後にこの毒石を『殺生石』と名付けた。この殺生石は鳥羽上皇の死後も存在し、周囲の村人たちを恐れさせた。鎮魂のためにやって来た多くの高僧ですら、その毒気に次々と倒れたと言われている。南北朝時代、会津・元現寺を開いた玄翁和尚が、殺生石を破壊し、破壊された殺生石は各地へと飛散したと伝わる。
玉藻前のモデルは、鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)である。
摂関家などの名門出身でもない彼女が皇后にまで成り上がって、自分の子や猶子を帝位につけるよう画策して、中宮待賢門院(藤原璋子)を失脚させ、崇徳上皇や藤原忠実・頼長親子と対立して、保元の乱を引き起こし、更には武家政権樹立のきっかけを作った史実が下敷きになっているとも言われる(ただし、美福門院が実際にどの程度まで皇位継承に関与していたかについては諸説ある)。
江戸時代に入ると、玉藻前は酒呑童子、崇徳上皇(崇徳の大天狗)と並んで日本三大悪妖怪と言われ、歌舞伎や多くの小説・漫画・雑誌・文庫などに、主に悪役として多く登場することとなった。そして震旦(中国)の悪女、妲己と褒姒を結びつけることで、妖怪玉藻前は「三国伝来白面金毛九尾の狐」として昇華され、世界的な大妖怪というイメージが定着した。
玉藻前、九尾の狐を単なる国や王朝を破壊しようとした悪役ではなく、孤独を恐れ、愛情に溺れ、運命に弄ばれた悲劇のヒロインとする見方もある。

 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】


 撮影場所:大神稲荷  


Posted by hidesun(英寸) at 21:18Comments(0)妖怪

2011年01月12日

妖弧

妖狐(ようこ)とは、狐の妖怪のこと。
狭義には、キツネの化身である「狐霊」(これい)の内、「野狐」(やこ)のみを指す。(wikiより)

【画像:ぬらりひょんの孫 現代に蘇った羽衣狐
復活する前の羽衣狐は石でした。たぶん殺生石。千年前の羽衣狐は「信田の狐」と呼ばれているので、葛の葉と思われます。羽衣狐は、妖弧のなかでも、白狐(びゃっこ、はくこ)・九尾の狐(きゅうびのきつね)に属すると思います。
※ 殺生石:殺生石(せっしょうせき)は、栃木県那須町の那須湯本温泉付近にある溶岩。鳥羽上皇が寵愛した空想の女性、玉藻前(白面金毛九尾の狐の化身)が正体をあらわし、数万の軍勢によって殺害され、石となったという逸話がある。その後、至徳2年(1385年)に玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。
※ 葛の葉:葛の葉(くずのは)は、伝説上のキツネの名前。葛の葉狐(くずのはぎつね)、信太妻、信田妻(しのだづま)とも。また、葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』、および翻案による同題の歌舞伎も通称「葛の葉」と呼ばれる。

野狐と善狐
日本においては、狐霊には、大きく野狐(やこ)という、いわゆる野良の狐と、善狐(ぜんこ)という善良(とされる)狐の二つの種類があるとされる。善狐の中でも稲荷神の神使を御先稲荷(おさきとうが)と呼び、神に仕えるもので当然 妖怪ではない。妖狐とは野狐のみを指す。また、野狐で人に危害を加えないものもあれば、善狐で性質のよろしくないものもあり、野狐と善狐は非常に仲が悪いとされる。
玉藻前に化けた白面金毛九尾の狐は、野狐の中でも人に危害を与えるランクの高い妖狐として知られ、悪狐(あっこ)とも呼ばれる。それゆえ九尾の狐を悪狐と呼ぶ場合もあるが、善狐でも尻尾が9本あれば九尾である。

妖弧の種類
赤狐(せきこ)神道系。通常の毛色の狐を「赤毛」と形容する場合もある。
白狐(びゃっこ、はくこ)白い毛色を持ち、人々に幸福をもたらすとされる、善狐の代表格。稲荷神社に祀られている狐も、ほとんどが白狐である。安倍晴明の母親とされている狐も白狐である。神道系。
黒狐(くろこ、こくこ)黒い毛色を持つ。北斗七星の化身と呼ばれている。中国の類書『三才図会』では、北山に住む神獣であり、王者が太平をもたらしたときに姿を現すとされている[1]。
銀狐(ぎんこ)銀の毛色を持ち、月をシンボルとしている。金狐とは同様異質の存在である。仏教系。ダキニ天の化身とも。
金狐(きんこ)金の毛色を持ち、日をシンボルとしている。銀狐とは同様異質の存在である。仏教系。ダキニ天の化身とも。
九尾の狐(きゅうびのきつね)尻尾が9本生えた狐。代表的な九尾の狐として、白面金毛九尾の狐が存在する。九尾の妖狐や、単純に九尾と呼ぶこともある。
天狐(てんこ)1000歳を超え強力な神通力を持ち神格化した狐。尾は4つである。千里眼を持ちさまざまな出来事を見透かす力がある。
空狐(くうこ)3000歳を超え神通力を自在に操れる大神狐。天狐からさらに2000年生きた善狐が成るとされている。尾は0本とされる。
仙狐(せんこ)善狐のなかで、1000年以上生きた狐。中国における狐の分類。
善狐(ぜんこ)善良とされる狐の総称。
野狐(やこ)妖狐の総称。地狐(中狐、宙狐と呼ばれることもある)。『絵本百物語』にも登場する。また禅ではいまだ悟りを得たという確証がないのに、慢心から悟ったとする禅を野狐禅という。

 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】


 撮影場所:大神稲荷  


Posted by hidesun(英寸) at 21:38Comments(0)妖怪