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2011年07月31日

夏公演 【 女陰陽師 】

Maihime Original Designed 第2弾 女陰陽師


MOD女陰陽師のご案内 (みるきー舞姫)2011年夏公演

第一回目 8月 7日(日) 22:00~24:00 予定 (来週の日曜日)


場所はミルキーハウスシムの舞姫御殿です。
特設会場へ行くテレポータが設置されます。


平安時代、その妖しき時代をモチーフに、日本神話と陰陽師を織り交ぜながら白蛇の間、火龍の間、蒼水の間、竹林の間、黒桜の間、それぞれオムニバス方式でお送りします。

※ 詳細: みるきー舞姫ブログより

 みるきー舞姫 2011年夏公演ご案内 動画 】


● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約3分20秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:12Comments(0)みるきー舞姫

2011年07月30日

八月

日本では、旧暦8月を葉月(はづき)と呼び、現在では新暦8月の別名としても用います。


木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」「葉月」であるという説が有名です。他には、稲の穂が張る「穂張り月(ほはりづき)」という説や、雁が初めて来る「初来月(はつきづき)」という説、南方からの台風が多く来る「南風月(はえづき)」という説などがあります。また、「月見月(つきみづき)」の別名もあります。

八月の暮らし
暑中見舞い(7日まで)・残暑見舞い(8日~8月末まで)・紫外線対策・海水浴・花火大会・お墓参り・夏バテ対策・台風の備え
夏休み・旅行・浴衣・簾(すだれ)・籐枕・風鈴・かき氷・夏祭り・盆踊り・帰省・葦簣(よしず)・冷奴・麦茶・扇子・水羊羹・打ち水・ビール・そうめん・鵜飼・蝉・日傘・氷菓・蝉しぐれ・精進料理

八月の自然
入道雲・雲の峰・山滴る・残暑・夕立ち・土用波

八月の花
向日葵(ひまわり)・月見草・朝顔(あさがお)・百日草・山百合・銭葵(ぜにあおい)・りんどう・詰草(しろつめくさ)

誕生石 - サードニクス、ペリドット
星座 - 獅子座(8月22日頃まで)、おとめ座(8月23日頃から)
誕生花 - ヒマワリ、ユリ


『 みるきー舞姫 2011年夏公演のご案内  -動画- 』



● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約1分10秒


● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約4分30秒


● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約3分20秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:32Comments(0)和の暦

2011年07月29日

女陰陽師衣装

MilkyHouseより新作衣装

女陰陽師衣装 「狩衣(かりぎぬ)」ですね。男物(メンズ)はもうすぐらしいです(笑)

狩衣:狩衣は平安貴族の普段着だったので、陰陽寮の役人である安倍晴明が妖怪退治等のに出かける時に動きやすい衣装と言われています。

黒以外に夏らしい青があります。


この夏、陰陽師衣装で過ごすのは如何でしょうか?

販売場所 : Milkyhouse本店

※ みるきー舞姫夏公演にて「女陰陽師」狩衣(非売品)衣装で舞う踊りは幻想的です。
※ 詳細: みるきー舞姫ブログより

 みるきー舞姫 2011年夏公演ご案内 動画 】


● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約1分10秒


● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約4分30秒


● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約3分20秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:48Comments(0)MilkyHouse

2011年07月28日

ご案内「 MOD女陰陽師公演 」 

MOD女陰陽師のご案内 ( みるきー舞姫 )2011年夏公演


本公演は8月初旬から9月中旬までに3回予定です。
第一回目 8月 7日(日) 22:00~24:00
第二回目 8月21日(日) 22:00~24:00
第三回目 8月11日(日) 22:00~24:00

場所はミルキーハウスシムの舞姫御殿です。
特設会場へ行くテレポータが設置されます。

【 内容 】 
平安時代、その妖しき時代をモチーフに、日本神話と陰陽師を織り交ぜながら白蛇の間、火龍の間、蒼水の間、竹林の間、黒桜の間、それぞれオムニバス方式でお送りします。















※ 詳細: みるきー舞姫ブログより

 みるきー舞姫 2011年夏公演 動画 】


● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約1分10秒


● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約4分30秒


● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約3分20秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:23Comments(0)みるきー舞姫

2011年07月27日

すだれ

すだれ(簀垂れ、簾)とは糸で竹やよしを編み連ねたもの

【 Japan Graffiti sakai SIM内大神稲荷 】

窓の外や軒先に垂らす。日よけ、目隠し、虫よけなどの目的で使われます。
夏の風物詩でもある。『万葉集』の巻4・488に歌があり、秋の風で簾が動く様が記されています。その為、現存する記述では、奈良時代まで遡る。横方向に垂らすような形で用いる「掛け簾」のほか、縦方向に立て掛ける形で用いる「立て簾(たてす)」と呼ばれる種類もあり、特にヨシを素材として編まれた「葦簀(葭簀、よしず)」は夏季を中心に軒先などに立て掛けて使用されるものです。

神前・宮殿などにかける簾(すだれ)を御簾(みす)といいます。
特に緑色の布の縁取りなどをした簾(すだれ)。「御簾」は「ぎょれん」とも読む。大名や公家などが部屋の中や外を分けるのに使われていました。その歴史は長く、小倉百人一首の人物描写にも「みす」が描かれている。清少納言の「高炉峰の雪は簾を掲げて見る」の逸話における簾(すだれ)は、御簾のことです。
(すだれwiki)

● MOD女陰陽師のご案内 ( みるきー舞姫 )

※ 詳細: みるきー舞姫ブログより

【 みるきー舞姫 2011年夏公演 案内編動画 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約3分20秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:33Comments(0)和文化

2011年07月25日

大神稲荷の櫓(やぐら)

夏のJapan Graffiti sakai SIM画像です。

【 大神稲荷 拝殿前 】

櫓(やぐら)を作ってみました。

櫓から、蛍の光、川に映る月明かりなど見えます。

気ままに作りすぎたせいか・・・いびつな櫓(やぐら)になってしまいましたw

櫓の上から見える風景

蛍のほのかな光に夏らしさを感じます。

東側 大神稲荷


● MOD女陰陽師のご案内 ( みるきー舞姫 )


※ 詳細: みるきー舞姫ブログより

【 みるきー舞姫 2011年夏公演 案内編動画 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約3分20秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:18Comments(0)大神稲荷神社(SL)

2011年07月23日

公演日決定 MOD女陰陽師



Maihime Original Designed 第2弾 女陰陽師

各空間は1話FIX型 オムニバス形式
本公演は8月初旬から9月中旬までに3回行います。
  第一回目 8月 7日(日) 22:00~24:00
  第二回目 8月21日(日) 22:00~24:00
  第三回目 9月11日(日) 22:00~24:00

場所はミルキーハウスシムの舞姫御殿です。

特設会場へ行くテレポータが設置されます。

内容ですが平安時代、その妖しき時代をモチーフに、日本神話と陰陽師を織り交ぜながら白蛇の間、火龍の間、蒼水の間、竹林の間、黒桜の間、それぞれオムニバス方式でお送りします。

5話の概要 
白蛇の間 <岩戸隠れ:::日本神話>  
天御社(アメノミヤシロ)へ向かう娘2人、踊り子神ウズメとスサノオの娘スセリビメ。
岩戸へ隠れしアマテラスを舞で呼び起こそうといたします。
やがてアマテラスが現れ天地に昼が戻るのでありました。
※史記ではスセリビメではなくアメノタヂカラヲ

火龍の間 <ヤマタノオロチ:::日本神話> 
ヤマタノオロチの最後のいけにえがクシナダヒメ。
みつからぬよう陰陽師はクシナダヒメを刀に変え身にまとい、
ヤマタノオロチと死闘の末退治し、その尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を手に入れます。
※実際はスサノオ、刀ではなく櫛
     
蒼水の間 <百鬼夜行:::オリジナル>
溢れることのない堀川が決壊したる平安京、セイメ、ミツムシ、アオネは西の藤原朝成邸に結界を張り鬼殿を封じ水量を戻し、ユゲノメは一条戻り橋で心卑しき道尊の早良親王の怨霊蘇生を式神で封じ、リンカ、シヤ、アオネニは闇に包まれし羅城門にて鬼の首を切り崩しました。
長岡京から平安京へ遷都し13年後の出来事であります。

竹林の間 <引き離されしサクヤビメ:::日本神話 >
ニニギに選ばれしサクヤビメ、姉(イハナガヒメ)を想い、深い悲しみを耐えセイメの舞を見つめております。
一方引き離したニニギはその末裔が長寿できなくなるという重い定めを背負うこととなります。

黒桜の間 <儚なさと呪縛:::オリジナル>
人を愛おしく思う心は陰陽師にしても変わることのないもの。
それが神であれば結界を越えたものとなり、人であれば恋となりましょう。
ましてや蝶の化身の蜜虫にあっては可憐な儚いものに映ることでしょう。
またシサには越えてはならぬ恋にすべてを燃え尽くそうとする心が、その呪術と重なり破壊的な力となり舞狂うのでありました。この公演最後は女陰陽師達がアマテラスへ奉納舞を献上し終了となります。

※ みるきー舞姫ブログより
【 みるきー舞姫 2011年夏公演 予告編動画 】



● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約4分30秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:42Comments(0)みるきー舞姫

2011年07月21日

十二国記

『十二国記』(じゅうにこくき)は、小野不由美さんの一連の小説作品群の呼称。古代中国思想を基盤にした異世界ファンタジー作品です。


この小説・アニメの世界観に引きずられるように見入った作品です。
十二国記の舞台となるのは、山海経に登場するような神仙や妖魔の存在する世界である。その名のとおり、12の国が存在する。文化、政治形態は古代中国(特に周王朝)に類似しており、絶対的な王制である。しかし世襲制ではなく、12の国はそれぞれ神獣麒麟(きりん)が天意に従って選んだ王により統治されている。王は諸侯を封じ、政治をさせる。王や一部の高位の官は神仙として不老長寿(だが必ずしも不死ではなく、胴や首を冬器という特殊な武器により断たれれば死んでしまう)の身体を得て、天意に従う形で国を治めることを求められている。麒麟が失道の病にかかりそのまま死・禅譲するか、誰かに討たれない限り王は死なない。王とそれを選ぶ麒麟、そして天意とは何なのかという問いが、作品全体の主題となっている。



SL内の作りこまれたSIM画像

十二国記「月の影 影の海」のあらすじ
日本で生まれ育った普通の女子高生・中嶋陽子の前に、突如「ケイキ」と名乗る異装の男が現れる。ケイキは陽子を主と呼んで跪き、一方的に謎の盟約を迫る。突然の出来事に戸惑う陽子を異形の獣が襲撃、それを辛くも退けたケイキは、強引に陽子を地図にない世界へと連れ去った。
異形の獣の襲撃はその後も続き、陽子はケイキとはぐれ見知らぬ場所(巧国)にたどり着く。全く事情が判らないまま縋る気持ちで現地の人間に助けを求めるも、“海客”として酷い仕打ちを受けたり、利用されそうになったり、陽子は徐々に人間不信に陥る。人目を避けつつ、なおも襲撃を続ける異形の獣(妖魔)と戦い続ける陽子は満身創痍となり、行き倒れたところを楽俊に救われる。楽俊は陽子を介抱し、さらには海客に対する保護体制が整っている雁国への道案内を買ってでる。道中に妖魔と遭遇しそれを退ける陽子であったが、衛士(警備兵)に見つかるという恐怖から、倒れている楽俊を見捨ててしまう。後にそれを後悔する陽子であったが、同時に「口封じに楽俊を殺す」という選択肢を選ばなかった自分に安堵する。楽俊との再会はかなわず、陽子は一人で雁国を目指す旅を続けるのであった。
雁国へたどり着いた陽子を待っていたのは、楽俊であった。楽俊は先に雁国に渡り、港で働きながら情報を集め、陽子を待っていたのだという。再び二人旅となった陽子たちは、雁国で暮らす海客「壁落人」を訪ね、そこで陽子が胎果であることを知る。同時にケイキとは慶国の麒麟の「景麒」であり、景麒が「主」と呼ぶならば陽子は「景王」であると告げられる。日本に戻るのか、景王になるのかの選択を迫られる陽子であったが、延王の助力を受け、慶国に立った偽王・舒栄を討つことを決意する。
【十二国記wikiより抜粋させて頂きました】


【 みるきー舞姫 2011年夏公演 予告編動画 】



● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約4分30秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:23Comments(0)小説

2011年07月18日

厄と陰陽師

厄とは、子供の七五三を含めて「厄年」の根拠を「陰陽五行説」にルーツを求めることが多いとされます。

【 2011年8月・9月公開予定 みるきー舞姫 「MOD女陰陽師」画像 】

初詣も厄払いも、現在では「民間信仰」としての風習です。
「陰陽五行説」は、平安末期に、仏教、神道、陰陽道、修験道などの宗教と習俗が混ざり合って形作られました。

5~6世紀に、「陰陽五行説」が「仏教」や「儒教」とともに日本に伝わります。「大化の改新」では、国を統制する手法として仏教や漢字を利用します。陰陽五行説と密接な関係のある天文暦、時刻、易などの自然観察に関わる占術により災厄を判断し政治を行いました。

漢文の読み書きが堪能な、渡来人や僧侶に代わって、朝廷に仕える世俗人として「陰陽師」が現れます。
10世紀に陰陽道・天文道・暦道に卓越した才能を示した人物が、朝廷や公家から信望を得た「安倍晴明」です。
晴明は、天文道、暦道を陰陽道に取り込みます。

陰陽師という職業がミステリアスなのは映画などの演出のせいですが、「鬼神」という思想・概念も中国から輸入され、「陰陽五行説」と関わりながら「世界感」が日本独特に発展していきます。香川県・金刀比羅宮の宝物に「百鬼夜行」絵図があります。
鬼は、地下の大地を守る神であり、また神は天上の霊魂を支配する世界の概念があります。日本人は大地の神を「大国主命」とし、天上の神を太陽神の「天照大神」としました。
民衆の世界に近い「大国主命」はいろいろな形で現されます。
大地の精霊(spirit)は、「もの」を生み出すため「女性」であり、「蛇」でありました。
川の精霊も同様に蛇であり、蛇から龍(ドラゴン)など、さまざまの形が生まれることとなります。川の神「弁財天」もその一つです。大地の神も同様に女性と考えられ、最終的には「山姥」など、鬼の一種へと変化していきます。

初期の鬼は、全て女性の形であり「源氏物語」に登場する怨霊も女性で描かれます。「源氏物語」には、鬼とは人間の霊魂で、「怨霊」とも「物の怪」とも呼び、形は不明とされています。
呼び名の変化は、怨(オン)→女(オンナ)になり、オニナ、鬼(オニ)へと続いていくらしいです。

【 みるきー舞姫 2011年夏公演 予告編動画 】



● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約4分30秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:33Comments(0)陰陽道

2011年07月17日

四神

四神(しじん)は、中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣・聖獣


東の青竜(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)である。五行説にも中央に黄竜(麒麟を据える場合もあります)を加え数を合わせた上で取り入れられています。
四霊獣(龍、鳳凰、麒麟、亀)に数えられているものもいます。
※ 四霊獣
四霊獣(龍、鳳凰、麒麟、亀)は古代中国で、この世の動物たちの長だと考えられた特別な4つの霊獣のことです。この世には魚のように鱗を持つ鱗虫、鳥のように羽を持つ羽虫、獣類のように毛を持つ毛虫、甲殻類のように固い殻や甲羅を持つ甲虫が、それぞれ360種類ずついるとされ、それぞれの軍団の長が、龍、鳳凰、麒麟、亀だといいます。また、四霊獣は瑞獣(縁起の良い獣)であり、戦乱のない平和な時代にだけ出現するとされます。

四神が揃う土地は風水で理想的な地形配置とされ、四神相応といいます。
平安京は、東に川(賀茂川、高野川、鴨川)があり、南に開けた土地があり、西に大きな道があって、北にたくさんの山(まとめて北山という)というように、この四神相応にあたるのです。

青龍
東を守護する聖獣で、姿は通常の龍と変わらなく、青い色をしています。
しかし、古代の壺などに描かれている場合は、頭だけは白や黄色のものもあります。
平安後期の説話集「古今物語集」には、夢殿にこもって聖徳太子の魂だけが青龍に乗って中国に渡り、仏教の経典を取って来たという話があります。対応するのは、色では青、季節では春、青春、五行では木、方位では東、臓器では肝臓、食べ物では酸っぱいもの、環境では川。

朱雀
南を守護する聖獣で、四霊獣の鳳凰のこと。
普通は5色の羽を持つ美しい鳥ですが、江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では背丈が1m以上で、コウノトリ、ツバメ、ニワトリ、蛇、魚、オシドリ、龍などが混じり合った姿をしているとされています。
天下太平のときだけ出現し、鳥の王のような存在で、飛べば多くの鳥がその後に従って飛ぶといいます。
対応するのは、色では赤、季節では夏、朱夏、五行では火、方位では南、臓器では心臓、食べ物では苦いもの、環境では開けた土地。

白虎
西を守護する聖獣で、白い虎の姿をしています。
江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では虎が500才になると白虎になるといいます。
白は五行思想で西の他、土も表すため土の精であるという説もあります。
対応するのは、色では白、季節では秋、白秋、五行では金、方位では西、臓器では肺、食べ物では辛いもの、環境では大きな道。

玄武
北を守護する聖獣で、亀と蛇を合成したような姿をしていて、四霊獣の一つとされます。
五行思想で北は黒を表すため玄(黒)、甲羅を背負い防御に長けていることから武と呼ばれます。
古代の壺などではしばしば蛇を体に巻き付けた亀の姿で描かれます。
のちに真武玄天上帝という神になります。
対応するのは、色では黒、季節では冬、玄冬、五行では水、方位では北、臓器では腎臓、食べ物ではしょっぱいもの、環境では山や丘。

【 みるきー舞姫 2011年夏公演 予告編動画 】





● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約4分30秒  


Posted by hidesun(英寸) at 21:33Comments(0)神話

2011年07月16日

公演予告編【 Milky MAIHIME 】

女性中心の舞集団”みるきー舞姫”よる2011年夏公演「 MOD女陰陽師 」

※ MOD=Maihime Original Designed

●日本神話のオリジナルオニムバス形式による五つの物語
白蛇の間 / 火龍の間 / 蒼水の間 / 竹林の間 / 黒桜の間

●垂直移動且つ360度舞台を囲む客席 ・・・ 遊園地気分が味わえます

平安の時代、人と鬼とが共に生きていた時代、暗闇に潜みし鬼、魔物、あやかしは、それを恐れる人の心に忍び入り、しっかりと息づいていた。鬼たちは時にその姿を現し牙をむき見る者の思いを揺さぶりかき乱す。
これらの鬼、あやかしを世のことわりをもって制する者たちがいた。宮廷に属しさまざまな占術で吉凶を占い加持祈祷、天体宇宙の観測、暦の作成、時刻の測定を司り、森羅万象にあまねく通ずる者たち、彼女らこそ闇の時代に現世と異界を駆け巡った女陰陽師と呼ばれる者たちであった。


※ 詳細は、こちらから

【 みるきー舞姫 2011年夏公演 予告編動画 】



● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約4分30秒
  


Posted by hidesun(英寸) at 21:12Comments(0)みるきー舞姫

2011年07月15日

浴衣


浴衣(ゆかた)とは和服であり長襦袢を着用せず素肌の上に着る略装。

【 MilkyHouse 着物 朝顔 画像

「 着物の歴史 」
平安時代の湯帷子(ゆかたびら)がその原型とされる。湯帷子は平安中期に成立した倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)によると、内衣布で沐浴するための衣とされている。この時代、複数の人と入浴する機会があったため汗取りと裸を隠す目的で使用されたものと思われる。素材は、水に強く水切れの良い麻が使われていたという説がある。
安土桃山時代頃から湯上りに着て肌の水分を吸い取らせる目的で広く用いられるようになり、これが江戸時代に入って庶民の愛好する衣類の一種となった。「ゆかた」の名は「ゆかたびら」の略である。



「 現代の浴衣 」
浴衣はもともと白地の木綿を藍で染抜くのが原則で柄も大胆なものが多かったが(右図参照)近年では洋服のようなデザインが好まれつつあり、華やかな色合いと柄のものなども多くなっている。生地も浴衣本来の木綿ではなく、麻を混ぜたものやポリエステルなどを用いたものも多い。
浴衣の多様化によってかつては一目瞭然であった浴衣以外の着物との境界は極めて曖昧になっており、柄によっては単の着物として着用できるものも現れている。近年、女性用ではミニスカートのように裾が膝より高いタイプも存在する(ただし正式な和服ではなく、あくまでコスプレ的な意味合いが強い)。
現代の日本の生活で浴衣が多く着用されるのは、主に花火大会・縁日・盆踊りなどの夏の行事である。日本舞踊や演劇などの稽古着として使用されることもある。
日本独特の風習として旅館やホテルに寝巻きとして客用の浴衣が用意してある場合が多いが、多くは簡略化されたものである。温泉宿やそれに類するホテル等では、備え付けの浴衣を着用したままで館内施設を利用したり、外出したりすることは問題ない。しかし、一般的なシティホテル等では、着用して室外に出ることは認められていない。
外出用として作られた浴衣は色鮮やかで、下駄が生じる音も好まれるため、祭り・温泉とも華やかな雰囲気になるとして好まれる場合が多い。デパートや商業施設、観光関係やサービス業の従業員などが、夏の制服として着用する例も多くなった。
またレストランや遊園地・テーマパーク、スポーツの試合などでも、夏に浴衣を着用して入場すると特典がある施設が増えており、都市部の夏の外出着として定着している。
最近では温泉街や祭りなどを鮮やかにするため、みんなで気軽に浴衣姿になってもらうため「旅館で宿泊客に浴衣と下駄を貸し出したりプレゼントする」「観光施設で浴衣を貸し出し、着付けのサービスもする」等のキャンペーンも多く、浴衣が一種のリゾートウェアとなっている。
和服のなかでは比較的安価であることから別誂えの反物を染めて歌舞伎役者などが贔屓への配りものとすることも多かったが、最近ではこうした風習も徐々に少なくなりつつある。角界にはまだかろうじて、関取が自分の名前の入った浴衣生地を贔屓筋や他の相撲部屋に贈るという風習が残っている。もちろん、自分の気に入った柄でオリジナルな浴衣を仕立てる力士もある。ちなみに関取か否かを問わず現役力士は浴衣が夏の正装であり、浴衣を着ずに外出してはならない規定がある。
乞巧奠(きっこうてん)の慣習と織女祭に因み、日本ゆかた連合会により7月7日が「ゆかたの日」と制定されている。
着付も普通の和服に比べて比較的安易でかつ安価であることから、民族衣装として手頃なお土産物や通販などで外国人にも人気がある。そしてもちろん、日本人に現在も愛され続ける伝統文化の一つである。
【 浴衣wikiより 】

※ 場所 : MilkyHouse本店

【 みるきー舞姫 2011年夏公演告知動画 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube
  


Posted by hidesun(英寸) at 21:21Comments(0)和文化

2011年07月13日

百鬼夜行

百鬼夜行(ひゃっきやぎょう、ひゃっきやこう)とは、説話などに登場する深夜の町を集団で徘徊する鬼や妖怪の群れ・行進


【 百鬼夜行の登場する説話 】
●宇治拾遺物語  
ある修行僧が摂津の竜泉寺で出遭った100もの鬼の集団。
諸行無常を詠じながら大路を通った、馬頭の鬼の話。
●今昔物語集
貞観年間(859~877)、右大臣藤原良相の長男、大納言左大将藤原常行が愛人のもとへ行く途中、美福門周辺で東大宮大路の方から歩いてくる100人ほどの鬼の集団に遭遇。常行の乳母が阿闍梨に書いてもらった尊勝仏頂陀羅尼を縫いこんであった服を着ていたので、これに気がついた鬼たちは逃げていった。
●大鏡
天暦10年(956)に藤原師輔が遭遇したもの。蘇我入鹿を先頭に、蘇我馬子、蘇我倉山田石川麻呂、山背大兄王、大津皇子、山辺皇女など藤原氏を恨んで死んだ者たちの行列。藤原師輔が尊勝仏頂陀羅尼を読んで難を逃れた話。
●江談抄 ●打聞集 ●古本説話集 ●宝物集 ●諸国百物語

【 百鬼夜行を描いた作品 】
●百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)
百鬼夜行絵巻とは、その名の通り、「百鬼夜行」のさまを描いた絵巻物の総称である。但し、その名称は、現代の研究者等が名付けたものであって、当初よりの名称ではない。そのため、百鬼夜行のさまであると確定し得ない場合は、同様の図像が描かれた絵巻であったとしても、「妖怪絵巻」と名付けられている場合も見受けられる。
国の内外を問わず、各地に所蔵される絵巻であるが、著名なのは、真珠庵本である。室町時代の絵巻で、土佐光信筆と伝承されている。そこに描かれるのは、付喪神と呼ばれる器物の妖怪たちが中心である。
但し、百鬼夜行絵巻に描かれるのは、真珠庵本に見られるような付喪神だけではなく、他の本では、動物の変化した妖怪なども描かれており、当初より、数種の絵巻が存在していて、それが模写・転写されて、今日に伝わっているものと考えられている。
描かれる妖怪は器物中心であるが、真珠庵本以降の江戸模本には、獣、草木などの妖怪化したものも描かれ、鳥獣草木器物戯画絵巻という性格からも見ることが出来る。
説話に登場する百鬼夜行を題材とした絵巻の総称で、内容は各作品によって多少の差異がある場合もある。百鬼夜行図とされる物もある。
室町時代に作られたとされる京都大徳寺真珠庵の物が特に有名。
●画図百鬼夜行(えずひゃっきやぎょう)
鳥山石燕の作品で百鬼夜行絵巻や、その他の作品に登場する妖怪たちを分類し名付け、辞典化したもの。
『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』『百器徒然袋』とある石燕の妖怪画の中でも最初に刊行されたものであり、現代ではこの4つを総称して「画図百鬼夜行シリーズ」などとも呼ばれる。
「前篇陰」「前篇陽」「前篇風」の3部構成となっている。各部を「前篇」と題しているものの後篇は存在せず、この後に刊行された『今昔画図続百鬼』が後篇に相当する。
題名の「百鬼夜行」とは本来は妖怪たちが集団で跳梁する様子のことであり、室町時代の『百鬼夜行絵巻』などはその通り妖怪の集団を描いたものだが、本書は妖怪の1点1点に名称を添えて紹介しており、いわば「妖怪図鑑」のようなスタイルとなっている。後の画集と比較すると河童や天狗といった、日本の伝承にある妖怪の中でも比較的有名なものが多い。
●妖怪シリーズ ●妖怪百物語 ●妖怪大戦争 
●ぬらりひょんの孫
妖怪の集団。ただし烏合の衆ではなく、全体が一つの力。百鬼夜行の大きさは、主の力の大きさに比例する。主の力が衰えると、配下の者は力を発揮できなくなってしまい、最悪散り散りになってしまう。
( 関連記事:百鬼夜行wiki・百鬼夜行絵巻wiki・画図百鬼夜行wiki・ぬらりひょんwiki )

【 ぬらりひょんの孫 画像 】


【 みるきー舞姫 2011年夏公演告知動画 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube
  


Posted by hidesun(英寸) at 21:21Comments(0)妖怪

2011年07月12日

ヤマタノオロチ


ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)は日本神話に登場する伝説の生物

【 大神画像 】

『古事記』では八俣遠呂智と表記しています。高志之八俣遠呂知。
「オロチ」の意味として、「お」は峰、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力、また霊力あるものの意などとする説もあります。


『 古事記 』

高天原を追放された須佐之男命は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(とりかみ、現奥出雲町鳥上)に降り立った。川上から箸が流れてきたので、川上に人がいると思って川を上ってみると、美しい娘を間にして老夫婦が泣いていた。その夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といった。
夫婦には8人の娘がいたが、毎年、高志から八俣遠呂智いう8つの頭と8本の尾を持ち、目はホオズキのように真っ赤で、背中には苔や木が生え、腹は血でただれ、8つの谷、8つの峰にまたがるほど巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまった[1]。今年も八俣遠呂智のやって来る時期が近付き、このままでは最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうので泣いているのであった。
須佐之男命は、櫛名田比売を妻としてもらいうけることを条件に、八俣遠呂智退治を請け負った。まず、須佐之男命は櫛名田比売を隠すため、彼女を櫛に変えて自分の髪に挿した。そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、垣を作って8つの門を作り、それぞれに醸した酒を満たした酒桶を置くようにいった。準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。八俣遠呂智が酔ってその場で寝てしまうと、須佐之男命は十拳剣を抜いてそれを切り刻んだ。
尾を切り刻んだとき剣の刃が欠けた。剣で尾を裂いてみると大刀が出てきた。これは不思議なものだと思い、天照御大神にこの大刀を献上した。これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。
八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、櫛として髪に挿していた彼女を娘の姿に戻し、彼女と暮らす場所を求めて出雲の須賀の地へ行き、そこで「夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。 都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁。」八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を と詠んだ。

【 みるきー舞姫 2011年夏公演告知動画 】

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2011年07月11日

天岩戸

太陽神である天照大神が隠れ、世界が真っ暗になってしまった岩戸隠れの伝説の舞台


天岩戸(あまのいわと)とは、日本神話に登場する、岩でできた洞窟です。
天戸(あまと)、天岩屋(あまのいわや)、天岩屋戸(あまのいわやと)ともいい、「岩」は「石」と書く場合もあります。
【 古事記 】
誓約によって身の潔白を証明した建速須佐之男命は、そのまま高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。他の神は天照大神に苦情をいうが、天照大神は、「考えがあってのことなのだ」とスサノヲをかばった。
しかし、天照大神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ馬を落とし入れたため、一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。ここにきて、天照大神はスサノヲの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。


そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、どうすればいいか相談をした。思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。
天の安河の川上にある堅い岩を取り、鉱山の鉄を採り、鍛冶師の天津麻羅を探し、伊斯許理度売命に命じて八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖命に命じて、八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた。
天児屋命と太玉命を呼び、雄鹿の肩の骨を抜き取り、ははかの木を取って占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛をかけ、フトダマが御幣として奉げ持った。アメノコヤネが祝詞(のりと)を唱え、天手力雄神が岩戸の脇に隠れて立った。
天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
この声を聴いた天照大神は何事だろうと天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。
アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、それを喜んでいるのです」というと、天児屋命と太玉命が天照大神の前に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿がその貴い神だと思った天照大神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けたとき、隠れていたアメノタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。すぐにフトダマが注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうして天照大神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。
八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。(天岩戸wiki)

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Posted by hidesun(英寸) at 21:28Comments(0)神話

2011年07月10日

狩衣

陰陽師の衣装といえば「狩衣(かりぎぬ)」


陰陽師=狩衣というイメージは最も有名な陰陽師の一人・安倍晴明から来てるのでしょう。今日一般的に知られている陰陽師・安倍晴明像は夢枕獏さんの小説の影響が強いかと思います。
狩衣は平安貴族の普段着だったので、陰陽寮の役人である安倍晴明が妖怪退治等のに出かける時に動きやすい衣装である狩衣を着るのは割と普通のことかと思います。つまり、陰陽師=狩衣ではなく、平安時代の動きやすい衣装=狩衣です。

狩衣装束の構成は、下着を着て指貫(あるいは差袴)をはき、狩衣を着るだけです。また、立烏帽子をかぶります。
普段着という性質上、狩衣の色目・紋様は全くの自由です。ただし、禁色は避けられました。なお、白色の無紋狩衣・無紋指貫の形を「浄衣(じょうえ)」といい、専ら神事に用いられました。

【 映画 陰陽師画像 】

狩衣はもともと都の中産階級の人々のお洒落着であった布衣に由来します。布と言う字からも解るとおりもともと麻布製の素朴なものでありましたが、動きやすさを好まれて貴族が鷹狩りなどの衣装として採用し、平安初期には上皇以下の貴族の日常着になりました。
平安時代中期には国風文化の隆盛とともに「みやび」と言う価値観・美意識が広まりました。 貴族達は狩衣の表地と裏地の色に工夫を凝らし、裏地の色が薄い絹を通して表にほんのり現れる様子に優美な名称をつける「色目」が考え出されました。ただし、上級貴族の場合、四十歳を迎え「四十の賀」の祝いの後は老人と見なされ白い裏地しか使えなくなりました。
平安時代末期の院政期に入ると、直衣に続き狩衣で院御所に出入りすることが一般化しました。


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Posted by hidesun(英寸) at 21:21Comments(0)陰陽道

2011年07月08日

ほおずき市


7月9、10の両日、東京都台東区の浅草寺で行われるホオズキの市。


赤く実りかけたホオズキの鉢植えが境内に並べられ、参拝客に販売されます。
ほおずき市は、観音信仰と関連が深い。古来、毎月18日は「仏様と特別なご縁のある日」という意味を込めて「縁日」と呼ばれ、この日に参拝すると、大きな功徳があるとされています。
室町時代以降、これとは別に「功徳日」という縁日が毎月1回新たに設けられ、この日の参拝は何百日、何千日分ものお参りに相当すると言われてきました。特に7月10日は、4万6千日分の参拝効果があるとされており、江戸時代ごろから参拝が盛んになっていきました。また、前日の9日から意気込んだ人々が寺を訪れるようになったことから、9、10日の2日間が4万6千日の縁日とみなされるようになりました。


このような大きな縁日には、必ずと言っていいほど参拝客目当ての市が立ちます。ほおずき市もそんな市の1つだが、ホオズキはもともと、薬草として東京都港区にある愛宕(あたご)神社の千日参りの縁日で売られていました。ホオズキを煎(せん)じてのむと、子どものかんの虫や女性の癪(しゃく)によく効くと言われており、これを参拝土産に持ち帰るのが通例でした。
やがてこれが浅草寺に波及し、愛宕神社をしのぐ活況を呈するようになったのがいまのほおずき市です。千日参りと4万6千日の参拝とが同じような意味を持っていたことや、明治以前の日本では神仏習合の信仰が一般的だったことが、このような市が神社から寺へとすんなり伝わった背景だと考えられています。
ほおずき市は、浅草寺のほか、都内各地の寺社で開かれているが、浅草寺の市が最も有名。毎年200もの露店が境内に軒を連ね、威勢のよいかけ声とともにホオズキの鉢が売られます。ちょうど梅雨が終わりに近づく時期であり、鉢に付けられた風鈴が涼しげに鳴ることから、江戸の夏の風物詩と言われています。

MOD女陰陽師 【告知動画】 みるきー舞姫

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Posted by hidesun(英寸) at 21:32Comments(0)和の暦

2011年07月07日

Japan Graffiti sakai SIM七夕

Japan Graffiti sakai SIMの夜空に大きな天の川が現れました。
画像暗くわかりずらいですが、SIMでは川沿いに蛍が飛び交い七夕の夜となっています。








此処からはJapan Graffiti sakai SIM内大神稲荷神社の夏の夜です。



場所:Japan Graffiti sakai SIM 


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Posted by hidesun(英寸) at 22:21Comments(0)

2011年07月06日

線香花火

江戸時代の俳諧選集である洛陽集には、葦やよしよりもう少し細い藁(わら)の先に火薬を付けた花火を香炉に立てて遊んでいる女性の様が詠まれていますが、香炉や火鉢に立てた花火の格好が仏壇に供えた線香に似ているところから「線香花火」の名前がついたと言われています。


線香花火は2種類あります。
一つは葦や藁の管の中に火薬を入れたもので、遊び方も手に持って上方45度に向けたり、火鉢などに立てて楽しむ 「スボ手牡丹」 と呼ばれるものです。それに対して「長手牡丹」 と呼ばれる線香花火は、藁ではなく和紙を使い、そこに火薬を付けて縒ったもので、下に垂らして燃やします。
スボ手牡丹は、細い葦や藁の入手が容易ではないためか江戸ではやがて廃れていきますが、関西では今も線香花火といえばスボ手のほうがなじみが深い ほど深く文化として浸透していきます。
「スボ手牡丹」が廃れていった江戸でやがて人気を集めていくのが「長手牡丹」で、江戸の長手、上方のスボと分かれるのも文化の違い、風土の違いなのでしょう。(すぼ手は西日本に、長手は東日本に多いです)


線香花火の使用の段階は4段階に分けられ名前がついています。
牡丹:先に「玉」ができる。
松葉:玉が激しく火花を発する。
:火花が低調になる。
散り菊:消える直前。

玉は、溶融した硫黄や各種不純物が表面張力で球状になったものである。玉は落ちやすく、落ちてしまったら終わりなので、極力動かしてはならない。主に男の子の遊び方として、消えるまで玉を落とさずにいられるかを競うことがあります。

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Posted by hidesun(英寸) at 22:04Comments(0)和文化

2011年07月04日

天の川


天の川あるいは天の河(あまのがわ、あまのかわ)は、夜空を横切るように存在する雲状の光の帯。


東アジアの神話では夜空の光の帯を、川(河)と見ています。
ギリシャ神話では、これを乳と見ています。それが継承され英語圏でもMilkyWay(ミルキーウェイ)と言うようになりました。
この光の帯は天球を一周しており、恒星とともに日周運動を行っています。
日本では、夏と冬に天の川が南北に頭の上を越える位置に来ます。これをまたいで夏には夏の大三角が、冬には冬の大三角が見えます。他の星も天の川の周辺に多いので、夏と冬の夜空はにぎやかになります。
現在では「天の川」や「Milky Way」という言葉で、天球上の(視覚的な)帯だけでなく、地球を含む星の集団、つまり天の川銀河を指すこともあります。

【 東アジアの神話  】
●中国・日本など東アジア地域に伝わる七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川です。
二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになりました。
●『西遊記』の猪八戒は、玉帝より天蓬元帥職を任され、天の川の管理をしていたことになっています。
●日本では『万葉集』において、大伴家持の歌に、天漢(あまのがわ)とも記されています。
(天の川wikiより)


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