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2012年02月11日

笠地蔵

貧しいが心の清い老夫婦が、道端の地蔵尊に笠を被せてやり、その恩返しを受けるというもので、特に知られる昔話の一つである。また、この作品では花咲か爺、舌切り雀などのように、善悪という対比的な図式を用いていない。この、純粋に正しい行いをする者は救われるという展開は、ある種の仏教思想の観念に基づくものであり、親が子に語り継いでいくことで、子供に対し道徳を教え諭すという寓話のような要素を持っている。



ある雪深い地方に、ひどく貧しい老夫婦が住んでいた。年の瀬がせまっても、新年を迎えるためのモチすら買うことのできない状況だった。 そこでおじいさんは、自家製の笠を売りに町へ出かけるが、笠はひとつも売れなかった。吹雪いてくる気配がしてきたため、おじいさんは笠を売ることをあきらめ帰路につく。吹雪の中、おじいさんは7体の地蔵を見かけると、売れ残りの笠を地蔵に差し上げることにした。しかし、手持ちの笠は自らが使用しているものを含めても1つ足りない。そこでおじいさんは、最後の地蔵には手持ちの手ぬぐいを被せ、何も持たずに帰宅した。おじいさんからわけを聞いたおばあさんは、「それはよいことをした」と言い、モチが手に入らなかったことを責めなかった。
その夜、老夫婦が寝ていると、家の外で何か重たい物が落ちたような音がする、そこで扉を開けて外の様子を伺うと、家の前に米俵やモチ・野菜・魚などの様々な食料・小判などの財宝が山と積まれていた。老夫婦は雪の降る中、手ぬぐいをかぶった1体の地蔵と笠をかぶった6体の地蔵が背を向けて去っていく様子を目撃した。この地蔵からの贈り物のおかげで、老夫婦は良い新年を迎えることができたという。



解説
地蔵のおかげで爺婆はよい新年を迎えられたという話。
地蔵に出会ったのは村と町の間、つまり境でありこの境の神としての性質を持つ笠地蔵の六地蔵は仏教の地蔵信仰ではなく、年取りの日の出来事から見るに正月神(歳徳神)の要素を持っており秋田県のなまはげ、鹿児島県のトシドンのごとく家々を訪れて幸をもたらすマレビトと根底は同じであろう。蓑笠をつけると異なった存在になるのは人間だけではなかったのである。地蔵の数も1、3、6、7、12と土地によって数に違いはあれども六体が一番多い。
西日本では別伝として爺が雪を積もらせた地蔵をかわいそうに思い背負い帰る。婆は怒り地蔵の体から米が出る。婆は欲を出してもっと米を出そうとして腹を搗くと米が出なくなったという話も伝えられている。
笠地蔵の爺に対して語り手たちは、その善良さに対し人間としての理想像を見出していたのではないか。それが全国のどこの土地でも分布している理由ではないだろうか。




堺SIM 大神稲荷神社 場所
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Posted by hidesun(英寸) at 20:32Comments(0)おとぎ話

2012年02月10日

花さかじいさん

心優しい老夫婦と性根の曲がった隣人夫婦が、不思議な力を持った犬をきっかけに前者は幸福に後者は不幸になるという勧善懲悪の話


心安らかで堅実に暮らす心優しい老夫婦が、一匹の白い仔犬を拾いわが子同然にかわいがって育てる。
あるとき犬は畑の土を掘りながら「ここ掘れワンワン」と鳴き始める。驚いた老人が鍬で畑を掘ったところ、金貨(大判・小判)が掘り出される。 老夫婦は喜んで、近所にも振る舞い物をする。
それをねたんだ隣人夫婦は、無理やり犬を連れ去り、財宝を探させようと虐待する。しかし犬が指し示した場所から出てきたのは、期待はずれのガラクタ(ゲテモノ·妖怪·欠けた瀬戸物)だった。 隣人夫婦は犬を鍬で殴り殺し、飼い主夫婦にも悪態をついた。
わが子同然の犬を失って悲嘆にくれる夫婦は、死んだ犬を引き取り、庭に墓を作って埋める。 そして雨風から犬の墓を守るため、傍らに木を植えた。
植えられた木は、短い年月で大木に成長する。やがて夢に犬が現れて、その木を伐り倒して臼を作るように助言する。 夫婦が助言どおりに臼を作り、それで餅を搗くと、財宝があふれ出た。
再び隣人夫婦は難癖をつけて臼を借り受けるが、出てくるのは汚物ばかりだった。 激怒した隣人夫婦は、斧で臼を打ち割り、薪にして燃やしてしまう。
夫婦は灰を返してもらって大事に供養しようとするが、再び犬が夢に出てきて桜の枯れ木に灰を撒いてほしいと頼む。 その言葉に従ったところ花が満開になり、たまたま通りがかった大名が感動し、老人をほめて褒美を与えた。このときのセリフは『枯れ木に花を咲かせましょう』である。
やはり隣人夫婦がまねをするが、花が咲くどころか大名の目に灰が入る。 悪辣な隣人は無礼をとがめられて罰を受ける。



日本の民話において白い動物は何らかの神の使いとみなされることが多い。白犬は夫婦の心ただしい生活を祝福した神からの贈り物であったと考えられるのである。
この話で一番の疑問は、わが子同然の犬を惨殺されて文句一つ言わない夫婦の度を越した人の良さだが、隣人との物語上の性格対比のためという説が主流。
ただ、この話にはほかの村人がほとんど出てこないため、おそらく夫婦は農作業などで隣人の協力に頼らざるを得ずそのためかなり悪辣な行為にも耐えていたという読み方もある。


堺SIM 大神稲荷神社 場所
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Posted by hidesun(英寸) at 22:02Comments(0)おとぎ話

2012年02月09日

一寸法師

一寸法師(いっすんぼうし)は、日本の伽話の一つ

【 大神 イッスン 画像 】

子供のない老夫婦が子供を恵んでくださるよう住吉の神に祈ると、老婆に子供ができた。しかし、産まれた子供は身長が一寸(現代のメートル法で3cm)しかなく、何年たっても大きくなることはなかった。子供は一寸法師と名づけられた。
ある日、一寸法師は武士になるために京へ行きたいと言い、御椀を船に、箸を櫂にし、針を刀の代わりに、麦藁を鞘の代りに持って旅に出た。京で大きな立派な家を見つけ、そこで働かせてもらうことにした。その家の娘と宮参りの旅をしている時、鬼が娘をさらいに来た。一寸法師が娘を守ろうとすると、鬼は一寸法師を飲み込んだ。一寸法師は鬼の腹の中を針で刺すと、鬼は痛いから止めてくれと降参し、一寸法師を吐き出すと山へ逃げてしまった。
一寸法師は、鬼が落としていった打出の小槌を振って自分の体を大きくし、身長は六尺(メートル法で182cm)になり、娘と結婚した。ご飯と、金銀財宝も打ち出して、末代まで栄えたという。
しかし御伽草子に掲載されたものは、今のようなこととは少し話が異なっている。
老夫婦が、一寸法師が全く大きくならないので化け物ではないかと気味悪く思っていた。そこで、一寸法師は自分から家を出ることにした。
京で一寸法師が住んだのは宰相殿の家
一寸法師は宰相殿の娘に一目惚れし、妻にしたいと思った。しかし小さな体ではそれはかなわないということで一計を案じた。神棚から供えてあった米粒を持ってきて、寝ている娘の口につけ、自分は空の茶袋を持って泣きまねをした。それを見た宰相殿に、自分が貯えていた米を娘が奪ったのだと嘘をつき、宰相殿はそれを信じて娘を殺そうとした。一寸法師はその場をとりなし、娘と共に家を出た。
二人が乗った船は風に乗って薄気味悪い島に着いた。そこで鬼に出会い、鬼は一寸法師を飲み込んだ。しかし一寸法師は体の小ささを生かして、鬼の目から体の外に出てしまう。それを何度か繰り返しているうちに、鬼はすっかり一寸法師を恐れ、持っていた打出の小槌を置いて去ってしまった。
一寸法師の噂は世間に広まり、宮中に呼ばれた。帝は一寸法師を気に入り、中納言まで出世した。
そして他の資料にも類話は残されており、長者の娘への策略は江戸時代に著わされた『神国愚童随筆』にも見え、記録されている。
娘は濡れ衣を着せられた状態で一寸法師に預けられるが、求婚者の携えてきた食物を口にすればその男の意思を受け入れたものと見なす観念が働いているという説もある。
婚約者を得た法師は手に入れた小槌で若者に成長し、娘と結ばれる。話によっては娘に対する計略のモチーフを欠いている話もある。
鬼退治のみで計略や若者への成長がないもの。
各地に伝わる話によってはその内容に変化が多い。



現在伝わっている話がいつ成立したかは未詳であるが、室町時代後期までには成立していたものとされる。「小さな子」のモチーフは、日本においては日本神話のスクナヒコナ(少・大地男神、スク=少・ナ=大地・ヒコ=男神・ナ=接尾辞)がその源流と考えられる。
スクナヒコナは「日本霊異記」の道場法師、『天神縁起』の菅原道真を媒介し中世の『小男の草子』、近世の『御伽草子』の一寸法師にまでつながっていく。
国土造成神スクナヒコナが水辺に出現したように昔話の「小さ子」の主人公も何らかの形で水界と関わっており、水神にまつわる基層信仰の存在が指摘されている。年老いて子がない事自体共同体の中では異端であり、その異端者が神に祈願して脛から生まれたりタニシの姿(田螺長者)で生まれたりする異常な出生は英雄や神の子を語るときの常でもある。
御伽草子の一寸法師が有名になったことで、各地に伝わる小さな人が出てくる民話や伝承も「一寸法師」と呼ばれるようになった。
江戸時代には、「一寸法師」の名は背の低い人間に対する差別用語としても用いられ、妖怪をテーマとした『狂歌百鬼夜狂』『狂歌百物語』などの狂歌本では、一寸法師が妖怪の一種として詠まれている。
なお一寸法師が住んでいた津の國難波の里とは現在の三津寺(ミッテラ)から難波付近と言われている。また御伽草子には「すみなれし難波の浦をたちいでて都へいそぐわが心かな」とあるため、椀に乗って京に向って出発した難波の浦は、現在の道頓堀川だと言い伝えられている。




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Posted by hidesun(英寸) at 20:48Comments(0)おとぎ話

2012年02月08日

浦島太郎

浦島太郎(うらしまたろう)は、日本各地にある龍宮伝説の一つ


漁師の浦島太郎は、子供が亀をいじめているところに遭遇する。太郎が亀を助けると、亀は礼として太郎を竜宮城に連れて行く。竜宮城では乙姫(一説には東海竜王の娘:竜女)が太郎を歓待する。しばらくして太郎が帰る意思を伝えると、乙姫は「決して開けてはならない」としつつ玉手箱を渡す。太郎が亀に連れられ浜に帰ると、太郎が知っている人は誰もいない。太郎が玉手箱を開けると、中から煙が発生し、煙を浴びた太郎は老人の姿に変化する。浦島太郎が竜宮城で過ごした日々は数日だったが、地上ではずいぶん長い年月が経っていた。



謎と背景
浦島太郎がいた蓬莱山(竜宮城)とは仙人が住むという伝説の山であり、古代中国の不老不死を願う神仙思想が背景にあり、海のかなたの東方に、仙人が住む孤島があり不老不死の薬があるという島である。 神仙思想は古代中国の陰陽五行論ともつながり、劇中登場する亀の色の五色も五行論からきている。その蓬莱山が後の時代に竜宮城へと変化していった。
浦島太郎と似た説話に、海幸・山幸神話がある。その劇中、天皇の祖神、山幸彦が「塩土老翁」(しおつつのおじ)という神に「無目籠」(まなしかたま)という水の入らないかごに乗せられ、海神の宮(わだつみのみや)に行き、海神(わだつみ)の娘、豊玉姫(とよたまひめ)と結婚し3年間暮らし生まれ故郷に戻り禁(タブー)を破る話の大筋がそっくりであり、また『古事記』に著される山幸彦の孫の初代神武天皇がヤマトに向かう際、亀に乗り釣竿を持った男とされる珍彦(うずひこ)が水先案内人になる場合があり、この2人の人物は不思議と浦島太郎に似ている。
浦島太郎のモデルとなったとされる人物として、『万葉集』に「墨吉」(すみのえ)の人の記述があり、これは今も大阪の住吉にあり住吉大社に祭られている住吉明神の事であり、別名、「塩土老翁」といい大変長命長生きであったとされ、そのモデルとされる武内宿禰も大変に長生きである。浦島太郎、塩土老翁、武内宿禰、この3者は長生きで繋がる。
住吉明神から塩土老翁、「老翁」の字が老人になった浦島太郎にそっくりであり、住吉明神、塩土老翁、浦島太郎の3者は長寿、老人のイメージで繋がり、また塩土老翁は大和朝廷の天孫降臨を導びき、神武天皇の東征をうながした謎の神であるとされる。また武内宿禰は古代豪族、蘇我氏の祖とされ応神天皇の東征を導いたともされ、
浦島もどき:神武天皇の案内役の珍彦(うずひこ)
塩土老翁:神武東征を促し
武内宿禰:応神天皇の東征を導く。
この三者は同じイメージで繋がっていく。神武東征と応神天皇の東征はルートも似ており神武と応神天皇も同一人物ではないかとの見方も見て取れる。




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Posted by hidesun(英寸) at 22:06Comments(0)おとぎ話

2012年02月07日

金太郎

金太郎(きんたろう)は、坂田金時(さかたのきんとき、公時とも)の幼名。または、金太郎を主人公とする昔話。


金太郎にはいくつも伝説が存在するが、静岡県駿東郡小山町の金時神社(金太郎が祭られている神社)に記されたものによると、天暦10年(956年)5月に誕生したという。彫物師十兵衛の娘、八重桐(やえぎり)が京にのぼった時、宮中に仕えていた坂田蔵人(くらんど)と結ばれ懐妊した子供とされる。八重桐は故郷に帰り金太郎を産んだが、坂田が亡くなってしまったため、京へ帰らず故郷で育てることにした。


成長した金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育った。
そして天延4年3月21日(976年4月28日)、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となる。名前も坂田金時(きんとき)と改名し、京にのぼって頼光四天王の一人となる。なお、他には渡辺綱、卜部季武、碓井貞光が四天王に名を連ねる。


鉞(まさかり、大斧)担いで熊の背に乗り、菱形の腹掛けを着けた元気な少年像として、五月人形のモデルとなった。この姿から、かつて日本各地で乳幼児に着用させた菱形の腹掛けもまた「金太郎」と呼ぶ。


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Posted by hidesun(英寸) at 21:38Comments(0)おとぎ話

2012年02月06日

桃太郎

桃太郎(ももたろう)は、日本のおとぎ話の一つ。
「桃太郎」が、お婆さんから黍団子(きびだんご)を貰って、イヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く物語。


ゆかりの地とされる場所は全国にある。その中でも岡山県は桃太郎作中の「黍団子」と同音の江戸時代の地元土産品「吉備団子」をつなげさせるなど、全県を挙げての宣伝活動からゆかりの地として全国的に有名になったが、「吉備団子」と作中の「黍団子」との関係は証明されていない。


解釈

上流から流れてきた桃を食べて老夫婦が若返ったというくだりには、道教やさまざまな神話が影響しているとみられる。『山海経』や西王母伝説、あるいは日本神話のイザナギの神産み#黄泉の国にみられるように、桃は邪気を祓い不老不死の力を与える霊薬である果実とされている。また、山奥に住む仙人にも桃は欠かせない存在である。桃太郎を齎した桃は、こうした力のある桃が山から流れて来たものとも考えられる。世界的には霊力のある植物は桃とは限らず、古くはギルガメシュ叙事詩での不死の薬草、旧約聖書の『創世記』における生命の樹と知恵の樹、田道間守の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ、橘の実とされる)や徐福伝説の神仙薬などが挙げられる。桃太郎の対的説話としては瓜から生まれた瓜子姫が指摘され、沖縄県久高島には黄金の瓜から生まれた男子が後の琉球王(西威王とされる)となったという伝説のバリエーションもある。
桃である理由は、桃は大昔より数少ない果物であり、匂いや味、薬用性および花の美しさがそろい、紅い小さな花と豊潤な果実を付けるところが不老不死のイメージにぴったりであり、人に利益を与え死の反対の生のシンボルを思わせ、その中でも特に桃の実が柔らかくみずみずしく産毛、筋目から命の源の女性器に似ているからであり、そのイメージには邪悪な鬼を退散させる力を感じさせるからであろう。
その桃にしても延喜式(927年)において、鬼の追難の儀式(鬼払い)に桃の木で製作した弓を使用したと記述があり、源流の中国の文献にも春秋左氏伝(BC480年)の昭公4年(BC538年)に-桃弧(とうこ)、棘矢(しや)、以って其災を除く。-の記録があり、桃の木製の弓、棘のある木で矢を作り鬼等の悪霊のたぐいを追い払えると信じられてきた。これもまた桃の持つ霊力を暗に象徴している、とも言える。



鬼は、風水では丑と寅の間の方角(北東)である「鬼門」からやって来ると考えられていることから、敵役である鬼が牛のような角を生やし、虎の腰巻きを履いているのも、風水の思想によるという解釈もある。

猿・雉・犬
桃太郎は「鬼門」の鬼に対抗して、「裏鬼門」に位置する動物(申(サル)、酉(キジ)、戌(イヌ))を率いた、という解釈がある(曲亭馬琴「燕石雑志」など)。しかし丑と寅(艮・ウシトラ)の逆の方位に当たるのは、未(ヒツジ)と申(坤・ヒツジサル)であり、申、酉、戌ではなく、この解釈には多少無理があるため、率いている動物には別の意味があるともされる。
陰陽五行説では桃、申(サル)、酉(キジ)、戌(イヌ)はどれも金を意味する。
儒教的解釈では、サルは智、キジは勇、イヌは仁を表すともされている。
吉備津神社縁起物語によると、吉備津彦命が、犬飼部の犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)、猿飼部の楽々森彦命(ささもりひこのみこと)、鳥飼部の留玉臣命(とめたまおみのみこと)という三人の家来と共に、鬼ノ城に住む「鬼」である温羅(うら)を倒したとされているが、この家来たちを桃太郎の逸話に置き換えると「犬飼健=犬」「楽々森彦=猿」「留玉臣= 雉」となるとする説がある。



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