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2010年11月17日

女性髪の歴史(1)

日本の歴史の中で『髪』の歴史もあります。
その「女性の髪」について

「垂髪」(たれがみ)
古墳・大和の時代から平安・鎌倉・室町と各時代を通じての女子の髪型です。
(垂れ髪・ひとすじ垂れ髪)最も古く素朴な髪型で 古墳・大和の時代から平安・鎌倉・室町時代まで各時代を通じておおかた子はこの髪型だった。 「すべしもとどり・すべらかしともいう」髪を頭上中央で分けて後ろに下げ、背に垂れた髪型で花や木の葉を髪飾りにしていた。

「振分髪」(ふりわけがみ)
飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町時代中期までに見られた髪型です。
髪を肩までの長さに切り、頭上中央で左右に分けさばいたまま、垂らす髪型。

「鬢そぎ」(びんそぎ)
平安時代後期・鎌倉時代・室町時代中期に行われた女子の髪型です。
女子が年頃になると垂髪の鬢(びん)の前方部(頬の両側の部分に当たる所)を短く切りこの髪型を鬢そぎといった。

「大垂髪」(おすべらかし)
おうすべかし、あるいは大すらべらかしともいわれる。
女子の髪型の一種で、前髪をとり、両鬢を大きくふくらませ、髻(もとどり)を背後にすべらせて長く下げたものをいう。
平安時代からの宮廷女子の垂髪(たれがみ)形式が、鎌倉・室町時代を経て、江戸時代に至って定型化したものである。
普通の垂髪に対して特に大きなものをいった。平安時代の垂れ髪と異なるところは、鬢を大きく張ったことと垂髪のかもじのところどころに絵元結(えもとゆい)や水引を結んだことである

「唐輪」(からわ)
鎌倉時代末期から室町時代初期に結われた髪型の一種で、当時は男子の髷(まげ)であった。初めは武家の少年、寺院の稚児(ちご)などの髪型で稚児輪(ちごわ)ともいった。天正年間に、一部女性の間で流行した唐輪は、中国女性の髪型をまねたもので、前期のものとは形がかなりちがっている。その髪風は頭上で髪の輪を作り、その根を残りの髪で巻き付けるもので、その輪は4つの場合、3つの場合、2つの場合があった。その一種である一つ輪は後に変化して兵庫髷となり、江戸時代の遊女間に流行した。

「禿」(かむろ)
室町時代から江戸時代末期に起こった髪型。首の周りくらいまで髪を短く切りそろえる。かぶろ・きりかぶろ(切り禿)ともいう。禿の語義は頭毛の脱落すること、はげることでそれから髪を短く切ることを言ったと考えられている。後にはもっぱら童女の髪とし長く行われ、江戸時代の遊女の召使少女を禿と呼ぶのも童女の髪名が転用されたと考えられる。

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みるきー舞姫11月公演告知

女 た ち の 変 遷( 江 戸 ~ 大 正 時 代 )
日時 11月21日(日) 開演22:30~24:00(JST) 
場所
特設会場
到着地点に門がございます。公演10分程度前に開門致します。
お願い
できるだけ快適に鑑賞いただけるように舞台装置など工夫しましたが重くなる場合があるので可能でしたら低レンダリングコストな服装、AOなし、フェースライトなし などでご来場いただければ助かります。
演 目
  第一幕(1階) 江戸 大門~吉原遊郭ゾーン
  第二幕(2階) 大正 和楽器奏舞[大正バージョン]


みるきー舞姫10月公演 【 MOD竹取物語 】動画
  


Posted by hidesun(英寸) at 22:28Comments(1)和文化

2010年10月20日

天女

天女(てんにょ)は日本の伝説上の存在

月からの使者 【 みるきー舞姫 】

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天女は、天部に住むとされる女性のことで、天帝などに仕えているとされる女官の
総称である。人間界においては容姿端麗であることを除けば人と大きく変わるところ
はなく羽衣と呼ばれる衣服で空を飛ぶとされるが、この羽衣を奪われたばかりに空
に帰れなくなり、地上の男性と婚姻する話(羽衣伝説)などが伝えられている。
羽衣伝説は日本(北海道から沖縄まで)や朝鮮半島などの各地に伝説が伝わって
おり、民俗学の上では渡来人説から異類婚姻譚の一つである白鳥処女説話の一種
とする説がある一方で、果てはオーパーツ / オーバーテクノロジー信奉者らによる宇
宙人と見なす説までみられる。
仙女(仙人の女性)との相関性も伝承中には見出せるが、両者の差異は曖昧である。
民間信仰における女性の神格性(女神)とは些か趣を異としており、天女自身が超常
の力を持つという描写は少なく、地上へは専ら何らかの連絡か個人的な用事(水浴び
など)のために訪れるというだけで、その存在自体は比較的俗である。

優しさと美しさを兼ね備えた女性を天女と例えることもある。ただこれは女神などと形
容する場合と同様に、崇拝に値するという意味であり、それ自体は美貌を唯一基準と
する個人崇拝の一種である。
( 天女wikiより )

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みるきー舞姫
秋の公演予告動画 第2回公開日:10月31日(日)22:00~23:00

公演場所: 舞姫御殿上空 特設会場
此処から会場付近にでます。  


Posted by hidesun(英寸) at 21:28Comments(0)和文化

2010年10月13日

扇子


扇子とかぐや姫


みるきー舞姫 夏祭舞姫より

扇子wikiより

数本から数十本の細長い竹や木で出来た骨を束ねて端の一点(要=かなめ)で
固定し、使わないときは折りたたみ、使用時に展開する。骨には大抵和紙が貼ら
れており、展開すると紙を貼られた部分が雁木形の扇面となる。折り畳むことでコ
ンパクトに納めることができる。開閉の方法は、骨を右手親指でずらすように押す
ことで開く。一般的には右利き用であるが、左利き用も販売されている。また、扇
子そのものを振ることで開く方法もある。
扇子を開く角度は、大体90度から180度の間であり、円を三等分した中心角120
度前後のものが主流である。扇子を開いた形は、「扇形(おうぎがた、せんけい)」
と言い、幾何学の用語にもなっている。このような扇子の形状は、「末広がり」に
通ずるので縁起のよいものとされてきた。そのため、めでたい席での引出物として
も用いられている。

「 種類 」
冬の扇
檜扇や中啓。主に儀礼用。中啓は能楽をはじめとする諸芸能でも使わ
れる。古くは10本骨の沈折(しずめおり)の扇も広く用いられ、これは夏冬共用で
あった。
夏の扇
蝙蝠扇。現在一般に市販されている両面貼りの骨の多い扇子も夏の扇である。
なお公家の夏の扇は江戸時代に至るも蝙蝠扇と称し、骨が扇の裏面に露出し
ていた。
軍扇
その昔武将が戦場に携えた扇。その形式は時代によっていくらか相違はある
が、だいたいは骨は黒の塗骨、表は赤地に金の丸で日輪をあらわし、裏は紺
色の地に銀で月と星(多くは北斗七星)を描くといったものであった。
鉄扇
親骨を鉄製にした扇。鉄の短冊を重ねたもの、また扇子の形を模しただけで開
かない鉄扇も存在する。携帯用の護身具、または鍛錬具として用いられる。
舞扇
沈折の扇。日本舞踊や歌舞伎で使われる。
祝儀扇 : 贈答用。
唐扇(中国扇)
中国大陸で作られた扇。またその形式を模したもの。日本から輸入された扇はや
がて中国でも真似て作られるようになり、その時日本の扇が骨の片面にだけ紙を
貼っていたのを、両面貼りとして骨の数も多くした。現在日本の夏に見られる扇子
の多くはこの形式によるものである。また両面貼りの形式は日本にも逆輸入され
、室町時代には中啓が現れるに至った。
洋扇
ヨーロッパで作られた扇。またその形式を模したもの。日本の扇は大航海時代に
中国を経由して西洋にまで輸出されて独自の発展を遂げ、17世紀のパリには扇
を扱う店が150軒を数えるほど、上流階級の女性のコミュニケーションの道具とし
て大流行した。ヨーロッパでは絹やレースを貼った洋扇に発展し、孔雀の羽根を
用いた扇子も作られた。
羽根扇子
羽で飾った洋扇。日本でこれを用いた例は宝塚歌劇に見る事ができる。主に歌劇
中の女性貴族の持ち物として用いられ、劇中の華やかさを彩る物となっている。
1990年代にはディスコで踊る時に使うのが流行し、ジュリアナ東京でも多く用いら
れたことからジュリ扇とも呼ばれた。またこの羽根扇子はストリップティーズなどの
舞台でも小道具として使われることがある。
飾り扇
部屋に飾り物として置く。たいていの場合飾り物としてそれ専用に作られたもの。
上にあげたそれぞれの扇の規格に沿って製作してはいないので、たとえば能楽や
日本舞踊などで飾り扇を使うことはできない。


犬夜叉 神楽 扇子

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みるきー舞姫 MOD竹取物語 11月17日()公演告知動画

  


Posted by hidesun(英寸) at 19:26Comments(0)和文化