2010年11月05日
須磨
第12帖 須磨(すま) 光源氏26歳3月から27歳3月の物語


花散里との出会い。 小休止的な短い巻。
自ら招いたあやまちで、源氏はその一生でもっともわびしかった須磨での生活を始めることになりました。
右大臣の陰謀から逃れ、静かにすべてを時の流れにまかせよう・・・と、自分から進んで身を引く決心をしたのです。
しかし、須磨に行くということは、罪人として都を追放されたと受け取られても仕方ありません。
ここでも源氏は「明石の君」という女性をつくり、子供まで産ませています。
源氏26才から27才。事態はますます険悪となり、このまま京にいたのでは政界から完全に放逐されかねないと、自主的に須磨への退去を決意します。
それにつけても気がかりなのは、他にたよる人のない紫の上を、ひとり京に残して行かねばならないこと。
源氏は、左大臣家と花散里、朧月夜らに別れを告げ、わずかな供人をつれ、都を去ります。
磨の住居は、在原行平の伝説で名高いあたりで、腹心の人々の心つかいによる風流な構えで、よく整えられていました。
しかし、語り合う人とてなく、紫の上、藤壷の宮、朧月夜、左大臣家の人々、伊勢の六条御息所、花散里らと消息を交わすことによって、わずかに慰められていました。
京では、朧月夜内侍が参内を許され、朱雀帝の寵を受けていましたが、やはり源氏のことが忘れられません。
秋がきて、須磨のわび住まいはあわれもひとしおで、源氏は琴をひき、絵を描き、和歌を詠み、精進の日々をすごします。
都では、月日がたつにつれ、帝をはじめ人々が源氏を惜しみ懐かしく思い出しますが、弘徽殿大后の意向をはばかって都からの便りも途絶え、須磨の冬がやるせなく過ぎていきます。
一方、源氏の血続きでもある、明石入道が、源氏の噂を聞き、最愛の娘を源氏に奉りたいと願っています。
春になり、今は帝相になっているライバル「頭の中将」がある日はるばる都から源氏をなぐさめにきて、一日をすごします。
三月はじめの巳の日。源氏は、或る人のすすすめもあって、海辺で開運の祓えをさせていました。
海辺はうららかに一面凪いで、源氏は過去のこと将来のことなどを次々に思い出していました。
そのうち、不思議なことに、にわかに空がまっくらとなり、暴風雨となり、雷が鳴り、稲妻がひかり・・・生きた心地もなく、ほうほうの体で戻ります。
風雨は一晩中吹き荒れ、明け方源氏は、怪しい夢におびやかされます。何やら気味わるく、急にこの地を去りたいと思い始めます。
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ますます窮地に追い込まれていく光源氏は、流罪を言い渡される前に自ら京都を離れ、須磨に都落ちすることにしました。そして、これまで散々契りを交わしてきた女性たちに次々と別れを告げていきます。紫の上は光源氏について行こうとしますが、光源氏は紫の上を気遣って同行を認めません。一方、朧月夜は朱雀帝に参内するようになりました。その後、須磨で侘しい生活を送る光源氏でしたが、隣町の明石の入道(あかしのにゅうどう)という仏門に入った元貴族が、自分の娘の明石の君(あかしのきみ)を光源氏に嫁がせようと画策します。最近ついてない光源氏は開運のお祓いをするために海岸に行きますが、そこでは雷まじりの暴風雨が吹き荒れます。こんなところにはもう住みたくないと思う光源氏でした。
Posted by hidesun(英寸) at 19:45│Comments(0)
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