
2011年01月18日
イザナミと火の神

【国産み神話の主人公であるイザナギ命とイザナミ命をお祀りしていると言う 淡路国一之宮の伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう) 】
イザナギとイザナミはたくさんの島をつくりはじめました。アワジの島、ツクシの島、イキの島、サドの島などです。
次に、イザナミはたくさんの神さまを生みはじめました。
家や土地の神さま、海の神さま、風や木や山や野の神さま、船の神さま、食べ物の神さまが次々に生まれ、最後に火の神さまが生まれました。
火の神さまの名前は軻遇突智(迦具土神:カグツチ)。
しかし、炎に包まれて生まれてきた火の神を生んだことでイザナミは大やけどを負ってしまい、そのことが原因でとうとう死んでしまいました。
「たった一人の子のために、いとしい人を失ってしまった」
大好きなイザナミが死んでしまったイザナキは悲しみ、大声で泣き続けました。
そうしているうちに、イザナギの心の中にカグツチへの怒(いか)りと憎(にく)しみがフツフツとわきあがってきました。
そして、とうとう腰にさげていた“十握の剣(とつかのつるぎ)”でカグツチを三つに切ってしまったのです。
イザナミを失い我が子さえも殺してしまったイザナギ。その悲しみはいつまでもやむことはありませんでした。
【 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】
撮影場所:大神稲荷
2011年01月17日
伊耶那岐命と伊耶那美命
伊耶那岐命(イザナギノミコト)と伊耶那美命(イザナミノミコト:イザナギノミコトの妻)
昔むかし、この世界で最初に天に現れましたのは、アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)という神様でした。次に、タカミムスビノカミ(高御産巣日神)とカミムスビノカミ(神産巣日神)という神様が出現なさいました。この三柱(みはしら。※神様の数は、「柱」で数えます。)の神様は、そのお姿を地上には、直接現しませんでした。
その次に、日本の国がまだ海に浮かぶ脂のごとく、くらげのようにただよっていた時に葦(あし)の芽が萌え上がるように現れたのは、ウマシアシカビヒコジノカミ(宇摩志阿斯訶備比古遅神)とアメノトコタチ(天之常立神)という神様でした。これらの五柱の神様は、コトアマツカミ(別天つ神)といって、それぞれ独身(ひとりみ)で現れた天の神様たちです。
その後、クニノトコタチノカミ(国之常立神)とトヨクモノカミ(豊雲野神)の二柱の神様が独身で現れました。その次からは、ご夫婦の神として五組の神々が現れました。そのうちの最後に現れましたのは、イザナギの神と(伊耶那岐命=イザナギノミコト)とイザナミの女神(イザナミノミコト=伊耶那美命)のご夫婦の神様です。(以上、クニノトコタチの神からイザナミの女神までを「神代七代(かみよななよ)」といいます。
ある時、天の神様たちは、イザナギノミコトとイザナミノミコトに「この海の中にふわふわと漂っている国をしっかりと固めて完成させてほしい。」とおっしゃって、天にあるりっぱな矛(ほこ)をお授けになられました。
そこで、イザナギノミコトとイザナミノミコトは、天からつながっている浮桟橋(うきさんばし)までやって来て、矛を降ろして、下界の海水をゴロゴロと掻き回してから、引き上げてみました。その時に、矛の先からしたたる海水が重なってできたのがオノゴロ島(大阪湾内の島)です。イザナギノミコトとイザナミノミコトは、その島に天から降り立って、天の神聖な大きな柱をお立てになり、その柱を中心として大きな御殿を作られました。そして、イザナギノミコトは、妻のイザナミノミコトにお尋ねになりました。
「あなたの身体はどのようになっていますか?」
「私の身体は、すっかり美しく出来上がっていますが、一カ所だけ出来きれていないところがあります。」
とイザナミノミコトがお答えになられると、
「ほう、私の身体もよく出来上がっているが、一カ所だけ出来き過ぎたところがあります。では、私のからだの出来すぎたところをあなたの身体の出来きれないところに刺して、塞いで、この国を生みたいと思うのだが、どうだろうか?」
「それがよろしいでしょう。」
とイザナミノミコトもおっしゃいましたので、イザナギノミコトは、
「では、私とあなたはこの天の御柱(あめのみはしら)を回って出会い、男女の交わりをいたしましょう。私は、右から回るので、あなたは、左から回ってみてください。」と約束されてから、お回りになったときに、妻が先に「まあ、本当にすてきな男性ですね。」
とおしゃって、その次に夫が、
「やあ、本当に美しい女性ですね。」
とおっしゃいました。それぞれが言い終わった後に、イザナギノミコトは、
「どうも女が先に言うのはしっくりとこない。」
とおっしゃいましたが、ともかく暗い場所で子をお生みになりました。しかし、この子はとても醜くい子であったので、葦の船に乗せて流してしまわれました。次に淡島(あわしま。四国の阿波地方=現在の徳島県を指す)をお生みになりましたが、これも子どもとはみなされませんでした。
【 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】
撮影場所:大神稲荷
2011年01月15日
木花咲耶姫
コノハナノサクヤビメは、日本神話に登場する女神。一般的には木花咲耶姫と記される。また『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記する。コノハナサクヤビメ、コノハナサクヤヒメ、又は単にサクヤビメと呼ばれることもある。『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハナノサクヤビメは別名としている。

【大神より: サクヤ姫とアマテラス】
コノハナノサクヤビメは木の花(桜の花)が咲くように美しい女性の意味である。カムアタツヒメの「阿多」は薩摩国阿多郡阿多郷(現在の鹿児島県南さつま市金峰町周辺)のことであるとされている。つまり阿多隼人の出身であり、その首領の娘という意味をもつ。
信仰
富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている。
火中出産の説話から火の神とされ、各地の山を統括する神である父のオオヤマツミから、火山である日本一の秀峰「富士山」譲られた。祀られるようになり富士山に鎮座して東日本一帯を守護することになった。
ただし、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社の社伝では、コノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとしている。また、この説話から妻の守護神、安産の神、子育ての神とされている。また富士山本宮浅間大社では、コノハナノサクヤビメにちなんて、桜の木をご神木としている。
さらに、ホオリらが産まれた時にオオヤマツミが狭名田の茂穂をもって、今日の甘酒とされる天舐酒(アマノタムケザケ)を造ったとの説話があることから、オオヤマツミはサカトケノカミ(酒解神)、コノハナノサクヤビメはサカトケコノカミ(酒解子神)と呼ばれて、酒造の神ともされる。
浅間神社の他、安産や子育ての神として子安神社(皇大神宮所管社、東京都八王子市など)に、酒解子神として梅宮大社(京都府右京区)に、また、伊都国の中心、福岡県前原市三雲に姉の磐長姫(イワナガヒメ)とともに細石神社(さざれいし神社)にも祀られている。
【 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】
撮影場所:大神稲荷

【大神より: サクヤ姫とアマテラス】
コノハナノサクヤビメは木の花(桜の花)が咲くように美しい女性の意味である。カムアタツヒメの「阿多」は薩摩国阿多郡阿多郷(現在の鹿児島県南さつま市金峰町周辺)のことであるとされている。つまり阿多隼人の出身であり、その首領の娘という意味をもつ。
信仰
富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている。
火中出産の説話から火の神とされ、各地の山を統括する神である父のオオヤマツミから、火山である日本一の秀峰「富士山」譲られた。祀られるようになり富士山に鎮座して東日本一帯を守護することになった。
ただし、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社の社伝では、コノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとしている。また、この説話から妻の守護神、安産の神、子育ての神とされている。また富士山本宮浅間大社では、コノハナノサクヤビメにちなんて、桜の木をご神木としている。
さらに、ホオリらが産まれた時にオオヤマツミが狭名田の茂穂をもって、今日の甘酒とされる天舐酒(アマノタムケザケ)を造ったとの説話があることから、オオヤマツミはサカトケノカミ(酒解神)、コノハナノサクヤビメはサカトケコノカミ(酒解子神)と呼ばれて、酒造の神ともされる。
浅間神社の他、安産や子育ての神として子安神社(皇大神宮所管社、東京都八王子市など)に、酒解子神として梅宮大社(京都府右京区)に、また、伊都国の中心、福岡県前原市三雲に姉の磐長姫(イワナガヒメ)とともに細石神社(さざれいし神社)にも祀られている。
【 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】
撮影場所:大神稲荷
2011年01月14日
八塩折之酒
八塩折之酒(やしおりのさけ)

【大神より】
スサノオがヤマタノオロチを退治する際に用いた酒。 『古事記』や『日本書紀』の中で最初に現われる酒がこの八塩折之酒です。
高天原での暴虐がたたり、中つ国へと追放されたスサノオであったが、そこでアシナヅチとテシナヅチ、そして娘のクシナダと出会う。元々クシナダには7人の姉がいたが、毎年一人づつヤマタノオロチに食われてしまい、もうじきクシナダも食われてしまうのだという。スサノオはクシナダを妻にするのと引き換えにヤマタノオロチを倒すことを約束する。
テシナヅチとアシナヅチに非常に強い酒を造らせ、それを8つの瓶に入れクシナダを櫛に変えてスサノオはヤマタノオロチを待つ。クシナダを食いにきたヤマタノオロチは、良い香りのする酒に誘われてそれぞれの瓶に首をつっこんで飲み始めた。しかしいかにヤマタノオロチと言えど八塩折之酒の威力には勝てず、たちまちのうちに酔っ払ってしまう。
そこを狙ってスサノオはアマノハハキリにてオロチの首を撥ね、尾を引き裂いて退治したのであった。
原材料は、少なくとも米ではなく木の実などを用いた酒であるらしい。八塩折とは「さまざまな木の実で何度も繰り返す」という意味であるため、おそらくは醸造を幾度も幾度も繰り返した酒で仕込んだ酒なのだろうといわれている。ちなみに、日本で一番最初に米を用いた酒はコノハサクヤヒメが造った天甜酒だといわれている。コノハサクヤヒメが噛んで唾液と塗した米を醗酵させた口噛み酒であるとの事。
【 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】
撮影場所:大神稲荷

【大神より】
スサノオがヤマタノオロチを退治する際に用いた酒。 『古事記』や『日本書紀』の中で最初に現われる酒がこの八塩折之酒です。
高天原での暴虐がたたり、中つ国へと追放されたスサノオであったが、そこでアシナヅチとテシナヅチ、そして娘のクシナダと出会う。元々クシナダには7人の姉がいたが、毎年一人づつヤマタノオロチに食われてしまい、もうじきクシナダも食われてしまうのだという。スサノオはクシナダを妻にするのと引き換えにヤマタノオロチを倒すことを約束する。
テシナヅチとアシナヅチに非常に強い酒を造らせ、それを8つの瓶に入れクシナダを櫛に変えてスサノオはヤマタノオロチを待つ。クシナダを食いにきたヤマタノオロチは、良い香りのする酒に誘われてそれぞれの瓶に首をつっこんで飲み始めた。しかしいかにヤマタノオロチと言えど八塩折之酒の威力には勝てず、たちまちのうちに酔っ払ってしまう。
そこを狙ってスサノオはアマノハハキリにてオロチの首を撥ね、尾を引き裂いて退治したのであった。
原材料は、少なくとも米ではなく木の実などを用いた酒であるらしい。八塩折とは「さまざまな木の実で何度も繰り返す」という意味であるため、おそらくは醸造を幾度も幾度も繰り返した酒で仕込んだ酒なのだろうといわれている。ちなみに、日本で一番最初に米を用いた酒はコノハサクヤヒメが造った天甜酒だといわれている。コノハサクヤヒメが噛んで唾液と塗した米を醗酵させた口噛み酒であるとの事。
【 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】
撮影場所:大神稲荷
2011年01月04日
天照大神(2)

『 (1)より続き 』
太陽神に隠れられてはたまりません。世の中真っ暗闇になってしまいました。そこで困った神々は一計を案じ、岩戸の前に八尺勾玉をさげ、八咫鏡(やたのかがみ)をぶらさげて、天宇受売神(あめのうずめのかみ)がその前で踊りを踊りました。その踊りが余りおかしかった為、居ならぶ神様はどっと吹き出します。
その笑い声を聞いた天照大神は「いったい何事?」と少し岩戸を開けて様子を見ようとしました。すると天宇受売神が「あなた様よりもっと尊い神様がいらっしゃったのです」といいます。そして天児屋命と布刀玉命が鏡をそばに寄せますと、そこに映った自分の姿が輝いて見えます。どんな神なのかと思い、もう少しよく見ようと岩戸をもう少し開けますと、そこで控えていた天手力男神(あめのたぢからおのかみ)がグイと天照大神の手を引いて岩戸から引出し、布刀玉命(ふとだまのみこと)がサッとしめ縄を渡して中に戻れないようにしました。かくして高天原に光が戻ったのです。
天照大神は現在伊勢神宮に祭られています。その時の八咫鏡も天皇家の三種の神器の一つとして、そこに祭ってあります。八尺勾玉は皇居に祭られています。
天照大神の信仰が日本書紀に最初に登場するのは崇神天皇の巻で、天皇の娘である豊鍬入姫が天照大神を大和の笠縫邑に祀ったという記事があります。そして次の垂仁天皇の代になって、今度は垂仁天皇の娘である倭姫(やまとひめ)が天照大神を祀るのにふさわしい場所を探して各地を尋ね歩く話が出てきます。
倭姫は宇陀の篠幡、近江の国、美濃、とめぐった後で伊勢に入りますが、その時「ここは辺鄙な土地だけど波が打ち寄せる美しい国である。私はここに留まりたい」という神託があります。そこで倭姫はそこに宮を建てて天照大神をお祭りしました。

【 堺町内神社 : 大神稲荷 Flash画像×16枚 】
撮影場所:大神稲荷
2011年01月03日
天照大神(1)
天照大神(あまてらす・おおみかみ)は日本の神様の中で最高神の地位を占める神様で、太陽の神であり、高天原(たかまがはら)の主宰神です。

古来より男性神説と女性神説とがありましたが近年は女性神説が有力です。その根拠の一つは日本書紀の神代(上)の巻で素戔嗚尊(すさのおのみこと)が天照大神を「姉」と呼んでいるところによります。(古事記には性別を匂わす記述はありません)また弟の乱暴に起こって天岩戸(あまのいわと)に閉じ篭ってしまうというエピソードも女性的です。
男性神説を取る人たちは、これを推古天皇即位をスムーズに行なうために「こんな偉い女性の神様がいるのだから女性が天皇になってもいい」という論理を持ち出すため蘇我一族あたりが捏造したものである、と主張しているようです(ただし推古天皇以前にも清寧天皇崩御の後、顕宗天皇と仁賢天皇が互いに譲り合って天皇が定まらなかったため、飯豊皇女が事実上の天皇として執務なさったことがあります。またそれ以前に神功皇后の例もあります)。まぁ男性中心主義者の「最高神が女だとはけしからん」調の議論は論外ですが。しかし、もともと日本は農耕民族で女系社会ですので、私は最高神が女性神であるのはむしろ自然なことではないかと考えます。
天照大神はイザナギの神から生まれました。この話はイザナギの神の所にも出ましたが、イザナギ神が亡き妻イザナミ神を慕って黄泉の国に行くも、結局逃げ帰り、その時戻ってから川でみそぎをするのですが、その時に左目を洗ったときに天照大神、右目を洗った時に月読尊(つくよみのみこと)、鼻を洗った時に須左之男命(すさのおのみこと)が生まれたとされます。この三柱の神を三貴子といいます。そしてイザナギ神の指示で天照大神は高天原を治め、月読尊は夜の世界を治め、須左之男命は海を治めることになります。しかし須左之男命は泣いてばかりいて全く仕事をせず、イザナギ神に自分はイザナミ神のいる根の国に行きたいといいます。イザナギ神が呆れて須左之男命を海から追放すると、須左之男命は姉に別れを告げてから根の国に行くと行って高天原におもむきます。ところがこの時の須左之男命の勢いが凄まじかったため、天照大神は須左之男命が高天原を乗っ取りに来たのかと武装して待ち受け、須左之男命に対峙して「何をしに来たのだ」と問いただします。
これに対して須左之男命は自分は単に別れを言いに来ただけで他意は無いといいます。そして子供をもうけてその証を立てましょうということになり、細かい話は省略しますが、須左之男命の十拳剣(とつかのつるぎ)から宗像の三柱の女神、天照大神の八尺勾玉(やさかのまがたま)から天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命の五柱の男神が生まれたため、須左之男命はこの誓約(うけい)に勝ったことになり、高天原にしばらく滞在を許されます。
ところが須左之男命は元々荒っぽい神である為、高天原滞在中にたんぼの畦道は壊すわ、神殿に糞はするわ、乱暴な行ないを続けます。最初は天照大神も弟のことだからいろいろとかばっていましたが、やがて天照大神の配下の機織娘が須左之男命の乱暴のために事故死するに至って、とうとう機嫌を損ねて、天岩戸(あまのいわと)に引き篭ってしまいます。

【 堺町内神社 : 大神稲荷 画像 】
両替屋さんの角を東に折れると鳥居がございます。

西の路地よりおでん屋さんの脇を進んでも行けます。

連なった鳥居をくぐり抜けます。

階段を昇ります。

神使のキツネがみえます。

お帰りには「舞姫破魔矢」と「年酒」を。

大神稲荷

古来より男性神説と女性神説とがありましたが近年は女性神説が有力です。その根拠の一つは日本書紀の神代(上)の巻で素戔嗚尊(すさのおのみこと)が天照大神を「姉」と呼んでいるところによります。(古事記には性別を匂わす記述はありません)また弟の乱暴に起こって天岩戸(あまのいわと)に閉じ篭ってしまうというエピソードも女性的です。
男性神説を取る人たちは、これを推古天皇即位をスムーズに行なうために「こんな偉い女性の神様がいるのだから女性が天皇になってもいい」という論理を持ち出すため蘇我一族あたりが捏造したものである、と主張しているようです(ただし推古天皇以前にも清寧天皇崩御の後、顕宗天皇と仁賢天皇が互いに譲り合って天皇が定まらなかったため、飯豊皇女が事実上の天皇として執務なさったことがあります。またそれ以前に神功皇后の例もあります)。まぁ男性中心主義者の「最高神が女だとはけしからん」調の議論は論外ですが。しかし、もともと日本は農耕民族で女系社会ですので、私は最高神が女性神であるのはむしろ自然なことではないかと考えます。
天照大神はイザナギの神から生まれました。この話はイザナギの神の所にも出ましたが、イザナギ神が亡き妻イザナミ神を慕って黄泉の国に行くも、結局逃げ帰り、その時戻ってから川でみそぎをするのですが、その時に左目を洗ったときに天照大神、右目を洗った時に月読尊(つくよみのみこと)、鼻を洗った時に須左之男命(すさのおのみこと)が生まれたとされます。この三柱の神を三貴子といいます。そしてイザナギ神の指示で天照大神は高天原を治め、月読尊は夜の世界を治め、須左之男命は海を治めることになります。しかし須左之男命は泣いてばかりいて全く仕事をせず、イザナギ神に自分はイザナミ神のいる根の国に行きたいといいます。イザナギ神が呆れて須左之男命を海から追放すると、須左之男命は姉に別れを告げてから根の国に行くと行って高天原におもむきます。ところがこの時の須左之男命の勢いが凄まじかったため、天照大神は須左之男命が高天原を乗っ取りに来たのかと武装して待ち受け、須左之男命に対峙して「何をしに来たのだ」と問いただします。
これに対して須左之男命は自分は単に別れを言いに来ただけで他意は無いといいます。そして子供をもうけてその証を立てましょうということになり、細かい話は省略しますが、須左之男命の十拳剣(とつかのつるぎ)から宗像の三柱の女神、天照大神の八尺勾玉(やさかのまがたま)から天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命の五柱の男神が生まれたため、須左之男命はこの誓約(うけい)に勝ったことになり、高天原にしばらく滞在を許されます。
ところが須左之男命は元々荒っぽい神である為、高天原滞在中にたんぼの畦道は壊すわ、神殿に糞はするわ、乱暴な行ないを続けます。最初は天照大神も弟のことだからいろいろとかばっていましたが、やがて天照大神の配下の機織娘が須左之男命の乱暴のために事故死するに至って、とうとう機嫌を損ねて、天岩戸(あまのいわと)に引き篭ってしまいます。

【 堺町内神社 : 大神稲荷 画像 】
両替屋さんの角を東に折れると鳥居がございます。

西の路地よりおでん屋さんの脇を進んでも行けます。

連なった鳥居をくぐり抜けます。

階段を昇ります。

神使のキツネがみえます。

お帰りには「舞姫破魔矢」と「年酒」を。

大神稲荷