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2011年05月23日

干支 【 酉 】




酉は鶏を表し、干支の由来には、神様へ新年のご挨拶に向かった十二支の動物の内、猿と犬の喧嘩を仲裁する為に、猿と犬に挟まれた10番目の干支になったそうです。鶏は時代を先取る能力に長けており、予知能力があるとも言われていたようです。時を告げる鳥は鶏だけであり、人間に時を知らせる生き物として昔から重宝がられてきました。その規則正しい行動から、酉年の方の性格は、計画性があって几帳面、無駄がない合理的な部分があります。財を成す方も多いとされますが、芸術方面にも才能があるとされています。

干支の由来に、酉は「糸酉」(しゅう:「ちぢむ」)という字義があって、後に覚えやすいように酉の字が当てられています。酉が付く言葉に、酉の市があります。酉の市とは、日本武尊を祀った鷲神社(おおとりじんじゃ)の11月の酉の日に開催されるお祭りで、竹熊手に賑やかに稲穂やお札を付ける「熊手守り」が売られます。酉は「とりこむ」に通じると、商売などには縁起の良い干支であるとされ、 ワシが獲物をわしづかみすることから、「熊手守り」は商売繁盛の縁起物として有名になりました。

酉は西の方角を表し、字義は実った果実がまさに熟した状態を示しています。

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※ ハント品等の詳細は、こちら

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● MilkyHouse_SIM 動画 『 撮影時期 : 2010年 5月 』  
● キャプチャソフト : Fraps youtube動画


【 Milky House着物 : 桜夜月 】 

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2011年05月21日

干支 【 申 】




申とは猿であり、干支の由来に神様へのご挨拶へ行くのに犬と喧嘩しながら到着したので今でも犬とは仲が悪く、折り合いが悪い事を「犬猿の仲」というのはここに起縁するとされています。猿は行動力があり、活発的な生き物であり、申年の方は積極的でユーモアのセンスある行動派であるとされます。始終動き回るので、気短であるともされますが、明るい性格は話題豊富で絶えず人の中心にいるような性質です。

干支の由来となった申には「呻」(しん:「うめく」)という意義があり、十二支として浸透しやすいように申の字が当てられています。申は南西微北の意味を表し、旧暦7月を指しており、季節が秋になって草木に実った果実が成熟して固まって行く状態を意味しています。

申に由来した言葉に甲子園がありますが、野球場の甲子園は正式名称が阪神甲子園球場で、丁度十干十二支の最初の組み合わせに当たる甲子年(きのえねのとし)だった1924年に建築されたので、この年を取って阪神電車甲子園大運動場と決められ、後の1964年に現在の名称に改められています。


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日時 5月29日(日) 22:00~24:00

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 みるきー舞姫 睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2011年1月
  


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2011年05月20日

干支 【 未 】



未は羊であり、十二支の中でも牛や馬などと並び人間との付き合いが長い動物です。羊はとても馴染み深い生き物であるためか、羊に関連する事柄が多く、世界各地に羊との関連ある言い伝えやことわざなどが残っています。

紙が発明される以前は羊の皮を利用して、羊皮紙が作られました。時に宗教とも絡み、羊はキリスト教徒を示す隠語として使われ、はぐれた羊の事は信仰心が薄い者を意味します。旧約時代の昔、羊は神に捧げる生贄として代表的なもので、今でもユダヤ教徒は過越祭に羊を食べます。

さて、干支の由来についてですが、未は字義が「味」(み:「あじ」)であり、草木の果実がいよいよ熟し、丁度滋養溢れた状態になることを指しており、後に羊の字が当てられます。方角で未といえば南西微南を表します。また、羊はめでたい善良な動物であり、同じ行動を取って大勢で暮す事から、群の漢字は羊から作られました。

未年の方の性格は、穏やかで人情家ですが、頑固ともいえる芯の強さを持ち、大人しそうでありながらファイトがあるとされます。群れなす羊は家族の安泰を意味しており、財テクなどの才を持つともいわれるので、財を成すことに向いた方が多い様です。

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日時 5月29日(日) 22:00~24:00

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【 Milky House着物 : 桜夜月 】 

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 みるきー舞姫 睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2011年1月
  


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2011年05月19日

干支 【 午 】



午は馬に当たる干支で、古くから人間と馬の関係は深く、家畜・労働力としてとても役に立つ生き物であり、戦の時には機動力として軍馬は絶対不可欠なものでした。
干支の由来は、7番目に神様の御殿に着いた事から、十二支の7番目になったされています。
馬は一説によると北アメリカ原産といわれますが、世界各地に野生馬として広く生息しており、歴史は極めて古く、今から1万5千年前に当たる旧石器時代の遺跡として名高いフランス・ラスコー洞窟に馬の姿が残されています。

日本でも馬に関する伝承があり、『日本書紀』にも馬が登場します。
干支の由来から、午は元々は「忤」(ご:「つきあたる」「さからう」)であり、後に馬の字が当てられました。字義に草木の成長が極限を過ぎて、衰えを見せ始める状態を表し、方角は南を示します。午に関する言葉に正午がありますが、これは午が12時を表現する字であったので、これが現在も残り、午前と午後は正午を挟む事で区別されるようになりました。

午年の方は明るく流行に敏感で開放的とされます。 頭の回転がいいのも午年の特徴とされ、社交的な部分がありますから人気者になるとされています。

【 Milky House1周年特別公演のお知らせ 】
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日時 5月29日(日) 22:00~24:00

※ 詳細は こちら

【 Milky House新作 :Kids 】 
  
MilkyHouse 本店

 みるきー舞姫 睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2011年1月
  


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2011年05月18日

干支 【 巳 】



巳は蛇を表します。干支の由来は馴染みある蛇を巳に当てられ、言い伝えに怪我をした蛇を助けた随時代の王にそれは美しい宝玉を与えたとか、白蛇を助けた漁師は蛇の恩返しで大金持ちになったという話があります。この話によるのか、蛇は金運にご利益があるとされ、蛇の縁起物を飾る方も多い様です。
日本では昔から蛇はお金に縁の深い生き物とされてきました。
その昔、蛇は大地母神の象徴であって、脱皮を繰り返す事は死と再生のシンボルでもあり、多産と豊穣を表すともされました。
特に白い蛇は神の使いであるとされ、神社に祭られたりもしており、山口県岩国市の「岩国のシロヘビ」は1924年に天然記念物に指定されています。

世界でも蛇を神格化する国は多く、杖に蛇が絡みついた「アスクレピオスの杖」は西洋における医学のシンボルとして見かける事があるでしょう。
又、蛇の抜け殻はお金が貯まるとして、お財布に入れる方もいます。

干支の由来に、巳は「已」(い「止む」)からこの字を当てたとされ、木々が生長しきって枯れ出す前の衰え始めた状態を指し、方角は南東微南です。
巳年の方の性格は執念深いといわれますが、情熱的でビジネスで成功するともいわれます。

【 Milky House新作 :Kids 】 
  
MilkyHouse 本店

【 画像: Nihon_no_Tororo_SKIN 】 

 みるきー舞姫 睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2011年1月
  


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2011年05月17日

干支 【 辰 】



竜は辰、龍とも表記されますが、英語ではドラゴン、十二支の中で唯一空想上の生き物です。東洋では威厳ある霊獣で、西洋では悪魔と同列と、東洋と西洋ではその存在に大きな違いがあります。
干支の由来としては、古来より竜は高貴の象徴とされており、皇帝のみが使う事を許された文様とされています。
辰はお目出度い印・吉兆として最高の文様で、権力の象徴でありました。
又、竜は変身するとして、臨機応変な政治力が求められる皇帝の正装・十二章(しょう)の模様となり、以降皇帝のシンボルは竜となったようです。 しかし、現在多くの竜文様の食器や衣類などが広まっているのは、皇帝は5本指の竜を使い、唐時代に入った頃になると、四本指や三本指の竜文様を家臣などに褒美などとして授ける様になって、さらに庶民にも竜文様が浸透したのです。

竜年は正義感と信用の性格とされ、知識欲旺盛で、冒険や夢を追いかけるロマンチストであるといわれます。
竜は天を駆け上る事から、リーダーになる方も多い様です。方角では東南微北で、旧暦4月を表し木々が茂り出す整った状態を示します。

字議は「振」(しん:「ふるう」「ととのう」の意味)で、草木の形が整った状態を表しているとされます。

【 Milky House新作 :Kids 】 
  
MilkyHouse 本店

【 画像: Nihon_no_Tororo_SKIN 】 

 みるきー舞姫 睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2011年1月
  


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2011年05月16日

干支 【 卯 】



今年は卯年。卯はうさぎで、素早い動きとジャンプ力が特技のうさぎは、ことわざに「うさぎの上り坂」とあるように、良い方向に進む躍動感ある生き物です。卯年は進歩のある年とされているようで、可愛らしい雰囲気から干支の置物や兎の縁起物は人気が高くなっています。

うさぎは家族で行動するためか、家族愛を象徴する干支でもあり、卯年の方は温厚な方が多く、人間関係を上手に築いていく優しい性格であるようです。ただし、卯年の方は慎重で配慮が効く反面、先走りしないようにすると上手くいくとされています。

干支の由来に、神様への新年のご挨拶に十二の動物が集ったとされ、その時の順番に従って子丑寅卯辰・・・となり、人間との馴染みも深い猫は日本の干支ではいません。しかし、干支はアジアでは共通して使われている事が多く、中には猫年がある国もあります。タイ、チベットやモンゴルの一部ではその場合卯年の代わりに猫年が入っていて、国によって十二支の動物は違っているようです。

卯は方角を表す時には東を示し、卯は「茂(ぼう:しげる)もしくは「冒」(ぼう:おおう)意義があって、旧暦の2月の頃、春めき草木が地面を茂りだす状態を表しているとされます。


【 画像: Nihon_no_Tororo_SKIN 】 

 みるきー舞姫 睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2011年1月
  


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2011年05月14日

干支 【 寅 】


寅は虎の字を当てます。
十二支の中でも勇ましいイメージがあるのですが、十二支の中では決断力と才知を持った性格とされ、意思が強くて実行力もあるので、最後までやり抜く力があります。面倒見の良さから、頼られる事も多く、強いリーダーシップを発揮する事もあるようです。

寅の干支の由来として、こんな話があります。
その昔、虎は天に輝く星であったという言い伝えがあり、その美しい毛皮が夜空の星に例えられ、「枢星散じて寅となる」という言葉が残っています。干支の由来に関連する虎の伝承に、粘菌の研究で知られた菌類学者で、博物学者でもあった南方熊楠(みなかた くまぐす)も、著書『十二支考』の中で、「支那では人ばかりか枢星の精も虎と為るという~」という記述をしております。虎は十二支が成立した遥か昔から、畏れる動物として神秘的な存在でした。
当時の星とは、やはり天にあるものとして神秘的でありましたし、暦の上でも重要で、特に北斗七星は重要な星座で、その第一の星の名前は「天枢」と呼ばれています。

寅は東北の方角に当たり、隣の丑と寅の中間は丑寅で、鬼門とされます。
鬼門は鬼や穢れが侵入しやすい方角として、魔よけのお札を貼ったりなどが今でも行われています。


【 画像: Nihon_no_Tororo_SKIN 】 

 みるきー舞姫 睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2011年1月
  


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2011年05月13日

干支 【 丑 】


丑は牛を指し、古来より人間と深く馴染みのある家畜のひとつで、大事な食料であり、農作業や運搬などの労働力であった牛は、社会とも密接に関わる動物でした。
丑といえば旧暦12月の事でもあり、種の中に生まれた命が未だ芽を伸ばすに至らない状態を意味する漢字です。
方角は北よりの北東で、時間を表す時に聞かれる「草木も眠る丑三つ時・・・」とは、午前2時から2時半の一番夜が深まる時間を差しています。
干支の由来はその昔、神様への新年のご挨拶へいち早く行動し、歩みが遅いながらもゆっくりと着実に進んで行き、誰よりも早く神様の御殿に着きました。
しかし、一番乗りはねずみに持っていかれましたが、粘り強さがある事と、努力家である事は認められ、干支の2番目の動物となっています。

牛は人間の家畜として、肉はもちろん、皮や骨に至るまでほぼ無駄なく利用されてきました。そのためか、地名や人名などに牛はよく登場し、牛に因む言葉やことわざも多く残っています。
例えば「牛歩」「食べて直ぐに寝ると牛になる」といった言葉は、牛の行動からとられています。
丑年の方の性格に、粘り強さと誠実さが上げられ、牛の本能的な生命力の高さから、困難にも耐えて前に突き進むパワーを持った方が多いとされています。


【 画像: Nihon_no_Tororo_SKIN 】 

【 みるきー舞姫 MOD竹取物語 】

● キャプチャソフト : Bandicam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2010年10月  


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2011年05月12日

干支 【 子 】


子はねずみを表しており、干支の由来となるねずみの繁殖力はとても強く、転じて子孫繁栄・財力の象徴となりました。
子年の方はねずみのようにマメに動くために、行動力と計画性のある明るい性格だと言われます。
また、子年の方は家族愛があり、直観力にも優れますが、少々感情的な部分もあるようです。
子は方位で北を指し、午は南を意味するので、経線の事を子午線と呼ぶのはこれに由来しています。
干支の由来は、昔、神様が動物達に元旦になったら挨拶に来るようにとのお触れを出した時、歩みの遅い牛が、道中時間が掛かるからと一足早く出掛けると、ねずみはそっと牛の背中に飛び乗って行きました。
神様の許にたどり着くと誰も来ておらず、牛は自分が一番乗りだと思っていましたが、いざ、神様へのご挨拶をしようとした時には、とたんに牛の背中からねずみは飛び降り、そのまま走って一番乗りになりました。
そのため、干支は子年から始まる事になったという話です。

また、干支の由来で子年に絡む話として、猫がねずみを追い掛け回すのは、神様のところに行く日をねずみがワザと間違えて猫に伝えたために干支の仲間入りする事が叶わず、それを恨んだ猫がねずみを追い回すようになったそうです。

【 画像:Tororo_SKIN 110427】 

【 みるきー舞姫 MOD竹取物語 】

● キャプチャソフト : Bandicam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2010年10月  


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2011年05月11日


竜(りゅう、りょう)は、中国神話の生物。古来より神秘的な存在として位置づけられてきた。
旧字体では「龍」だが、字としては「竜」の方が古く、甲骨文字から使われている。荘厳にするため複雑にしたのが「龍」である。
竜は神獣・霊獣であり、『史記』における劉邦出生伝説以来、中国では皇帝のシンボルとして扱われた。水中か地中に棲むとされることが多い。その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、また竜巻となって天空に昇り自在に飛翔すると言われる。
「竜に九似あり」とされ、角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼(幽霊)あるいは兎、体は大蛇、腹は蜃、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛にそれぞれ似るという。また口辺に長髯をたくわえ、喉下には一尺四方の逆鱗があり、顎下に宝珠を持っていると言われる。秋になると淵の中に潜み、春には天に昇るとも言う。
十二支に各々動物が当てはめられた際、唯一採用された伝説上の生物である。後漢の王充『論衡』言毒篇に「辰為龍、巳為蛇。辰、巳之位在東南」とあるのが、確かめられる最も古い記述である。なぜ辰だけが想像上の動物になったのかは未だに議論の的であり、定説がない。

様々な文化とともに中国から伝来し、元々日本にあった蛇神信仰と融合した。中世以降の解釈では日本神話に登場する八岐大蛇も竜の一種とされることがある。古墳などに見られる四神の青竜が有名だが、他にも水の神として各地で民間信仰の対象となった。九頭竜伝承は特に有名である。灌漑技術が未熟だった時代には、旱魃が続くと、竜神に食べ物や生け贄を捧げたり、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いが行われている。有名なものでは、神泉苑(二条城南)で弘法大師が祈りを捧げて善女竜王(清瀧権現)を呼び、雨を降らせたという逸話がある。
日本国内には、京都府の相国寺、栃木県の日光東照宮の薬師堂、長野県の妙見寺など、3箇所の寺院で「鳴竜」などと呼ばれる仕掛けがある。これは堂宇の天井に大きな龍の絵が描かれており、この真下で拍子木を打ったり拍手をすると、定在波によりパァァーンと響き、それが竜が鳴いているように聞こえるものである。【龍wiki】

【 画像:Tororo_SKIN 110427】 


【 みるきー舞姫 MOD竹取物語 】

● キャプチャソフト : Bandicam / HD youtube動画
● 撮影月 : 2010年10月  


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2011年04月10日

言霊

言霊(ことだま)とは、日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のことです。言魂とも書きます。清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のことです。その法則についての学問を言霊学といいます。

声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。

自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命(ヤマトタケルノミコト)が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。

「ことだま」とは、前述のように、「ことば」に込められた「珠」や「魂」の事。
本来、善良なものとして使用される。 邪悪な事象に関しては、「ことかえ」の儀式にて転換・変換し、善良なるものへと移行させる。 きちんと正しい心を持って正確に使用する事によって、「ことだま」が自然発動的に存在する全てを生かし、「ことかえ」が行われ、より善良で高度な精神性がもたらされ維持される。天孫降臨以来、受け継がれている日本古来の伝統である。
【言霊wiki】


【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land  


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2011年04月06日

天孫降臨②


【天孫降臨①より続き】
地上の国が天照大神の子に譲られることになったので、天照大神は最初の予定通り天之忍穂耳命を下らせようとしますが、この時天之忍穂耳命に子供が生まれたので、その子(天照の孫)迩迩芸命が代わって降臨することになりました。

この迩迩芸命(正式には天迩岐志・国迩岐志・天津日高日子番能・迩迩芸命)には八尺の勾玉・鏡・草薙剣の三種の神器が渡され、天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命・思金神・手力男神・天石門別神・登由気神・天石戸別神・などの神が付きしたがって地上へと降りて行きました。

この時、道の途中に何やら見知らぬ神の姿がありました。ここで居並ぶ神たちは恐れをなして近付きたがらないのですが、天宇受売神が様子を見に行きます。そして「あなたは誰ですか?」と尋ねるとその人物は「私は国津神で猿田彦神といいます。天孫が降りて来ると聞き、道案内をする為にやってきました」と言いました。

そこで一行は猿田彦神に先導を頼み、地上へと降りて行くのです。神々が降りて来た地は宮崎県の高千穂の地でした。

さて、迩迩芸命が地上に降りてからある時、海岸で一人の美女に出会います。迩迩芸命が名を尋ねると「私は大山津見神の娘で木花之咲夜姫といいます」と答えました。そこで迩迩芸命は咲夜姫に結婚を申し込むのですが、咲夜姫は謹み深く「私の父に言って下さい」と答えます。
そこで迩迩芸命が大山津見神の所に行き、咲夜姫との結婚を申し込むと大山津見神は喜んで、では姉の石長姫も一緒に娶って下さいといい、たくさんの婚礼用品を添えて二人の娘を迩迩芸命の所にやりました。

ところが石長姫の方は不美人だったため、迩迩芸命は「この娘はいらない」と言って返してしまいます。すると大山祇神は「石長姫とも結婚していたら、あなたの子孫は石のように永遠の命を持っていたでしょうに。咲夜姫とだけの結婚でしたら、あなたの子孫は木の花のようにはかなく散り落ちていくでしょう」と残念そうにおっしゃいました。

さて、その咲夜姫ですが、迩迩芸命とは一度しか交わらなかったのですが、その一回の交わりだけで妊娠してしまいました。咲夜姫がそのことを告げると迩迩芸命は「たった1回交わっただけで妊娠するなんてことはありえない。それはどこか他所の男の子供ではないのか」と疑いの言葉を返します。

その言葉を不快に思った咲夜姫ですが、「これは間違いなくあなたの子供です。その証拠に私は火の中で子供を産みましょう。私が正しければ神の加護があるはずです」と言い、産気付くと家に火を付け、その中で3人の子供を産み落しました。その子供は産まれた順に、火照命・火須勢理命・火遠理命でした。

【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land  


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2011年04月05日

天孫降臨①

天孫降臨の話は基本的には高天原の神々がその直系の神を地上の支配神して降ろし、地上を支配していた大国主神から国土を譲り受ける話。

天照大神は地上の国は自分の子供の天之忍穂耳命(正しくは正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。須佐之男神との誓約で生まれた子)が治めるべき国である、と言って天之忍穂耳命を地上に降ろそうとしますが、天之忍穂耳命は地上は騒がしくて手に負えませんと言って帰って来てしまいます。

そこで高天原の神々の合議の結果、天之忍穂耳命の弟の天菩比神(天穂日神,あめのほひのかみ)が地上の国を高天原に従わせる為に派遣されることになりますが、天菩比神は大国主神の家来になってしまい、3年たっても戻って来ませんでした。

そこでまた合議の結果今度は天若日子(あめのわかひこ)が派遣されることになります。ところが天若日子は地上に降りると美濃の国で大国主神の娘の下照姫と結婚し自分がこの国の王になってやろうと考え8年たっても戻りませんでした。

ここで高天原の神々は天若日子の所へ使いとして雉鳴女を遣わします。雉鳴女が「あなたの使命はどうしたのです?」と天若日子を問いただすと、天若日子は弓矢で雉鳴女を射殺してしまいます。この時雉鳴女を射抜いた矢が高天原にまで達して、その矢を高産巣日神が拾いました。見るとそれは自分が天若日子に渡した矢です。

そこで高産巣日神は「天若日子が使命を忘れておらずこの矢は誰か悪者が放ったものであれば天若日子には当るな。もし天若日子の邪心があればこの矢に当れ」と言って矢を下に落しますと、見事に天若日子の胸を射抜きました。(これを還し矢といいます)
天若日子の死を嘆く下照姫の鳴き声が天上まで響くと、天若日子の父は哀れんで地上におり、馬鹿なわが子の為に葬儀の手配をしてやりました。また友人(というか下照姫の兄)の味鋤高日子根神も弔いに訪れましたが、高日子根神が天若日子とよく似た風貌であったため、まだ地上にいた天若日子の父が「私の息子が生きていた」と言って抱きついて来ました。すると味鋤高日子根神は「間違えるな」と怒って、剣を抜いて喪屋を切り倒すという一幕もありました。

さて、高天原では次に誰を派遣するかという話になるのですが、やはり強い神でなければならないということで、建御雷之男神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)が派遣されることになります。

先に派遣された神様たちに比べて、建御雷之男神と経津主神はたいへん任務に忠実でした。神は大国主神の前にズカズカと進み寄り、剣を抜いて地面に突き刺して「この国は天照大神の子が治めるべき国である。そなたの意向はどうか」と言います。すると、大国主神は、自分が答える前に息子の事代主神に尋ねるようにと言います。

そこで建御雷之男神は美保ヶ崎に行き事代主神に国譲りを迫ると、事代主神はあっさりと「承知しました」と言って家に引き篭ってしまいます。そこで建御雷之男神は再び大国主神に「他に何か言う奴はいるか?」と聞きますと、大国主神は「もう一人の息子、建御名方神にも聞いてみてくれ」と言います。

建御名方神は事代主神に比べると荒っぽい神様でした。建御雷之男神が国譲りを迫ると、建御名方神は巨大な岩を抱えて来て、力比べを挑みます。そして「どれお前の手をつかんでやる」と言って建御雷之男神の手を握ろうとすると、建御雷之男神の手はたちまち剣の刃に変化しました。建御名方神は慌てて手を引っ込めます。そして今度は建御雷之男神が「では今度は俺の番だ」と言って建御名方神の手を握ると、建御名方神の手は草にようにぎゅっと握りつぶされてしまいました。

慌てて建御名方神は逃げ出しますが、建御雷之男神も追いかけていきます。二人は追いかけっこをして、とうとう諏訪湖までやってきました。そしてもう逃げ切れないとみた建御名方神は、俺はもうこの地から出ないから殺さないでくれ、と嘆願するのです。建御雷之男神もこれで目的を達したとして、その言葉を信じ、再び大国主神の所に行って、さぁどうすると尋ねます。

すると大国主神は「二人の子供が高天原の神に従うというのであれば私も逆らわないことにしましょう。その代わり私の住む所として天の子が暮らすのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。私はそこで幽界の支配者になりましょう。現世のことはあなたたちにお任せします。私の180人の子供たちも事代主神に従って貴方たちには抵抗しないでしょう」と言いました。そこで建御雷神はそのような立派な宮殿を建てさせ、高天原に復命しました。【 続く 】


【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land  


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2011年04月01日

神にまつわる「ことわざ」弐


【 撮影場所:Japan Graffiti sakai1574 大神稲荷内

神様にも祝詞
すべてをお見通しの神様といっても、やはり祈りのことばを聞かなければ、その人の願いはわからない。分かりきっている事でも、ことばにして相手に伝える事が大事だということ。

正直の頭に神は宿る
うそやごまかしなく、正直に生きている人には必ず神のご加護があり、助けられるという意味。神は正直な人を守護する。

神は人の敬うによって威を増す
神は人から崇敬を受けることにより、その威光を輝かせる。


【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land  


Posted by hidesun(英寸) at 21:30Comments(0)神話

2011年03月31日

神にまつわる「ことわざ」壱

神にまつわる「ことわざ」

【 撮影場所:Japan Graffiti sakai1574 大神稲荷内

苦しい時の神頼み
日常は神仏などにまるで無関心でいるくせに、自力ではどうにもならないような困難に遭遇したり、大きな災難に直面したりすると、思わず神仏に祈って、その助けを借りようとする。窮地に立たされた時の人間のもろさでもあり、身勝手さでもある。

捨てる神もあれば拾う神あり
見捨ててかえりみない人もあるかと思えば、また、助けてくれる人もいる。世の中は広く、人の心はさまざまで、敵も多ければ味方も多い。失敗をしても、くよくよしないで生きようということ。

神はお見通し
神はどんなささいなことでも見ているから、ごまかすことはできないということ。


【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land
  


Posted by hidesun(英寸) at 21:32Comments(0)神話

2011年01月26日

因幡の白兎

「因幡の白兎」 :白うさぎと大黒様で知られる大国主の命のお話です。


昔々、隠岐の島に住む1匹の白兎が、ある姫神に会いたいと思い因幡の国へ行きたいと考えていました。しかし、隠岐の島と幡の間は海でとても自力では渡れません。
そこで白兎はワニザメをだまして向こう岸に渡ろうと考え、『ワニザメさん、君たちの仲間と僕たちの仲間とどちらが多いか比べてみようよ』と提案し、ワニザメを因幡の国まで並べさせ、その上をピョンピョンと渡っていきました。 
そしてもう少しで向こう岸に着こうというとき、あまりの嬉しさについ、『君たちはだまされたのさ』と言ってしまいました。それに怒ったワニザメは、白兎の体中の毛をむしり取り、あっという間に丸裸にしてしまいました。
丸裸にされた白兎がその痛みで砂浜で泣いていると、そこに大国主命の兄神様が大勢通りかかり(大国主命の兄神達は、隣の因幡の国に八上姫という美しい姫がいるという噂を聞きつけ、自分のお嫁さんにしようと、因幡の国に向かっている途中でした)、面白半分に『海水で体を洗い、風に当たってよく乾かし、高い山の頂上で寝ていれば治る』と言いました。白兎が言われたとおりにしてみると、海水が乾くにつれて体の皮が風に吹き裂かれてしまい、ますますひどくなってしまいました。
あまりの痛さに白兎が泣いていると、兄神達の全ての荷物を担がされて大きな袋を背負った大国主命が、兄神達からずいぶんと遅れて通りかかり、白兎に理由を尋ねました。そして、『河口に行って真水で体を洗い、蒲の穂をつけなさい』と言いました。
白兎がその通りにすると、やがて毛が元通りになりました。たいそう喜んだ白兎は『八上姫は兄神ではなく、あなたを選ぶでしょう。あのような意地悪な神様は、八上姫をお嫁にもらうことは出来ません』と言い残し、自らが伝令の神となって、兄神達の到着より前に、この事実を八神姫に伝えたのでした。
これを知らない兄神達は、先を競って姫に結婚を申し込みましたが、姫はそっけなく対応し、『私はあなた方ではなく、大国主命の元へ嫁ぎます』と言い、兄神達を追い返したのでした。
大国主命は優しさも兼ね備えており、そんなところも女性の心をしっかりと掴むのかもしれません。

※白兎は八上姫(やがみひめ)と大国主命との縁を見事に取り持ち、鳥取県で『白兎神社』の御祭神となっています。
※大国主命 : 八岐の大蛇を退治した須佐之男命の子供といわれています。


|||||||||  みるきー舞姫 睦月 公演 の お 知 ら せ |||||||||

※ 以下みるきー舞姫ブログより抜粋

【 舞姫奉納舞 】

みるきー舞姫の2011年公演は睦月公演『奉納舞』で始動します。
今回は本拠地を離れMonarchシムの 海上神社での公演となります。
単独舞3つ、2人舞2つ、3人舞1つ、集合舞1つの計7演目をお送りします。
舞姫巫女たちの奉納舞をお楽しみください。
1.日時 1月30日(日曜) 22:30~23:10 
 
2.場所
  このLMで桟橋前に到着します。会場は桟橋を渡った海上神社となります。 
※ 詳細は、みるきー舞姫ブログをご参照ください。


 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 


 撮影場所:大神稲荷  


Posted by hidesun(英寸) at 21:40Comments(0)神話

2011年01月21日

卑弥呼


【画像 大神: 女王ヒミコ】
魏志倭人伝には、卑弥呼は鬼道に通じていて歳はとっているが結婚はせず独身で、弟が居てまつりごと(政治)を助けていると書かれています。
鬼道とは現在の占いの事だと言われていて、幼い時からまじないや占いの力があり、それが良く当たっていたので“神と話ができる”と崇められていたのです。
10歳頃には洪水など起きていない所で洪水になると予言し、数日後に本当に洪水になり事前に避難していた人々が助かり、卑弥呼は神童だと騒がれたのです。
そして、卑弥呼が女王になってからの姿を見た者は少なく、卑弥呼が神のお告げを聞き、それを弟が人々へと伝えていたのです。
法律を定めたり、中国へ使者を送ったり、まつりごとを実際に行っていたのは弟だとも言われています。
卑弥呼は宮殿の奥に住み、宮殿の周りは武器を持った兵が守り、1000人もの召使いがいたと言われています。
そして、この時代には天気予報なども無いので大雨や台風なども予言できた卑弥呼はとても大事にされ、予言通り収穫の秋に水田で大豊作となった時には1番に卑弥呼の元へ米が届けられ、神への感謝の儀式も行っていたのです。
それから、卑弥呼の弟の他に難升米(なしめ)と呼ばれる男性が卑弥呼を助け、活躍します。
難升米は魏にも派遣され重要な役割を果たしています。
難升米達が魏へ行った時は、魏王から卑弥呼へ「親魏倭王」の称号と金印など多くの宝を贈られた事で、魏の力を借りて邪馬台国をまとめていく事を卑弥呼は考えていたのです。
その後243年にも再び魏へと使者を送った時、魏王に隣国の狗奴国との戦いが始まった事を知らせます。
そして245年に魏王は励ましと応援の黄色い旗を贈りますが1年が過ぎても届かなかったのです。
それは、旗の使いが争いに巻き込まれて前に進めず、黄色い旗が邪馬台国へと届けられた時、人々は勇気付けられましたが戦いは収まらず、卑弥呼は亡くなってしまうのです。

卑弥呼=天照大神説
1.卑弥呼には、弟がいたことになっている。/ 天照大御神にも、須佐之男の命、月読の命という弟がいる。
2.『古事記』には、「天照大御神、高木神の命をもちて」などの記述がしばしばみられる。高木神は天照大御神といっしょに、しばしば、命令を下したりなどしている。 魏志倭人伝の、女王のことばを伝えるために出入りしている一人の男と、高木神と が符合するように思える。
3.天照大御神と、須佐之男の命の争いは、卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼との戦争ににている。
4.卑弥呼の没後、大きな塚がつくられ、男王がたったが国中が服さず、戦いがおこなわれ、宗女台与がたって国中がおさまったという話は、天照大御神が、天の岩戸に隠れ、ふたたびあらわれたという話と符合する。
5.魏志倭人伝には、人が死ぬと、他人は、歌舞飲酒につく、とある。 これは、天の岩戸のまえで、天の宇受売の命が、歌舞をし、諸神が、「歓喜び、笑い遊んだ」のと一致する。
卑弥呼=天照大御神とすると、それぞれ、邪馬台国と高天が原を統治していたので「 邪馬台国 = 高天の原 」といえることになる。

 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】


 撮影場所:大神稲荷  


Posted by hidesun(英寸) at 22:07Comments(0)神話

2011年01月20日

イザナギのみそぎ


【 画像 身曾岐神社・・・祭神 : 天照大神・天徳知徳乍身曾岐自在神 】

ようやく黄泉の国から戻ることができたイザナギは、イザナミに会いにいったことをとても後悔(こうかい)していました。
 「黄泉の国で、私の体は大変けがれてしまった。きれいに洗い清めなければ」
こういうと、イザナギは“筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎがはら)”に出かけ、そこで“みそぎ”をすることに決めました。
まず、持ち物や身につけていた衣服を脱ぎ捨てました。するとそれらの物からたくさんの神さまが生まれました。
つえから生まれた神さま。帯から生まれた神さま。小物を入れる袋から生まれた神さま。衣から生まれた神さまなどです。
裸になったイザナギは、チャポン…チャポンときれいな水の中へと入っていくと、中に潜(もぐ)って体を洗いはじめました。
するとどうでしょう。今度もたくさんの神さまが生まれたのです。
イザナギの体からでた汚れから生まれた神さま。水底で体をすすいだときに生まれた神さま。水中で体をすすいだときに生まれた神さま。水面で体をすすいだときに生まれた神さまなどです。
そして、体がすっかりきれいになったイザナギが、最後に顔を洗ったときのことです。
左の目を洗うとアマテラス。右の目を洗うとツクヨミ。そして鼻を洗うとスサノオが生まれました。
イザナギは、みそぎの最後に生まれた三人の神さまの誕生をとても喜び、アマテラスには高天原(たかまがはら)を、ツクヨミには夜を、スサノオには海を、それぞれ治めるよう告げたのでした。
※ みそぎ(禊) 
神道や仏教で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。仏教では主に水垢離(みずごり)と呼ばれる。
※ 現代におけるみそぎ(禊 )
神事の前に於ける行として、一般参拝者が手水で清めることも禊の一種である。
川や海、滝に入る禊を行う者もある。神社関係者などの研修会等で行われる他、寒中に精神鍛錬の意味合いをもって、神社が主催し、氏子らを集めて行う事もある。
武道修行者が、寒稽古の一環として行うこともある。また稽古の前に冷水を浴びてから稽古を行う武道家もいる。

 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】


 撮影場所:大神稲荷  


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2011年01月19日

黄泉の国


【みそぎ池】
御池(みいけ)とも呼ばれ、イザナキノミコトが黄泉(よみ)の国のけがれを清めるため、禊(みそ)ぎを行った所と伝えられています。

イザナミを追って、イザナギは、地の底へ。イザナミを失ったイザナキは、あきらめきれずに、ただ会いたい一心でイザナミのいる“黄泉(よみ)の国”へと出かけていきました。
 「イザナミ…イザナミ、私のイザナミはどこにいる?」
イザナギはいっしょうけんめいにイザナミをさがしました。 そして、イザナミをようやく見つけると、こう言いました。
 「いとしいイザナミよ。まだ国づくりは終わっていません。さあ、一緒に帰りましょう」
すると、イザナミは答えました。
 「私は、黄泉の国の食べ物を口にしてしまったので、帰ることができなくなってしまいました。でも、あなたが、こうしてわざわざ迎(むか)えにきてくれたので、この国の神に相談してみます。その間、決して私の姿を見ないでください」
イザナギは長い時間イザナミが出てくるのを待っていました。 しかし、いくら待っても出てきません。イザナギはとうとうがまんできずにイザナミのいる御殿(ごてん)に入り、中をのぞいてしまいました。
そこでイザナキが見たものは…あまりにも変わり果てたイザナミの姿でした。
顔や体中にウジ虫がはいまわり、体のあちこちには、それはそれは恐(おそ)ろしい姿をした化け物たちがうごめいていたのです。 すっかり恐ろしくなったイザナギは、いちもくさんに逃げ出しました。
 「こらあ~!イザナギ。逃げるのかあ!私にに恥(はじ)をかかせおって!」
イザナギがうしろを振り返ると、体のあちこちからウジ虫をぶら下げたイザナミがこわい顔で追ってくるではありませんか。
いよいよこわくなったイザナキは、必死に逃げました。そして黄泉の国の出口にようやくたどり着くと、近くにあった大きな岩で道をふさぎました。その岩をはさんで、イザナミに
 「離婚をしよう。」いいます。すると、イザナミが、
 「愛しいあなたが、このようなことをされるのならば、わたしは一日にあなたの国の人間たちを千人殺してあげましょう。」
というと、イザナギは、
 「愛しい女神よ。あなたがそうするなら、わたしは、一日に千五百の産屋(うぶや=出産のために建てる家)を建てましょう。」
といいました。
このことから、人間は一日に千人が死に、千五百人が生まれてくるのです。

※坂をふさいだ大きな岩は、ヨミドノオオカミ(黄泉戸大神=黄泉の入り口にある大神)と申します。そして、いわゆる「黄泉比良坂」は、今の出雲の国の伊賦夜坂(いふやざか=島根県八束群東出雲町揖屋)という坂です。

 Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】


 撮影場所:大神稲荷  


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