2010年11月13日
花魁(1)

Milkyhouseより
「花魁wiki」
花魁(おいらん)は、吉原遊廓の遊女で位の高い者のことをいう。 18世紀中頃、吉原の禿(かむろ)や新造などの妹分が姉女郎を「おいらん」と呼んだことから転じて上位の吉原遊女を指す言葉となった。「おいらん」の語源については、妹分たちが「おいらの所の姉さん」と呼んだことから来ているなどの諸説がある]。
江戸時代、京や大坂では最高位の遊女のことは「太夫」と呼んだ。また、吉原にも当初は太夫がいたが、「おいらん」という呼称の登場と前後していなくなった。
吉原に遊郭ができた当初には、少数ではあるが江戸にも太夫がおり、その数は万治元年(1658)の吉原細見によれば、太夫3人であった。またその下位の遊女として格子67人、局365人、散茶669人、次女郎1004人がいた。
江戸時代後期の安永4年(1775)になると、吉原細見には散茶50人(内、呼出し8人)、座敷持357人(内、呼出し5人)、部屋持534人など(総計2021人)となっている。
花魁は、吉原の遊郭で最も格の高い遊女で張り店を行わないため、引手茶屋を通して「呼び出し」をしなければならなかった。呼び出された花魁が禿や振袖新造を従えて遊女屋と揚屋・引手茶屋の間を行き来することを滑り道中(後に花魁道中)と呼んだ。
花魁には教養も必要とされ、花魁候補の女性は幼少の頃から禿として徹底的に古典や書道、茶道、和歌、箏、三味線、囲碁などの教養、芸事を仕込まれていた。
花魁を揚げるには莫大な資金が必要であり、一般庶民には手が出せないものであった(花魁の側も禿や新造を従え、自分の座敷を維持するために多額の費用を要した)。人気の花魁は「遊女評判記」などの文学作品に採り上げられたり、浮世絵に描かれることもあった。浮世絵に描かれている花魁は、実際には付けるのが不可能なくらい多くのかんざしを付けて、とても豪華な姿で描かれている。

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女 た ち の 変 遷( 江 戸 ~ 大 正 時 代 )
日時 11月21日(日) 開演22:30~24:00(JST)
場所
特設会場
到着地点に門がございます。公演10分程度前に開門致します。
お願い
できるだけ快適に鑑賞いただけるように舞台装置など工夫しましたが重くなる場合があるので可能でしたら低レンダリングコストな服装、AOなし、フェースライトなし などでご来場いただければ助かります。
演 目
第一幕(1階) 江戸 大門~吉原遊郭ゾーン
第二幕(2階) 大正 和楽器奏舞[大正バージョン]

みるきー舞姫10月公演 【 MOD竹取物語 】動画
Posted by hidesun(英寸) at 21:19│Comments(0)
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