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2011年11月08日

もののけ姫(3)

もののけ姫の思想
もののけ姫(3)

ギルガメシュ

『もののけ姫』制作に当たって宮崎監督が最も意識した物語がある。それは五千年にメソポタミアで書かれた人類最古の叙事詩『ギルガメシュ』である。
ウルクの王ギルガメシュは、親友と共に人間の世界を広げるためにレバノン杉の原生林を伐る。怒った半身半獣の森の神・フンババは、凶暴な姿になってギルガメシュを襲うが、ついには首を刈られてしまう。それを可能にした最強兵器こそ、金属―青銅の斧だった。神退治の代償として親友を失ったギルガメシュは、死の世界へと旅立つが、何の成果も得られず絶望の果てに故国に戻って来る。
ギメガメシュは、神を殺して人間だけの王国を作ろうとした己の傲慢さを恥じ、自然破壊や生命操作は破滅の道だと遺言して果てる。 この物語には、自然破壊と人間の破滅という現代的テーマが鋭く打ち出されている。宮崎監督は、ここに「自然と人間」という大テーマの普遍性を見たのではないか。金属の武器による神退治が破滅を招くという構造は、作品と深く共通する。五千年の時を越えた物語の共振とでも言うべきか。

もののけ姫(3)

照葉樹林文化

「自然」という概念は抽象的である。作中では様々な自然の形態を緻密に描き分けている。実は、これが判別出来ないと、作品のテーマを正確に把握することは難しい。
本来の「自然」とは、天然の「原生林」である。これは数千・数万年を生きた大樹が生い茂る暗く恐ろしい森である。当然人の手など遠く及ばない世界である。
一方、人の手が加わった田畑を含む「里山」や、植林された「二次林」は、明るく懐かしい森である。通常我々は、このような、人が作り換えた森も「自然」と呼んでいる。
 『となりのトトロ』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』など、スタジオジブリの諸作品では、後者の「自然」が繰り返し描かれて来た。今回は、これを突破して原生自然を描くという大挑戦を敢行している。かつての日本には、我々が知らない暗い原生林が広がっていたのである。その森を刈り尽くし、人口の自然や村や都市を作り上げて来たのが人間の歴史である。
太古の昔、日本の南半分は照葉樹林(クス・カシなど)が覆っていた。この照葉樹林地帯は、中国南部を経てヒマラヤ山脈の麓に至るまで広大なベルト地帯を形成していた。この地域には、風習・食文化・伝説・衣裳などに深い共通性があった。同じ原生林が良く似た文化を産んだのである。これを「照葉樹林文化論」として、民族を越えた日本人の根源に迫る学説を提唱したのが、中尾佐助氏であった。宮崎監督は、中尾氏の諸著作に深い影響を受けたと何度も語っている。
照葉樹林は、温暖な気候と豊富な水分を含む肥沃な土質の地にしか発生しない。その最大の特徴は、森の蘇生力である。いくら樹を伐っても砂漠化せず、人間が手を加えなければ、数十年で元の森林に戻ってしまうのだ。「産業や文明が崩壊した後に森になる」という『風の谷のナウシカ』以降の宮崎監督作品のイメージは、ここに原点がある。
「原生自然とそれを破壊する人間を描く」壮大な物語は、この照葉樹林文化論に着想を得たものと考える。神聖なシシ神の森は、堂々たる太古の照葉樹林であり、ラストの再生した森は明るい里山である。物語は、取り返しのつかない自然の変質(同時に人間の変質)を描いたものでもあるのだ。 なお、蝦夷の村の衣裳・風俗には照葉樹林文化の北端であるブータンの高地民を参照にしていることも興味深い。
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縄文時代の生命倫理

宮崎監督は、縄文人のアニミズムに通底する独特の生命倫理を持っている。「人間はドブ川にわくユスリカの幼虫と同じ」と語る監督の生命観とは、動植物と人間の生命の重さを等価と見る一種の平等主義である。ここから、他の生物への礼儀作法を重く見る。つまり、動植物を殺して喰らい、環境と生態系をブチ壊して農耕と文明を広げるのが、人間の生来の「業」であるなら、せめて他の生命を奪う痛みや苦しみを味わって最小限度の被害に留める努力をしようと。どれほど人心が荒廃して政治が没落しようとも、この礼儀作法を貫くことで、自然環境との共生の展望を見い出したい―という願いである。それは、森の崇拝を文化の根源に据えていた縄文文化とその末裔たる山民への憧れでもある。
この観点から見ると、蝦夷の少年や山犬に育てられた少女が主人公であること、その風俗が森との共生の智恵に満ちており、人間の業を背負うに足る賢い人物であることなどがよく分かる。つまり、作中の人物たちの目線は、はるか彼方を見ているわけである。もし、彼らに対して、従来の宮崎監督作品にない親しみにくさを感じてしまうとすれば、それは自己の利害や即物的欲求にしか理解を示せない我々自身の問題でもあるのかも知れない。

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「生きろ」のメッセージ

『もののけ姫』は、一見楽観的にも見える結末で幕を閉じる。しかし、その後の展開を予想すれば、すさまじく厳しい時代を迎えてしまうことになる。あの後すぐ、戦国時代に突入し、戦禍が各地に及ぶ。タタラ場争奪は熾烈化するであろうし、身分差別も激化する。火縄銃が登場し、石火矢ではかなわない。神々を失った獣は狩られ、森の破壊も各地で進むことであろう。蝦夷の村も無事とは思えない。アシタカとサンの共生に向けた必死の努力など、時代の渦に飲み込まれてしまうかも知れない。
これは、来るべき困難な二十一世紀ともよく符合する。人口増大と自然破壊による資源の枯渇は、早晩全人類的規模の危機をもたらすと言う。しかし、特別な処方箋はない。にも関わらず、宮崎監督は作品に「生きろ」と銘打ち、主人公にも「生きろ」と語らせている。どんなに困難な時代にも健やかであれと。それは、手近な終末観やニヒリズムに陥り、安易な憎悪や殺戮にカタルシスを求める凡百の映画とは、根本的に異なる楽観主義である。あらゆる惨禍も業も、「曇りなき眼で見つめ」なおかつ絶望せずに生きること。 宮崎監督は、アニメーション作家として蓄積した三十余年の経験と技術の全てを注ぎ込んで、次世代に力強いメッセージを伝えたのである。
もののけ姫(3)

【 もののけ姫 - 予告 - 】



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Posted by hidesun(英寸) at 20:05│Comments(0)アニメ
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