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2011年12月25日

年の瀬

年末の事を『年の瀬』とも言うが、此の言葉は中々趣きも含蓄もある言葉だと思う。

年の瀬

『瀬』と言うと百人一首の『瀬を速やみ‥』を直ぐに思い出すが、少しく心得のある人ならば、一字だけで取れる『むすめふさほせ』の『せ』だから更に馴染み深い筈である。
水しぶきを上げて流れて居る『急流』が『瀬』だ。年末には『岩にせかるる』訳ではないが、江戸時代などでは盆と暮れのこ回の『節季せっき』に『節季払い(せっきばらい)』と言って纏めて支払いをする習慣だったらしいから、庶民にとっては大変でもあり気ぜわしくもあった事であろう。

年の瀬
【 大神稲荷神社 舞殿(まいどの) 】

年末最後の日は大晦日であるが、勿論これは当て字で元来は『大三十日』。太陰暦では『一日ついたち(月立ち)』から月が出初めて『十五夜』で満月、『三十日』は晦くらい夜だ。一年の最後のミソカがオオミソカと言う訳であるが、も少し古い雅やかな言葉では『大月隠り(おおつごもり)』と言うのがある。
しかし、太陰暦では一年に約5日ずつ太陽暦とズレて来るので、何年かに一度『閏年(うるうどし)』ならぬ『閏月(うるうづき)』と言って、適宜同じ月をダブラせて調節した。所謂『太陰太陽暦』である。
この場合1月でダブらせたりすると『ヤレヤレ節季が一月延びた』と喜ぶ庶民も居ただろうが、『今日は一体去年なのか、それとも今年なのだろうか』と悩む歌人も出て来たりして、ヤヤコシクなる事もあるのは致し方ない。何しろ、二日、三日‥と数を読んで行く所から『カヨミ』→『暦こよみ)』の言葉が作られたと思われるから、太陽の出没で(昔は日没から日の出まで)一日を決め、月の満ち欠けで一月を定めた訳であるが、農業の関係で一年を、となると再び太陽のお世話にならざるを得なくなる。

年の瀬
【 大神稲荷神社 東側鳥居 】

私達が子供の項、昭和の初め辺りまでは、年末となると『餅の賃杵きちんつき屋』と言われる職人が、臼、杵その他の道具一式を持って各家庭を回って来て、門前なり庭先で餅をついて呉れた。家の者は総出で、それを丸めたり延ばしたりして、丸餅やノシ餅にしたものである。近頃では先ず見られない風景であろう。その上、現在では正月に一斉に年を取る事も無くなったので、益々『年の瀬』に対する気持ちは昔とは違ったものになって居ると思われる。

日本では未だに『あらたまの年』『新春』と言った感情も新年に捌けての色々な行事習慣も残って居る。そして、それらが不思議と前にも書いた西欧のクリスマス(正確には冬至)頃の古い行事習慣とも似ているのである。例えばムチとアメを持った怖いオジサンや鬼がプレゼントを遣る序でにシツケして回る事だの、来年の豊作を願ってする諸行事。気候の差で若干のズレはアッテも農民が春を待つ心には洋の東西で違いは無いのだ、と言う事では無かろうか。

sakaiSIM内 大神稲荷神社 場所

年の瀬



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Posted by hidesun(英寸) at 20:32│Comments(0)和の暦
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