ソラマメブログ › 【 黒衣 】 › 2011年04月

  

Posted by at

2011年04月06日

天孫降臨②


【天孫降臨①より続き】
地上の国が天照大神の子に譲られることになったので、天照大神は最初の予定通り天之忍穂耳命を下らせようとしますが、この時天之忍穂耳命に子供が生まれたので、その子(天照の孫)迩迩芸命が代わって降臨することになりました。

この迩迩芸命(正式には天迩岐志・国迩岐志・天津日高日子番能・迩迩芸命)には八尺の勾玉・鏡・草薙剣の三種の神器が渡され、天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命・思金神・手力男神・天石門別神・登由気神・天石戸別神・などの神が付きしたがって地上へと降りて行きました。

この時、道の途中に何やら見知らぬ神の姿がありました。ここで居並ぶ神たちは恐れをなして近付きたがらないのですが、天宇受売神が様子を見に行きます。そして「あなたは誰ですか?」と尋ねるとその人物は「私は国津神で猿田彦神といいます。天孫が降りて来ると聞き、道案内をする為にやってきました」と言いました。

そこで一行は猿田彦神に先導を頼み、地上へと降りて行くのです。神々が降りて来た地は宮崎県の高千穂の地でした。

さて、迩迩芸命が地上に降りてからある時、海岸で一人の美女に出会います。迩迩芸命が名を尋ねると「私は大山津見神の娘で木花之咲夜姫といいます」と答えました。そこで迩迩芸命は咲夜姫に結婚を申し込むのですが、咲夜姫は謹み深く「私の父に言って下さい」と答えます。
そこで迩迩芸命が大山津見神の所に行き、咲夜姫との結婚を申し込むと大山津見神は喜んで、では姉の石長姫も一緒に娶って下さいといい、たくさんの婚礼用品を添えて二人の娘を迩迩芸命の所にやりました。

ところが石長姫の方は不美人だったため、迩迩芸命は「この娘はいらない」と言って返してしまいます。すると大山祇神は「石長姫とも結婚していたら、あなたの子孫は石のように永遠の命を持っていたでしょうに。咲夜姫とだけの結婚でしたら、あなたの子孫は木の花のようにはかなく散り落ちていくでしょう」と残念そうにおっしゃいました。

さて、その咲夜姫ですが、迩迩芸命とは一度しか交わらなかったのですが、その一回の交わりだけで妊娠してしまいました。咲夜姫がそのことを告げると迩迩芸命は「たった1回交わっただけで妊娠するなんてことはありえない。それはどこか他所の男の子供ではないのか」と疑いの言葉を返します。

その言葉を不快に思った咲夜姫ですが、「これは間違いなくあなたの子供です。その証拠に私は火の中で子供を産みましょう。私が正しければ神の加護があるはずです」と言い、産気付くと家に火を付け、その中で3人の子供を産み落しました。その子供は産まれた順に、火照命・火須勢理命・火遠理命でした。

【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land  


Posted by hidesun(英寸) at 21:32Comments(0)神話

2011年04月05日

天孫降臨①

天孫降臨の話は基本的には高天原の神々がその直系の神を地上の支配神して降ろし、地上を支配していた大国主神から国土を譲り受ける話。

天照大神は地上の国は自分の子供の天之忍穂耳命(正しくは正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。須佐之男神との誓約で生まれた子)が治めるべき国である、と言って天之忍穂耳命を地上に降ろそうとしますが、天之忍穂耳命は地上は騒がしくて手に負えませんと言って帰って来てしまいます。

そこで高天原の神々の合議の結果、天之忍穂耳命の弟の天菩比神(天穂日神,あめのほひのかみ)が地上の国を高天原に従わせる為に派遣されることになりますが、天菩比神は大国主神の家来になってしまい、3年たっても戻って来ませんでした。

そこでまた合議の結果今度は天若日子(あめのわかひこ)が派遣されることになります。ところが天若日子は地上に降りると美濃の国で大国主神の娘の下照姫と結婚し自分がこの国の王になってやろうと考え8年たっても戻りませんでした。

ここで高天原の神々は天若日子の所へ使いとして雉鳴女を遣わします。雉鳴女が「あなたの使命はどうしたのです?」と天若日子を問いただすと、天若日子は弓矢で雉鳴女を射殺してしまいます。この時雉鳴女を射抜いた矢が高天原にまで達して、その矢を高産巣日神が拾いました。見るとそれは自分が天若日子に渡した矢です。

そこで高産巣日神は「天若日子が使命を忘れておらずこの矢は誰か悪者が放ったものであれば天若日子には当るな。もし天若日子の邪心があればこの矢に当れ」と言って矢を下に落しますと、見事に天若日子の胸を射抜きました。(これを還し矢といいます)
天若日子の死を嘆く下照姫の鳴き声が天上まで響くと、天若日子の父は哀れんで地上におり、馬鹿なわが子の為に葬儀の手配をしてやりました。また友人(というか下照姫の兄)の味鋤高日子根神も弔いに訪れましたが、高日子根神が天若日子とよく似た風貌であったため、まだ地上にいた天若日子の父が「私の息子が生きていた」と言って抱きついて来ました。すると味鋤高日子根神は「間違えるな」と怒って、剣を抜いて喪屋を切り倒すという一幕もありました。

さて、高天原では次に誰を派遣するかという話になるのですが、やはり強い神でなければならないということで、建御雷之男神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)が派遣されることになります。

先に派遣された神様たちに比べて、建御雷之男神と経津主神はたいへん任務に忠実でした。神は大国主神の前にズカズカと進み寄り、剣を抜いて地面に突き刺して「この国は天照大神の子が治めるべき国である。そなたの意向はどうか」と言います。すると、大国主神は、自分が答える前に息子の事代主神に尋ねるようにと言います。

そこで建御雷之男神は美保ヶ崎に行き事代主神に国譲りを迫ると、事代主神はあっさりと「承知しました」と言って家に引き篭ってしまいます。そこで建御雷之男神は再び大国主神に「他に何か言う奴はいるか?」と聞きますと、大国主神は「もう一人の息子、建御名方神にも聞いてみてくれ」と言います。

建御名方神は事代主神に比べると荒っぽい神様でした。建御雷之男神が国譲りを迫ると、建御名方神は巨大な岩を抱えて来て、力比べを挑みます。そして「どれお前の手をつかんでやる」と言って建御雷之男神の手を握ろうとすると、建御雷之男神の手はたちまち剣の刃に変化しました。建御名方神は慌てて手を引っ込めます。そして今度は建御雷之男神が「では今度は俺の番だ」と言って建御名方神の手を握ると、建御名方神の手は草にようにぎゅっと握りつぶされてしまいました。

慌てて建御名方神は逃げ出しますが、建御雷之男神も追いかけていきます。二人は追いかけっこをして、とうとう諏訪湖までやってきました。そしてもう逃げ切れないとみた建御名方神は、俺はもうこの地から出ないから殺さないでくれ、と嘆願するのです。建御雷之男神もこれで目的を達したとして、その言葉を信じ、再び大国主神の所に行って、さぁどうすると尋ねます。

すると大国主神は「二人の子供が高天原の神に従うというのであれば私も逆らわないことにしましょう。その代わり私の住む所として天の子が暮らすのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。私はそこで幽界の支配者になりましょう。現世のことはあなたたちにお任せします。私の180人の子供たちも事代主神に従って貴方たちには抵抗しないでしょう」と言いました。そこで建御雷神はそのような立派な宮殿を建てさせ、高天原に復命しました。【 続く 】


【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land  


Posted by hidesun(英寸) at 21:10Comments(0)神話

2011年04月04日

祈り(神道)

神道(古神道・神社神道・皇室神道など全て)において祈りとは「神事」であり、祭り・祀り・奉りや、神殿・社や碑・塚の建立などを含め以下の通りとされるが、重複するところがある。

撮影場所:大神稲荷

人の営みや自然環境としての神への祈り
自然に対する感謝や畏怖や畏敬。
祖先崇拝に限らず人や動物など命をなくしたものや、道具などの人工物が役目を終えた後の慰霊や感謝。
勤しみ(いそしみ)の神聖視とその具現化である職業神事。

神々と人の交流としての祈り
神域(常世・とこよ)と人の住む世(現世・うつしよ)との交流や遮断を司る祭礼。
神和ぎ(かんなぎ・かむなぎ・かみなぎ)という神を鎮める行為としての祈り。
巫(かんなぎ)といわれる神との交信。
人により行われるが、神による運命の決定である「占い」

個人的な神への祈り
人による神への招福祈願、厄除祈念。

神社神道においての祈りとは、巫(憑依・かんなぎ)であり、神なぎ(神を鎮め、和やかにする祈り)でもあるが、古神道では憑依もなく神職でない者でも、神なぎ(かんなぎ・神和ぎ・神薙ぎ・神凪とも表記)はおこなわれる。端的にいえば、巫は憑依することにより神に寄り添う行為であり、神事・神託でもある。このことが、神職を生業とする神主や巫女が、祝詞や神楽(神に奉げる若しくは神と一体となる舞踊り)を日常とする所以であるといえる。
古神道では庶民が、磐座や祠や塚や道祖神や地蔵や日の出や時として慈雨に手を合わせたり、お供え物を奉げる日常が「かんなぎ・祈り」であるといえる。そして、時代の変遷とともに神職や庶民でない芸能に携わるものの芸である、太神楽や能楽や曲芸やお笑い芸なども神事や「かんなぎ」とされ、一般的な地域振興や普請としてのいわゆるお祭りや興行においても、福男・福娘や「弓矢の神事」の射手に選ばれた者や、皇室神道での奉納という神事であった大相撲の力士も巫(かんなぎ)として神職の意味をもち、そのほかの民間信仰としての古神道とともに現在に息づいている。

神道においては、神への日常的な祈りは「拝む」と形容されることが多く、参拝や礼拝が行われる。この際、お辞儀をして拍手を打つ二拝二拍手一拝を行うことが最も一般的である。時には神前への玉串奉奠などが行われる。改まって利益や加護を願う場合は、祈祷・祈願などを行い、その際は神職による祝詞の奏上や祓などが行われる。

祈願祈念
五穀豊穣、大漁追福、商売繁盛、家内安全、無病息災、安寧長寿、夫婦円満、子孫繁栄、祖先崇拝、豊楽万民、天下泰平の招福祈願、厄除祈念や「払い清め」や「ハレ{天気ではなく天晴れ(あっぱれ)や晴れ晴れとした気持ちの「晴れ」をさす}」に纏わることなど多岐に渡る。具体的なものとしては、参拝だけでなく祭礼や縁日や市などの神社の参道や境内や鳥居前町におい行われる歴史的、文化的な祭りも祈願である。
祈願祈念のために行われる行為。
神楽
絵馬

市(定期市)・縁日・会日
(祈りwiki)

【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land  


Posted by hidesun(英寸) at 21:45Comments(0)神社

2011年04月03日

旅籠

旅籠(はたご)とは、江戸時代、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする家のことです。旅籠屋(はたごや)の略

【 撮影場所:Japan Graffiti sakai1574

旅籠という言葉はもともとは旅の時、馬の飼料を入れる籠(かご)のことであった。それが、旅人の食糧等を入れる器、転じて宿屋で出される食事の意味になり、食事を提供する宿屋のことを旅籠屋、略して旅籠と呼ぶようになった。
江戸時代の街道には宿場ごとに多くの旅籠があって武士や一般庶民の泊まり客で賑わった。次第に接客用の飯盛女を置く飯盛旅籠と、飯盛女を置かない平旅籠に別れていった。しかし、明治時代になって旧街道が廃れ、鉄道網が発達してくると、徒歩や牛馬による交通が減少し、旅籠も廃業に追い込まれたり、駅前に移転するところが相次ぐようになった。現在でも、旧宿場町の同じ場所で昔のままに旅館を営んでいるものは数えるほどしかない。
混雑時には相部屋が求められ、女性の旅客は難儀をしたとされる。
旅籠の宿泊代は概ね一泊200~300文(現在の貨幣価値で3000~5000円程度に相当)程度が一般的だった。

旅籠の分類
規模によるもの(宿場によって異なるがだいたい間口によって区分された)
大旅籠
中旅籠
小旅籠
業態によるもの(飯盛女の有無による区分)
平旅籠 - もっぱら宿泊を旨とする宿。
飯盛旅籠(食売旅籠ともいう)- 飯盛女によるサービスがある遊興的な要素を持つ宿。

旅籠の食事
中山道垂井宿、丸亀屋金子方、宿。
夕飯、(汁)干し大根 (平)竹の子、玉子とし (焼き物) 塩ほら
朝飯、(汁)豆腐 (平)わらひ、ふ、ふき、椎茸、焼豆腐 (焼き物)塩鰤
東海道新居宿、紀伊国屋弥左衛門方、宿。
夕飯、(汁)大根切干 (平)ほら、焼豆腐、ねんしん (皿)あさり貝、かんてん、酢醤油懸 (鉢)うなぎ
朝飯、(汁)きざみ大根 (平)八杯豆ふ (焼物)かれい (猪口)揚豆腐、角大こん
夕飯は、だいたい一汁二~三菜が標準であった。

旅籠の組合
江戸時代の中ごろになると、強引な客引きや飯盛り女を嫌ったり、一人旅をする行商人などから、安心して泊まれる宿が欲しい、という要望が増えたため、各地で旅籠による組合が出来た。
例えば、浪花組(後の浪花講)では、主要街道筋の真面目な優良旅籠を指定し、加盟宿には目印の看板をかけさせるとともに、組合に加入している旅人に所定の鑑札を渡して宿泊の際に提示させるようにした。また、『浪花組道中記』・『浪花講定宿帳』を発行し、各宿駅ごとに講加盟の旅籠や休所の名を掲載するとともに、道中記としても役立つ道案内を兼ねた情報を掲載した。 また明治に入ると参勤交代の消滅から宿場町の本陣、脇本陣が廃業に追い込まれた。この中で、東海道興津宿(静岡市清水区)の脇本陣水口屋(みなぐちや)は、庶民に宿泊の対象を代え、品川宿から伊勢に至る優良旅館の組合「一新講社」をつくった。また、伊藤博文、山県有朋も風光明媚な興津を度々訪れ水口屋で投宿をした。他方、「真誠講」といった団体も「改正浪花講」、「一新講社」等と併設されているが、旅で派生した手荷物を安全に運ぶ団体である。この真誠講は、現在の日本通運の前身である。
【旅籠wiki】

【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land
  


Posted by hidesun(英寸) at 21:33Comments(0)和文化

2011年04月01日

神にまつわる「ことわざ」弐


【 撮影場所:Japan Graffiti sakai1574 大神稲荷内

神様にも祝詞
すべてをお見通しの神様といっても、やはり祈りのことばを聞かなければ、その人の願いはわからない。分かりきっている事でも、ことばにして相手に伝える事が大事だということ。

正直の頭に神は宿る
うそやごまかしなく、正直に生きている人には必ず神のご加護があり、助けられるという意味。神は正直な人を守護する。

神は人の敬うによって威を増す
神は人から崇敬を受けることにより、その威光を輝かせる。


【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
● 撮影日 : 1月30日(日)
● 撮影場所 : Eleanor's land  


Posted by hidesun(英寸) at 21:30Comments(0)神話