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2011年06月07日

たそがれ清兵衛-映画-

山田洋次監督、初の本格時代劇、さらに藤沢周平初の映画化作品


時代は幕末、庄内地方の下級武士「井口清兵衛」が主人公。
彼は貧しい下級武士、その貧しさのなかで妻が病に倒れ、長年の治療のためにさらに貧窮、そしてそのかいもなく妻は他界してしまう。清兵衛は残されたふたりの娘と半分ボケかけた老母をかかえて生きていかざるをえなくなる。そんな貧しさから身なりにかまうゆとりもなく、いつも古着同然の身なりをしている。
そして家族を養うために内職、畑仕事にと追われる毎日だ。そのために城中の仕事が終われば同僚のさそいも断って、そそくさと帰宅するのが常である。 たそがれ時に決まって帰ってしまうそんな清兵衛を同僚たちはからかい半分に「たそがれ」と呼んでいる。

そういう男が主人公の物語。

こうした境遇は原作者藤沢周平の実生活を反映したものでもある。 彼が小説家としてデビューする前に彼の奥さんは若くして癌で亡くなり幼い娘と老母をかかえて生きて行かざるをえない状況に追い込まれている。
そんな孤独とやるせなさが作品に切実に反映しているのである。演じるのは真田広之。適役であり、これまでの俳優生活のなかでも最高の演技を見せてくれる。

ささやかな幸せを守るために不器用な男は精いっぱい生きている。その姿に強い共感をおぼえる。


 
そんな清兵衛に突然やってくる幼なじみ朋絵との再会。 酒乱の夫から逃れ離縁して実家に帰ってきた朋絵が清兵衛を尋ねてくる。かつてほのかに憧れた幼なじみの朋絵。 だが身分の違いから清兵衛は朋絵に本心を打ち明けることはしない。 貧しい彼の妻になることで朋絵が幸せになれるはずはない、そう考える清兵衛は朋絵への思いを胸の奥深くに秘かに仕舞いこむのである。そんなふたりの関係が胸に迫る。朋絵を宮沢りえが演じているが、慎ましさのなかにも華がある。かいがいしく清兵衛一家の手助けをする姿が絶品。貧しい家の中が急に陽が射したように明るくなっていく。

人間が生き生きと個性的であることが許されなかった時代。だからこそそこに収まりきれなかったものが余計に光り輝いて見えてくる。この映画は青春もの、純愛もの、家族愛の物語、サラリーマンもの、さらには活劇、サスペンスといろんな要素をもっている。そのどこに視点を置くかで映画はさまざまに見えてる。

そんな幅広さと奥行きの深さをもった映画です。




  


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2011年06月06日

壬生義士伝-映画-

壬生義士伝 : 浅田次郎による日本の歴史小説。南部盛岡藩の脱藩浪士・吉村貫一郎という実在した新選組隊士の生涯を描いた時代小説である。新選組で守銭奴や出稼ぎ浪人などと呼ばれた吉村貫一郎の義理と愛を貫く姿を描いた作品。


人気作家浅田次郎の同名ベストセラー小説を「秘密」「陰陽師 ~おんみょうじ~」の滝田洋二郎監督が2003年映画化した感動の時代劇。混迷する幕末を舞台に、無名の新撰組隊士吉村貫一郎を主人公に、“守銭奴”とさげすまれても、愚直なまでに愛する者のために生き抜いた一人の男の波瀾の運命を描く。主演は中井貴一。共演に佐藤浩市。

幕末の京都・壬生。尊皇攘夷の名の下にこの地で結成された新撰組は、表向きこそ勢いを見せるが、力を増す倒幕勢力の前に浮き足立ち士気は低下の一方だった。そんなある日、一人の剣士が入隊してきた。盛岡の南部藩出身のその男、吉村貫一郎はみすぼらしい身なりに似合わず、これまでに何人もの人を斬り捨ててきた猛者だった。しかし、大儀のためには己の命をも顧みない隊士たちの中にあって、恥ずかしげもなく命に固執し、さらには何かにつけてお金に執着する貫一郎の姿は異彩を放っていた。そんな貫一郎に、近藤勇も一目置く斎藤一は嫌悪を感じるのだったが…。

江戸時代が終わり、明治の御代となってのちの話である。感冒に罹患したと思われる孫を連れて、老人が町医者に駆け込んでくる。町医者は新天地である満州に医院を移すため、引っ越しの最中であった。医者の夫人が孫を診察し、老人は待合室で一息つく。ふと老人の目に、古びた一枚の写真が映った。その写真に写った武士は、老人のよく知る人物であった。老人は町医者に問わず語り、昔を思い出して行く。老人が昔「斎藤一」と呼ばれていた頃に出会った壬生狼、「吉村貫一郎」という男の生き様だった… 京都で血気盛んだった新選組の、入隊してきたばかりの吉村貫一郎と出会った頃から語り始める。


まっすぐに泣ける生き方がある

守銭奴と呼ばれても、貫きたい志があった。
身は修羅と化しても、守りたい愛があった。






  


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2011年06月05日

陰陽師Ⅱ-映画-

【 映画: 陰陽師Ⅱ 】 
『陰陽師II』(おんみょうじつー)は、2003年、滝田洋二郎監督、野村萬斎主演で制作された日本映画。『陰陽師』の続編である。前作と同様、陰陽師・安倍晴明が都で起こる奇怪な事件を解決するという伝奇時代劇である。


平安時代、都に鬼が現れては人の身体の一部を食らう事件が相次ぐ中、阿倍晴明(野村萬斎)は藤原安麻呂(伊武雅刀)の娘・日実子(深田恭子)が毎夜夢遊病のようにさまよい歩くことと、鬼の事件との関係性を調べることに。一方、その頃都では幻角(中井貴一)という男が次々と奇跡を起こし、人々から神のように崇められていた……。
夢枕漠による時代幻想小説の映画化第2作だが、前作を越える面白さ。キャストがそれぞれ役をつかみ得て好演し、また今回は中井貴一が風格ある演技で野村萬斎と対峙する。原作者自身による映画用オリジナル・ストーリーも天の岩戸など日本神話をベースにしたもので、ファンタジックな情緒は増すばかり。滝田洋二郎監督の演出も、前作との間に『壬生義士伝』を挟んだことで、より一層情感豊かなものがあふれ出ているのがいい。平安時代とCGIの融合も前作に比べ違和感がなく、肩の凝らない娯楽作に仕上がっている。クライマックスで舞いながら歩き続ける野村萬斎の姿は、まさに日本の芸の誉れである。


【 陰陽師Ⅱ エンドロール -Youtube- 】
  


Posted by hidesun(英寸) at 21:21Comments(0)邦画

2011年06月04日

陰陽師Ⅰ-映画-

2001年に滝田洋二郎監督、野村萬斎主演で制作された日本映画。原作は夢枕獏の小説『陰陽師』。実在した陰陽師・安倍晴明の活躍を描いた伝奇時代劇

【 映画: 陰陽師 】 

明の活躍を描いた伝奇時代劇闇に交われ、光を解き放て!

まだ闇が闇として残っていた京の都・平安京。当代きっての陰陽師・安倍晴明は、最近、都のあちこちでものの怪たちが蠢き出したことを感じ始めていた。ある夜、帝と左大臣・藤原師輔の娘・任子の間に生まれた親王・敦平の身に異変が起こった。晴明は右近衛府中将・源博雅からその話を聞くやすぐに、親王に強い“呪”がかけられていることを察知。晴明はこの謎と呪を解くために、不思議な過去を持つ女・青音を呼び寄せ、帝がいる内裏に向かう。しかし親王に込められた呪の意味は、これから晴明たちの前に巻き起こる想像を超える事件の前触れを告げたに過ぎなかった。その事件は、長岡京が10年で遷都を強いられた「大いなる謎」と絡み、避けることのできない宿命として晴明たちを襲い始めた…


【 陰陽師 映画予告 -Youtube- 】

  


Posted by hidesun(英寸) at 21:17Comments(0)邦画

2011年06月03日

紫陽花



花が青紫色で中性花の萼片が皿形につぼまるウズアジサイ、花が八重咲きになるヤエアジサイなど品種が多く、セイヨウアジサイ(ハイドランジャ)はヨーロッパでアジサイを改良したものです。ヨーロッパへは1789年に、日本から中国に渡っていたアジサイをバンクスJoseph Banksがイギリスのキュー王立植物園に導入したのが初めで、その後ヤマアジサイ、ベニガクなども渡って交雑育種され、多くの園芸品種が育成されました。


『万葉集』に大伴家持(おおとものやかもち)と橘諸兄(たちばなのもろえ)が詠んでいますが、平安文学に名はみえません。色が変わることが心の変節と結び付けられ、道徳的でないとみなされて、近世までは目だたない花でありました。逆に西洋では色変わりが珍しがられて改良が進みました。
シーボルトが愛人のお滝さん(楠本滝)の名からオタクサH. otakusaを種小名に与えたが、現在は先取権上ツンベルクが命名したマクロフィラが使われています。『和名抄(わみょうしょう)』以来の漢名である紫陽花は、中国ではライラックとする説が有力です。

紫陽花は、咲き始めからだんだんと花の色を変えることから、移り気な花と呼ばれていますが、これは心変わりからではなく、美しくなるための試行錯誤のような気がします。 現に、いちど地面に根を張ったアジサイは、冬の間は枯れたように見えながら、春になると再び、強い生命力で新芽を伸ばし、緑の葉を広げます。そしてその花たちは、日々美しくなるために色を変え、それでも満足せずに、また、色を変えていくのです。 
そんなアジサイの中に、シーボルトは、つかの間の愛人として生きた「お滝さん」の姿を重ね合わせたのでしょうか。 
名前だけを連れて帰ったシーボルト。
「人の心をごまかすように 七つのおたくさ紫陽花は オランダさんの置き忘れ……」と、長崎を舞台に、お滝さんをうたった悲しげな曲が残ります。いつもその身を雫でいっぱいにしている印象が強いアジサイ。お滝さんのことをうたった悲しげな曲を思い出すと、その雫は彼女の涙にも見えてきてしまいます。水が大好きで、人(?)一倍水を吸収する紫陽花らしい話「ひたむきな愛情」です。
古来より、紫陽花の花を乾かし煎じて飲むと、解熱作用があるといわれています。好きな人に想いをこめて贈れば、なにかいい結果がでるかもしれません。


Japan Graffiti sakai1574_SIM内大神稲荷神社は、こちらから

【 みるきー舞姫睦月公演 奉納舞 】

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Posted by hidesun(英寸) at 21:15Comments(0)和の暦

2011年06月02日

梅雨(つゆ)

梅雨は、中国から「梅雨」として伝わり、江戸時代頃より「つゆ」として呼ばれるようになりました。

6月上旬から7月中旬頃の、春の終わりから夏の初めにかけて降る長雨。梅雨前線の停滞により起こります。五月雨(さみだれ)、黴雨(ばいう)ともいいます。また、梅雨に入ることを、入梅(にゅうばい)といいます。

「入梅」は梅雨入りを意味する言葉ですが、歳時記を記したカレンダーには毎年6月11日頃に「入梅」と記してあります。この「入梅」は雑節(季節の移り変わりを把握するためのもので、あらかじめ日付が決まっているんです。
現在は太陽の黄経が80度に達した日が「入梅」ですが、以前は立春から数えて135日目、さらに昔の旧暦では芒種のあとの最初の壬(みずのえ)の日とされていました。こうした日付は実際の梅雨入りとは異なりますが、農作業の目安として重要視されていました。ちなみに、「梅雨明け」のことは「出梅」(しゅつばい)といいます。


梅雨は春から夏へと移るための大切な季節。梅雨ならではの悩みもあれば、楽しいこともありますね。毎年巡ってくるものなので、昔の人は上手に暮らしに組み込んで生活していました。
まず、梅雨の楽しみといえば梅。「梅雨」「入梅」の語源でもあるように、この時期は梅が実ります。昔から梅は三毒(食べものの毒・血液の毒・水の毒)を断つといわれる健康食で、梅酒や梅干し作りが欠かせませんでした。また、梅干し作りに使う赤じそも旬ですから、しそジュース作りも楽しいものです。
また、食中毒対策として、食あたりを防ぐ役目のあるみょうが、しょうが、わさび、大葉などの薬味を活用したり、お弁当やおにぎりを酢飯にしたりするのも昔ながらの知恵です。まな板に緑茶をかければ、消臭・抗菌作用でスッキリするでしょう。


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Posted by hidesun(英寸) at 21:33Comments(0)和の暦

2011年06月01日

夏越しの大祓式

夏を越すにあたって、日常の生活で知らず知らずのうちに付いてしまった罪穢れなど良くないものを祓う事で、心身を清め、明るく元気に生活を送れるようにとの願いを込めて、古来より行われてきた神事です。起源は七世紀ごろではないかと言われています。遺跡から、木製の祓の人形が出てくることもあるそうです。

【 Japan Graffiti sakai1574 大神稲荷 】

大祓式では大祓詞を奏上します。
大祓詞は平安時代に作られた法律の細則「延喜式」の中にある祝詞です。一般には、それを少し変えて神社庁が出しているものを用いています。

大祓詞(おおはらえのことば)は、神社だけではなく、密教などのお寺や修験者などにも広く唱えられてきました。前半は神話の世界を語り、「…ふとのりとごとをのれ」で終わります。後半は「かくのらば…」から始まり、祓戸の四神によって祓い流されていく様子をリズミカルに表現しています。解釈も様々で深く読むと難解ですが、お経と同様、唱える事で、威力を発揮するものと考えられています。

大祓人形(ひとがた)は形代(かたしろ)とも呼ばれます。身に付いた様々な不要なもの(知らず知らずのうちについてしまった罪や穢れ)を人形の移して、水に流したり焚き上げたりします。雛人形のもとの流し雛も同じ考え方です。紙の人形で頭や肩をなでて、祈念を込めて三回息を吹きかけて、移します。


古来の神道的な考えでは、人は本来善なるものと考えます。災いは身に付いてしまった不要なものが引き起こすと考えますのでそれを祓うことで、本来の魂が輝きを取り戻すと考えます。

祓えつ物(はらえつもの)として布を差し出し、切り裂いて祓います。少し詳しくなりますが、「祓い」には上記の身に付いたもの取り払う意味の他に、犯した罪の代償を払うという意味もあります。神前に絹や木綿の布を差し出し、代償を払うことが、古来より行われてきました。古くは、古事記で乱暴を働いたスサノヲ命が、祓えつ物としてたくさんの物と自分の髭と爪を差し出しています。

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Posted by hidesun(英寸) at 21:23Comments(0)大神稲荷神社(SL)