
2011年07月10日
狩衣
陰陽師の衣装といえば「狩衣(かりぎぬ)」

陰陽師=狩衣というイメージは最も有名な陰陽師の一人・安倍晴明から来てるのでしょう。今日一般的に知られている陰陽師・安倍晴明像は夢枕獏さんの小説の影響が強いかと思います。
狩衣は平安貴族の普段着だったので、陰陽寮の役人である安倍晴明が妖怪退治等のに出かける時に動きやすい衣装である狩衣を着るのは割と普通のことかと思います。つまり、陰陽師=狩衣ではなく、平安時代の動きやすい衣装=狩衣です。
狩衣装束の構成は、下着を着て指貫(あるいは差袴)をはき、狩衣を着るだけです。また、立烏帽子をかぶります。
普段着という性質上、狩衣の色目・紋様は全くの自由です。ただし、禁色は避けられました。なお、白色の無紋狩衣・無紋指貫の形を「浄衣(じょうえ)」といい、専ら神事に用いられました。

【 映画 陰陽師画像 】
狩衣はもともと都の中産階級の人々のお洒落着であった布衣に由来します。布と言う字からも解るとおりもともと麻布製の素朴なものでありましたが、動きやすさを好まれて貴族が鷹狩りなどの衣装として採用し、平安初期には上皇以下の貴族の日常着になりました。
平安時代中期には国風文化の隆盛とともに「みやび」と言う価値観・美意識が広まりました。 貴族達は狩衣の表地と裏地の色に工夫を凝らし、裏地の色が薄い絹を通して表にほんのり現れる様子に優美な名称をつける「色目」が考え出されました。ただし、上級貴族の場合、四十歳を迎え「四十の賀」の祝いの後は老人と見なされ白い裏地しか使えなくなりました。
平安時代末期の院政期に入ると、直衣に続き狩衣で院御所に出入りすることが一般化しました。

【 みるきー舞姫 2011年夏公演告知動画 】
● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画

陰陽師=狩衣というイメージは最も有名な陰陽師の一人・安倍晴明から来てるのでしょう。今日一般的に知られている陰陽師・安倍晴明像は夢枕獏さんの小説の影響が強いかと思います。
狩衣は平安貴族の普段着だったので、陰陽寮の役人である安倍晴明が妖怪退治等のに出かける時に動きやすい衣装である狩衣を着るのは割と普通のことかと思います。つまり、陰陽師=狩衣ではなく、平安時代の動きやすい衣装=狩衣です。
狩衣装束の構成は、下着を着て指貫(あるいは差袴)をはき、狩衣を着るだけです。また、立烏帽子をかぶります。
普段着という性質上、狩衣の色目・紋様は全くの自由です。ただし、禁色は避けられました。なお、白色の無紋狩衣・無紋指貫の形を「浄衣(じょうえ)」といい、専ら神事に用いられました。

【 映画 陰陽師画像 】
狩衣はもともと都の中産階級の人々のお洒落着であった布衣に由来します。布と言う字からも解るとおりもともと麻布製の素朴なものでありましたが、動きやすさを好まれて貴族が鷹狩りなどの衣装として採用し、平安初期には上皇以下の貴族の日常着になりました。
平安時代中期には国風文化の隆盛とともに「みやび」と言う価値観・美意識が広まりました。 貴族達は狩衣の表地と裏地の色に工夫を凝らし、裏地の色が薄い絹を通して表にほんのり現れる様子に優美な名称をつける「色目」が考え出されました。ただし、上級貴族の場合、四十歳を迎え「四十の賀」の祝いの後は老人と見なされ白い裏地しか使えなくなりました。
平安時代末期の院政期に入ると、直衣に続き狩衣で院御所に出入りすることが一般化しました。

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