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2010年12月08日

徳川と三つ葉葵

徳川と三つ葉葵
葵紋(あおいもん)はウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したもので、フタバアオイの通常の葉の数は2枚である。3つの葉をもつフタバアオイは稀で、三つ葉葵は架空のものである。葵祭に見られるように賀茂氏の象徴であり、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵・加茂葵)になっている。 その賀茂氏とのつながりが深い三河国の武士団は、葵紋を家紋としてきた。これにより三河武士である徳川家が葵紋を使用していることは、徳川家が清和源氏の末裔ではなく賀茂氏の末裔ではないかとの説の根拠ともなっている。
はじめは、特別な紋ではなかったが徳川家が征夷大将軍となり徳川幕府を開くにあたり、次第に他家の三つ葉葵に限らず葵紋の使用がはばかられるようになり、松平家へは遠慮させ、伊奈家には禁止させているが、徳川家家臣である本多家や准家門の鳥取池田家のように一部葵紋の使用を許されることもあった。また、この制限によって、葵紋の形状に倣った紋を河骨紋と称して用いる一族や家が現れたと考えられている。このように徳川将軍家以下一門に制限されていたというが、江戸初期では御用商人の長持などの道具に描かれていたという。また、正式に制限されたのは、享保8年(1723年)のことである。
天皇家は足利家、織田信長、豊臣秀吉の例に倣い桐紋を徳川家にも与えようとしたが、徳川家はこれを固辞したため、葵紋の権威が上がったともいわれる。
または「三つ葵(みつあおい)」という。外郭が、「丸(輪)」であるもののほかに、「隅切り角」(守山三つ葵・西条三つ葵など)のものや「五環」であるものもそういう。
徳川家、徳川御三家(尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家)では、同じような「丸に三つ葉葵(まるにみつばあおい)」を用いる。いわゆる徳川葵(とくがわあおい)である。ただし、徳川葵は、「丸」と「茎」とする部分が一体であるものとして区別することがある。
御三家それぞれでは、葉の模様(芯)の数の違いなどがある。同じ将軍家のものでも徳川三代までが一枚あたり33本で徐々に減っていき慶喜の時には13本になっている。また、綱吉、吉宗は、「会津葵」のように、河骨の葉の図案に似た葉を用いている。ほかに葉の裏を使ったもの(丸に三つ裏葵)などの多くの変種がある。ただ、徳川一門である松平家は替紋の蔦紋や五三桐、唐団扇などを使用することがある。
由来には、本多家に由来する説と酒井家に由来する説、松平家の元々の家紋であるとする説、などがある。
『 三つ葉葵wiki 』

公演のご案内


場所  江戸吉原SIM
日時  12月19日(日)
演目
・デモンストレーション 花魁道中(みるきー舞姫)
21:40~22:00
・万華鏡 
22:00~23:00
・みるきー舞姫
23:00~24:00
場所 http://slurl.com/secondlife/EDO%20Yoshiwara/69/195/21 
徳川と三つ葉葵



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Posted by hidesun(英寸) at 22:20│Comments(0)和文化
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