2011年01月20日
イザナギのみそぎ

【 画像 身曾岐神社・・・祭神 : 天照大神・天徳知徳乍身曾岐自在神 】
ようやく黄泉の国から戻ることができたイザナギは、イザナミに会いにいったことをとても後悔(こうかい)していました。
「黄泉の国で、私の体は大変けがれてしまった。きれいに洗い清めなければ」
こういうと、イザナギは“筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎがはら)”に出かけ、そこで“みそぎ”をすることに決めました。
まず、持ち物や身につけていた衣服を脱ぎ捨てました。するとそれらの物からたくさんの神さまが生まれました。
つえから生まれた神さま。帯から生まれた神さま。小物を入れる袋から生まれた神さま。衣から生まれた神さまなどです。
裸になったイザナギは、チャポン…チャポンときれいな水の中へと入っていくと、中に潜(もぐ)って体を洗いはじめました。
するとどうでしょう。今度もたくさんの神さまが生まれたのです。
イザナギの体からでた汚れから生まれた神さま。水底で体をすすいだときに生まれた神さま。水中で体をすすいだときに生まれた神さま。水面で体をすすいだときに生まれた神さまなどです。
そして、体がすっかりきれいになったイザナギが、最後に顔を洗ったときのことです。
左の目を洗うとアマテラス。右の目を洗うとツクヨミ。そして鼻を洗うとスサノオが生まれました。
イザナギは、みそぎの最後に生まれた三人の神さまの誕生をとても喜び、アマテラスには高天原(たかまがはら)を、ツクヨミには夜を、スサノオには海を、それぞれ治めるよう告げたのでした。
※ みそぎ(禊)
神道や仏教で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。仏教では主に水垢離(みずごり)と呼ばれる。
※ 現代におけるみそぎ(禊 )
神事の前に於ける行として、一般参拝者が手水で清めることも禊の一種である。
川や海、滝に入る禊を行う者もある。神社関係者などの研修会等で行われる他、寒中に精神鍛錬の意味合いをもって、神社が主催し、氏子らを集めて行う事もある。
武道修行者が、寒稽古の一環として行うこともある。また稽古の前に冷水を浴びてから稽古を行う武道家もいる。
Japan Graffiti sakai1574 SIM内神社 : 大神稲荷 】
撮影場所:大神稲荷
Posted by hidesun(英寸) at 21:33│Comments(0)
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