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2011年10月31日

湯屋

家康が江戸入りした翌年、天正十九年(1591)に 江戸の銭瓶橋(ぜにかめばし)に湯屋の第一号が開業しました。 しかし、この頃の湯屋は蒸し風呂でした。 その後、戸棚風呂というものが一時的に流行します。これは引き戸を開けて中に入り、また閉めるもので、湯の深さも一尺ほどしかなく 、腰から下だけつかるものでした。その後登場するのが石榴口(ざくろぐち)の風呂です。

湯屋
「千と千尋の神隠し」湯婆婆が経営する、八百万の神が体を休める温泉旅館の湯屋「油屋」

関西では銭湯を風呂といい、江戸では湯屋(ゆうや)といいました。 上方では「大和湯」、「扇湯」、「桜湯」などと店に名がつけられていましたが、江戸では「檜町の湯」、「堀江町の湯」などと町名をつけて呼んでいました。町人や商人の家に風呂はなく、みんな銭湯に行きました。江戸一番の呉服屋「越後屋」でさえ風呂はなかったそうです。

下の絵は鍬形ケイ斎の『近世職人尽絵詞』中の湯屋の図です。画面左手前に番台(高座)、右奥に湯くみの姿が見えます。縞の着物の男は盗難防止用の木札が付いた鋏で爪を切り、画面右手前の男は紐に吊された櫛を使っています。また中央には軽石で踵(かかと)をこする男の姿も見えます。
湯屋

戸棚風呂
江戸の初期、一時的に流行したのが戸棚風呂です。 引戸を開いて中に入り、また引戸を閉めます。中の湯は一尺(30センチ)ほどしかなく腰から下だけしかつかることが出来ませんでした。中で温まって垢が浮いたところで洗い場へ出て体を洗いました。
『守貞謾稿』には 「戸棚風呂と云ふ物、三都には稀なれども、他国の銭湯には往々これあり。予、兵庫にて入りしことあり。また江戸にて薬湯にて往々これを見る。浴槽はなはだ浅く、湯やうやく尺ばかり。膝をひたすのみなれば、引き違ひ戸を用ひて湯気を洩らさざらしむ。」とあります。

据え風呂
居風呂、または水風呂とも書き、蒸風呂に対する名称です。 江戸では燃料の薪代が高く、それに加え、水を確保するための井戸を掘るのには一基二百両もの費用がかかりました。吉原の遊郭でさえ掘抜井戸が出来たのは享保11年(1726年)、一般の高級町家に掘抜井戸が出来はじめたのは文化年間(1810年頃)になってからだそうです。京坂の据風呂は五右衛門風呂と呼ばれる釜風呂でしたが、江戸では鉄砲風呂が一般的でした。左の図は歌麿の筆による据風呂の図です。図の右端にわずかに見えている黒い部分が「鉄砲」と呼ばれる部分です。鉄、銅製の筒を桶のなかに入れて火を焚くもので、うっかり鉄砲にさわって火傷することもありました。

行水
夏は汗疹(あせも)を防ぐためと湯銭を節約する意味もあって、裏庭に盥(たらい)をおき朝から水を溜め陽気の熱で温まった夕方に湯浴みをしました。浮世絵にも行水をする女性の姿がよく描かれています。

五右衛門風呂
文禄四年(1595)、に捕らえられ、釜ゆでの刑に処された大盗石川五右衛門の説話にちなんで名付けられた据え風呂です。底に板を沈めその上に乗って入ります。入浴者のいない時は、その板が蓋の代用となって湯がさめるのを防ぎます。

辻風呂
水上生活者などのために浴室を設けた舟が巡回して営業しました。これを「湯舟」と呼びました。人目を避けるため、男女の密会にも使われたようです。

湯屋

吉原も揺るがした湯女風呂
徳川家康が江戸入りし、開発の進む中、建設に従事する労働者にとって砂塵や汗を洗い流す大衆浴場は必要不可欠なものとなりました。 労働者の大半は男ですから、男が集まるところに「女」は付きもので、やがて銭湯にもあやしげな気配が漂ってきます。 それが「湯女風呂」です。 『慶長見聞集』には湯女風呂について次のような記載があります。
「今は町ごとに風呂あり。びた拾五文廿銭ずつにて入る也。湯女といいて、なまめける女ども、廿人、三十人と並びいて、垢をかき、髪をそそぐ。 さてまた、その他に容色よく類なく、心ざま優にやさしき女房ども、湯よ茶よと云いて持来りたわむれ、浮世がたりをなす。こうべをめぐらし一度笑めば、百のこびをなして男の心をまよわす。」

湯女をおく風呂屋は朝から始業して、夕は七ッ時(午後4時頃)に一旦仕舞いました。そのあと再び身支度をして、風呂場の洗い場の格子の間を座敷にこしらえ金屏風を立て、灯をともして衣服を着替えた湯女たちが三味線を弾き、小唄を歌って、客を集めました。 『洞房語園抄語』には 「寛永十三年(1636)のころより、町中に風呂屋というもの発興して遊女を抱えおき、昼夜の商売をしたり。これよりして吉原衰微しける。

湯屋



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Posted by hidesun(英寸) at 20:05│Comments(0)和文化
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