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2012年04月02日

東海道中膝栗毛

『東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて初刷りされた、十返舎一九の滑稽本である。後続の『続膝栗毛』は、1810年(文化7年)から1822年(文政5年)にかけて刊行された。大当たりして、今に至るまで読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八、繋げて『弥次喜多』は、派生する娯楽メディア類に、なお活躍している。
東海道中膝栗毛

『栗毛』は栗色の馬。『膝栗毛』とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。
江戸神田八丁堀の住人栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)と、居候の喜多八(きたはち)が、厄落としにお伊勢参りを思い立ち、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大坂へとめぐる。道中の二人は、狂歌・洒落・冗談をかわし合い、いたずらを働き失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こす。

東海道中膝栗毛

登場人物
弥次郎兵衛(やじろべえ)
東海道の旅に出発当時数え歳50歳(満49歳)。屋号は「栃面屋」。肥っていて、作者によると「のらくら者」「ただのおやじ也」という。作中では下俗で軽薄な性格設定がされているが、一方で楽器を演奏し、古今の書籍に通暁し、狂歌や漢詩、また法律文書も自在に作成するなどきわめて教養程度の高い人物として描かれる。駿河国府中(現静岡市)出身、実家は裕福な商家であったが遊蕩が過ぎて作った借金がもとで江戸に夜逃げし「借金は富士の山ほどある故に、そこで夜逃を駿河者かな」と身の上を詠んでいる。江戸では神田八丁堀の長屋で密陀絵などを製作して生活していたが妻と死別し、つまらぬ身の上に飽き果て旅に出ることを決意する。
喜多八(または北八・きたはち)
出発当時数えで30歳(満29歳)。弥次郎兵衛の居候。元々は弥次郎兵衛の馴染みの陰間であったが、弥次郎兵衛とともに江戸に夜逃げしてくる。ある商家に使用人として奉公するが、使い込みが露見したことと、女主人に言い寄ろうとして不興を買い解雇されて行き場を失い、弥次郎兵衛とともに旅立つ。

東海道中膝栗毛

東海道中膝栗毛

東海道中膝栗毛




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Posted by hidesun(英寸) at 20:33│Comments(0)和文化
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