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2010年12月06日

智泉院事件

江戸城大奥は、正徳四年(1714)絵島・生島事件で有名ですが。同じようなスキャンダルが他に三件あるんです。 谷中の延命院事件(八つぁん六年二月・谷中延命院)。下総中山の智泉院事件。それに、雑司が谷鼠山の感応寺事件です。 大奥は本来、表と奥が一体であったのですが元和四年(1618)春日局が大奥法度を定めて、男子禁制にしたのです。

【 MilkyHouse 大奥衣装 ”梅開早春” より】
(智泉院事件)
下総中山法華経寺の子院に智泉院が在ります。日蓮宗の住持日啓は子沢山の生臭坊主でしたが、その子供にお美代という美貌の持ち主が居たのです。智泉院の檀家に将軍家斉のお小姓中野清茂が居ました。清茂はお美代を養女として大奥に入れて、家斉に智泉院を将軍家の祈祷所にと、夜の寝物語にねだらせて見たら。鼻の下を長くした家斉は「ああ、よかろう」の二つ返事で承知したのです。
これからが事件の始まりです。将軍家の祈祷所となると、奥女中が江戸城から智泉院の参詣に通うようになった。通ううちに坊主の中には特別に有り難い祈祷をする破戒僧もいて、加持祈祷の名の下にお女中と通じ、大奥にも出入りして、奥女中を夢中にさせたのでした。あまりにも酷い状態になってきたので放ってもおけず、天保五年(1834)五月寺社奉行に新任した阿部伊勢守正弘に摘発を命じたのです。就任直後の正弘が智泉院に踏み込んで、日啓と坊主たちを召し捕って調べると、事件の重大さが判明してきた。阿部正弘は谷中延命院の場合と同じように大奥に関する罪状には手をつけず、日啓とその身内だけを女犯のかどで処断した。日啓は遠島、倅の日尚は日本橋に三日間晒された。智泉院持ちの八幡神社を取り潰して領地を没収し、噂の的であった雑司が谷の感応寺も取り壊して、領地を没収した。大奥に傷はなかったが、正弘の裁決に怖気づいた大奥の浮気の虫を封じる効果はあった。


●公演のご案内



場所江戸吉原SIM
●日時 12月19日) 
デモンストレーション 花魁道中(みるきー舞姫) 21:40~22:00
万華鏡 22:00~23:00 
みるきー舞姫 23:00~24:00
●場所  
http://slurl.com/secondlife/EDO%20Yoshiwara/69/195/21 
●演目
デモンストレーションみるきー舞姫 21:40~22:00  花魁道中   
第一幕 万華鏡 22:00~23:00  『 将 軍 』
第二幕 みるきー舞姫 23:00~24:00  
  


Posted by hidesun(英寸) at 22:05Comments(0)大奥