
2011年01月07日
巫女舞

巫女装束・服(非売品)MilkyHouse
古代日本において、祭祀を司る巫女自身の上に神が舞い降りるという神がかりの儀式のために行われた舞がもととなり、それが様式化して祈祷や奉納の舞となった。前者(「神がかり系」)においては古来の神がかりや託宣の儀式の形式に則って回っては回り返すという動作を繰り返しながら舞うことなどでその身を清めてからその身に神を降すという、その古態を残すところもあるが、現在では優雅な神楽歌にあわせた舞の優美さを重んじた後者(「八乙女系」)がほとんどである。千早・水干・緋袴・白足袋の装いに身を包んだ巫女が太鼓や笛、銅拍子などの囃子にあわせて鈴・扇・笹・榊・幣など依り代となる採物を手にした巫女が舞い踊る。また、関東地方の一部などでは巫女が仮面を嵌める場合もある。処女が巫女(八乙女)として舞を務める例が多い。
『古事記』・『日本書紀』において天岩屋戸の前で舞ったとされる天鈿女命の故事にその原型が見られ、その子孫とされた「猨女君」の女性達は代々神祇官の女官として神楽を奉納したとされている。平安時代の宮廷で舞われたとされる「猨女」・「御巫」(『貞観儀式』)はいずれも巫女舞であったと推定されている。『拾遺集』によれば、920年(延喜20年)に奈良の春日大社で「八乙女」と呼ばれる巫女達による神楽が舞われたと記録されている。平安時代末期の藤原明衡の著である『新猿楽記』には、巫女に必要な4要素として「占い・神遊・寄絃・口寄」が挙げられており、彼が実際に目撃したという巫女の神遊(神楽)はまさしく神と舞い遊ぶ仙人のようだったと、記している。また、少し後の時代に属する『梁塵秘抄』にある「鈴はさや振る藤太巫女」にも鈴を持ちながら舞い踊る巫女が登場する。
巫子舞、御子舞、神子舞などとも書き、巫女神楽(かぐら)ともいう。もと神に仕える巫女が神がかりして託宣するために舞をまった。巫女舞はこうした神がかりの舞が洗練され様式化されたもので、のちには社頭における鈴を振りながらの祈祷(きとう)の奉納舞にもなった。また湯立(ゆだて)をつかさどったのも多くは巫女で、湯立に伴う湯清めの舞をまった。古代には記紀にみえる天岩屋戸(あめのいわやど)の天鈿女命(あめのうずめのみこと)が神がかりして俳優(わざおぎ)したのや、『古語拾遺』に「さる女君(めのきみ)ノ氏ハ神楽ノ事ニ供ヘ」とある神楽も、ともに巫女舞であったと考えられる。
一方、中世に法者(ほうしゃ)や修験(しゅげん)者と連携した巫女は法者の誦(よ)む祭文につれて巫女が神がかりし、死霊鎮めの舞をまった。
巫女舞の基本は、鈴、榊(さかき)、笹(ささ)、幣(みてぐら)、扇などを採物(とりもの)として回って回り返す旋回運動にあるが、全国各地の巫女舞には美しくまうだけの形式的な舞が多い。託宣の形を残すものには、秋田県の保呂羽(ほろは)山の霜月(しもつき)神楽の神子舞や岩手県宮古市の黒森神社の神子舞と湯立託宣などがあり、神がかり風な舞は島根県の隠岐(おき)神楽の巫女舞に残っている。巫女舞をはやす楽器は、笛、太鼓、銅子(どうばつし)の所が多く、琴や笏拍子(しゃくびょうし)などがつく所もあり、神歌(かみうた)も歌われる。

【 堺町内神社 : 大神稲荷 Flash画像×16枚 】
撮影場所:大神稲荷
2011年01月07日
天鈿女命(アメノウズメ)
アメノウズメ(アマノウズメ)は、日本神話に登場する女神です。(wikiより)

「岩戸隠れ」のくだりなどに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記する。神名の「ウズメ」の解釈には諸説あり、「強女(オズメ)」の意とする『古語拾遺』説や、「髻華(ウズ)」を結った女性(巫女の装束)の意とする『稜威道別』(イツノチワキ)説、折口信夫が『若水の話』で出した、「マナを指すヲチの音便で、魂をヲチふらせる意」説などがある。
笑いと狂気という、「人間の原始的情念」の一環が噴出した物としてあげた(『狂笑の論理』)、天の岩戸の前における「巧みに俳優をなす」彼女の行為は、神への祭礼、特に古代のシャーマン(巫)が行ったとされる神託の祭事にその原形を見ることができる。いわばアメノウズメの逸話は古代の巫女たちが神と共に「笑ひゑらぐ」姿を今に伝えるものである。カミアソビは「たまふり」の儀礼であり、岩戸で行なったウズメの所作は「マナ(外来魂)を集め、神に附ける」古代の行為である。
神話での記述
岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をした。思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。
その一環として、アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、神々を大笑いさせた。その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った。

【 堺町内神社 : 大神稲荷 Flash画像×16枚 】
撮影場所:大神稲荷

「岩戸隠れ」のくだりなどに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記する。神名の「ウズメ」の解釈には諸説あり、「強女(オズメ)」の意とする『古語拾遺』説や、「髻華(ウズ)」を結った女性(巫女の装束)の意とする『稜威道別』(イツノチワキ)説、折口信夫が『若水の話』で出した、「マナを指すヲチの音便で、魂をヲチふらせる意」説などがある。
笑いと狂気という、「人間の原始的情念」の一環が噴出した物としてあげた(『狂笑の論理』)、天の岩戸の前における「巧みに俳優をなす」彼女の行為は、神への祭礼、特に古代のシャーマン(巫)が行ったとされる神託の祭事にその原形を見ることができる。いわばアメノウズメの逸話は古代の巫女たちが神と共に「笑ひゑらぐ」姿を今に伝えるものである。カミアソビは「たまふり」の儀礼であり、岩戸で行なったウズメの所作は「マナ(外来魂)を集め、神に附ける」古代の行為である。
神話での記述
岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をした。思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。
その一環として、アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、神々を大笑いさせた。その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った。

【 堺町内神社 : 大神稲荷 Flash画像×16枚 】
撮影場所:大神稲荷