
2011年02月16日
日本庭園(偕楽園)
偕楽園(かいらくえん)
日本・茨城県水戸市にある日本庭園です。

100種3000本のウメ(梅)が植えられている。園内にはウメの異名「好文木」に由来する「好文亭」がある。
1841年(天保12年)7月、水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園が開始され、翌年に開園した。 斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、弘道館で文武修行する藩士の休養の場とすると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいとして「偕楽園」と名づけた。その名の精神により当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていた。この精神を引き継ぎ、日本三名園では唯一、入園無料である(ただし、前述の「好文亭」を利用する場合は有料)。
1922年3月8日に「常磐公園」の名で国の史跡および名勝に指定された。管理団体は茨城県である。1945年に好文亭は水戸空襲で焼失し、1958年復元されたが、1969年に落雷で再度焼失し、1972年に復元された。
陰陽の世界
偕楽園の正式な入り口である旧来の表門は、敷地の北西側に位置しており、この表門は黒塗りであることから「黒門」とも呼ばれている。表門から園内に入り、「一の木戸」と呼ばれる門を潜ると、偕楽園の西半分を構成するモウソウチク(孟宗竹)やスギ(杉)の鬱蒼した林の中を進む道が続いている。この道に沿って東へと進み、幾つかの門を経由して好文亭へと至ると風景が一転し、千波湖を一望する高台に位置する、明るく華やかな一面の梅林へと到着する。
好文亭付近には、偕楽園創設の趣旨を記した石碑「偕楽園記の碑」があり、自然界の陰と陽の調和についての説明がある。偕楽園は西半分に位置する杉や竹の林が陰の世界を、北東の梅林が陽の世界を表すことで、園全体で陰陽の世界を体現しているともいわれ、表門から入ってこそ園の設計に沿った、偕楽園本来の魅力を堪能することができるのだと解釈する説もある。
撮影時期:2008年8月
場所:kenroku 他
日本・茨城県水戸市にある日本庭園です。

100種3000本のウメ(梅)が植えられている。園内にはウメの異名「好文木」に由来する「好文亭」がある。
1841年(天保12年)7月、水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園が開始され、翌年に開園した。 斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、弘道館で文武修行する藩士の休養の場とすると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいとして「偕楽園」と名づけた。その名の精神により当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていた。この精神を引き継ぎ、日本三名園では唯一、入園無料である(ただし、前述の「好文亭」を利用する場合は有料)。
1922年3月8日に「常磐公園」の名で国の史跡および名勝に指定された。管理団体は茨城県である。1945年に好文亭は水戸空襲で焼失し、1958年復元されたが、1969年に落雷で再度焼失し、1972年に復元された。
陰陽の世界
偕楽園の正式な入り口である旧来の表門は、敷地の北西側に位置しており、この表門は黒塗りであることから「黒門」とも呼ばれている。表門から園内に入り、「一の木戸」と呼ばれる門を潜ると、偕楽園の西半分を構成するモウソウチク(孟宗竹)やスギ(杉)の鬱蒼した林の中を進む道が続いている。この道に沿って東へと進み、幾つかの門を経由して好文亭へと至ると風景が一転し、千波湖を一望する高台に位置する、明るく華やかな一面の梅林へと到着する。
好文亭付近には、偕楽園創設の趣旨を記した石碑「偕楽園記の碑」があり、自然界の陰と陽の調和についての説明がある。偕楽園は西半分に位置する杉や竹の林が陰の世界を、北東の梅林が陽の世界を表すことで、園全体で陰陽の世界を体現しているともいわれ、表門から入ってこそ園の設計に沿った、偕楽園本来の魅力を堪能することができるのだと解釈する説もある。
撮影時期:2008年8月
場所:kenroku 他
