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2012年02月09日

一寸法師

一寸法師(いっすんぼうし)は、日本の伽話の一つ

【 大神 イッスン 画像 】

子供のない老夫婦が子供を恵んでくださるよう住吉の神に祈ると、老婆に子供ができた。しかし、産まれた子供は身長が一寸(現代のメートル法で3cm)しかなく、何年たっても大きくなることはなかった。子供は一寸法師と名づけられた。
ある日、一寸法師は武士になるために京へ行きたいと言い、御椀を船に、箸を櫂にし、針を刀の代わりに、麦藁を鞘の代りに持って旅に出た。京で大きな立派な家を見つけ、そこで働かせてもらうことにした。その家の娘と宮参りの旅をしている時、鬼が娘をさらいに来た。一寸法師が娘を守ろうとすると、鬼は一寸法師を飲み込んだ。一寸法師は鬼の腹の中を針で刺すと、鬼は痛いから止めてくれと降参し、一寸法師を吐き出すと山へ逃げてしまった。
一寸法師は、鬼が落としていった打出の小槌を振って自分の体を大きくし、身長は六尺(メートル法で182cm)になり、娘と結婚した。ご飯と、金銀財宝も打ち出して、末代まで栄えたという。
しかし御伽草子に掲載されたものは、今のようなこととは少し話が異なっている。
老夫婦が、一寸法師が全く大きくならないので化け物ではないかと気味悪く思っていた。そこで、一寸法師は自分から家を出ることにした。
京で一寸法師が住んだのは宰相殿の家
一寸法師は宰相殿の娘に一目惚れし、妻にしたいと思った。しかし小さな体ではそれはかなわないということで一計を案じた。神棚から供えてあった米粒を持ってきて、寝ている娘の口につけ、自分は空の茶袋を持って泣きまねをした。それを見た宰相殿に、自分が貯えていた米を娘が奪ったのだと嘘をつき、宰相殿はそれを信じて娘を殺そうとした。一寸法師はその場をとりなし、娘と共に家を出た。
二人が乗った船は風に乗って薄気味悪い島に着いた。そこで鬼に出会い、鬼は一寸法師を飲み込んだ。しかし一寸法師は体の小ささを生かして、鬼の目から体の外に出てしまう。それを何度か繰り返しているうちに、鬼はすっかり一寸法師を恐れ、持っていた打出の小槌を置いて去ってしまった。
一寸法師の噂は世間に広まり、宮中に呼ばれた。帝は一寸法師を気に入り、中納言まで出世した。
そして他の資料にも類話は残されており、長者の娘への策略は江戸時代に著わされた『神国愚童随筆』にも見え、記録されている。
娘は濡れ衣を着せられた状態で一寸法師に預けられるが、求婚者の携えてきた食物を口にすればその男の意思を受け入れたものと見なす観念が働いているという説もある。
婚約者を得た法師は手に入れた小槌で若者に成長し、娘と結ばれる。話によっては娘に対する計略のモチーフを欠いている話もある。
鬼退治のみで計略や若者への成長がないもの。
各地に伝わる話によってはその内容に変化が多い。



現在伝わっている話がいつ成立したかは未詳であるが、室町時代後期までには成立していたものとされる。「小さな子」のモチーフは、日本においては日本神話のスクナヒコナ(少・大地男神、スク=少・ナ=大地・ヒコ=男神・ナ=接尾辞)がその源流と考えられる。
スクナヒコナは「日本霊異記」の道場法師、『天神縁起』の菅原道真を媒介し中世の『小男の草子』、近世の『御伽草子』の一寸法師にまでつながっていく。
国土造成神スクナヒコナが水辺に出現したように昔話の「小さ子」の主人公も何らかの形で水界と関わっており、水神にまつわる基層信仰の存在が指摘されている。年老いて子がない事自体共同体の中では異端であり、その異端者が神に祈願して脛から生まれたりタニシの姿(田螺長者)で生まれたりする異常な出生は英雄や神の子を語るときの常でもある。
御伽草子の一寸法師が有名になったことで、各地に伝わる小さな人が出てくる民話や伝承も「一寸法師」と呼ばれるようになった。
江戸時代には、「一寸法師」の名は背の低い人間に対する差別用語としても用いられ、妖怪をテーマとした『狂歌百鬼夜狂』『狂歌百物語』などの狂歌本では、一寸法師が妖怪の一種として詠まれている。
なお一寸法師が住んでいた津の國難波の里とは現在の三津寺(ミッテラ)から難波付近と言われている。また御伽草子には「すみなれし難波の浦をたちいでて都へいそぐわが心かな」とあるため、椀に乗って京に向って出発した難波の浦は、現在の道頓堀川だと言い伝えられている。




堺SIM 大神稲荷神社 場所
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Posted by hidesun(英寸) at 20:48Comments(0)おとぎ話