
2012年05月07日
新撰組(羽織・隊旗)

隊旗
赤地に金字または白字で「誠」を染め抜き、隊服と同じようにダンダラが入っていたとする隊旗が一般的。旗が揺れたときに「誠」という字が、近藤の実家・試衛館の「試」に見えるからという理由も隠されているらしい。近藤派の存在を大きくしたかった土方の野望だとも言われる。

他にも隊旗があり、全部で6種類あるとされている。また、その隊旗が現れたとき、敵は恐怖で凍りついたと言われる。この旗は現在の高島屋にあたる古着・木綿商によって特注で製作されたものである。
隊服
当初、袖口に山形の模様(ダンダラ模様)を白く染め抜いた浅葱色(水色)の羽織を着用していたとされる。羽織のダンダラは忠臣蔵の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたときに着ていた羽織の柄で、浅葱色は武士が切腹のときに着る裃の色である。製作したのは大文字屋呉服店(現在の大丸)。一説には、大文字屋ではなく「呉服問屋・菱屋」ともいわれる。

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十五屋さん
ダンダラ羽織は最初の1年ほどで廃止されたらしく、池田屋事件の時に着用していたとする証言が最後の記録である。池田屋事件の2日後に目撃された隊士の服装は、着込襦袢、襠高袴、紺の脚絆、後鉢巻、白の襷であった[22]。新選組に尾行されていた大村藩士・渡辺昇によれば、尾行者が黒衣・黒袴であればすぐに新選組であると判ったという。また、明治末期に老人が、新選組は黒羅紗筒袖の陣羽織を着ていたと証言していることから、ダンダラ羽織の廃止後は黒ずくめであったと考えられる。
警備や戦闘の際には、鉢金、鎖帷子、籠手、胴などの防具を装着した。主な武器は刀と槍であった。局長の近藤勇は打刀とほぼ同寸の長脇差を好んだ。副長の土方歳三も、刃長2尺8寸の和泉守兼定、1尺9寸5分の堀川国広の刀を用いていた。
鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗れた直後に土方が会津藩から2000両を受給しており、新式の兵装備品に充てた可能性が高い。

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