
2012年01月26日
八犬伝(義)
犬川 荘助 義任(いぬかわ そうすけ よしとう) 義の珠を持つ。

長禄3年(1459年)12月1日、伊豆生まれ。幼名は荘之助。父親は北条の荘官・犬川衛二則任。「荘介」の表記もある。
寛正6年(1465年)、父が主君足利政知(→史実:足利政知)の勘気に触れて切腹。里見家に仕官している母の従兄、蜑崎輝武を頼って母とともに安房国に向かうが、その途中の大塚で母親が行き倒れる。以来、大塚家の下男として酷使され、忍従の日々を送っていた。下男としての名は額蔵(がくぞう)。
文明2年(1470年)、12歳のときに大塚家に引き取られた信乃に世話役兼監視役としてつけられ、信乃が自分と同じ痣と珠を持っていることを知り、出自を明かして義兄弟の契りを結ぶ。蟇六夫婦の手前、表向きはよそよそしく振る舞ったが、密かに信乃と武芸を競い、その書籍で学んだ。文明10年(1478年)6月、許我に旅立つ信乃を見送った帰り、円塚山で犬山道節と遭遇。大塚に戻ると主人蟇六夫婦が陣代簸上宮六らに殺されており、額蔵は主人の仇を討つこととなった。捕らえられた額蔵は主人殺しの罪を着せられて処刑されかけるが、信乃・小文吾・現八に救出される。十条兄弟の犠牲を払い、荒芽山を目指しての逃避行の中で下男としての「額蔵」の名を捨て、武士として「犬川荘助義任」と名乗りを改める。
荒芽山で離散ののち、越後では小文吾と再会してその危機を救う。越後を治める箙大刀自に捕らえられるが、賢臣稲戸津衛に救われる。実は津衛は荘助の父・衛二と縁故があった。
対管領戦では小文吾とともに行徳口を防衛。長尾家の軍勢を率いる稲戸津衛と対陣するが、三舎を避けて恩に報いた。また、扇谷家の重臣で大塚の領主である大石憲重を捕らえている。戦後は小長狭城主となり、里見家の二女・城之戸姫と結婚した。
八犬士随一の苦労人と見なされる。
【 八犬伝登場人物wiki 】


【 大神稲荷神社 】 場所

長禄3年(1459年)12月1日、伊豆生まれ。幼名は荘之助。父親は北条の荘官・犬川衛二則任。「荘介」の表記もある。
寛正6年(1465年)、父が主君足利政知(→史実:足利政知)の勘気に触れて切腹。里見家に仕官している母の従兄、蜑崎輝武を頼って母とともに安房国に向かうが、その途中の大塚で母親が行き倒れる。以来、大塚家の下男として酷使され、忍従の日々を送っていた。下男としての名は額蔵(がくぞう)。
文明2年(1470年)、12歳のときに大塚家に引き取られた信乃に世話役兼監視役としてつけられ、信乃が自分と同じ痣と珠を持っていることを知り、出自を明かして義兄弟の契りを結ぶ。蟇六夫婦の手前、表向きはよそよそしく振る舞ったが、密かに信乃と武芸を競い、その書籍で学んだ。文明10年(1478年)6月、許我に旅立つ信乃を見送った帰り、円塚山で犬山道節と遭遇。大塚に戻ると主人蟇六夫婦が陣代簸上宮六らに殺されており、額蔵は主人の仇を討つこととなった。捕らえられた額蔵は主人殺しの罪を着せられて処刑されかけるが、信乃・小文吾・現八に救出される。十条兄弟の犠牲を払い、荒芽山を目指しての逃避行の中で下男としての「額蔵」の名を捨て、武士として「犬川荘助義任」と名乗りを改める。
荒芽山で離散ののち、越後では小文吾と再会してその危機を救う。越後を治める箙大刀自に捕らえられるが、賢臣稲戸津衛に救われる。実は津衛は荘助の父・衛二と縁故があった。
対管領戦では小文吾とともに行徳口を防衛。長尾家の軍勢を率いる稲戸津衛と対陣するが、三舎を避けて恩に報いた。また、扇谷家の重臣で大塚の領主である大石憲重を捕らえている。戦後は小長狭城主となり、里見家の二女・城之戸姫と結婚した。
八犬士随一の苦労人と見なされる。
【 八犬伝登場人物wiki 】


【 大神稲荷神社 】 場所