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2012年11月05日

俳句

日本の詩歌の伝統をひきついで成立した俳句は、五・七・五の音数による言葉の調べ(韻律)と「季語」と「切れ」によって短い詩でありながら心のなかの場景(心象)を大きくひろげることができる特徴を持っている。


俳句には次の特徴がある。
五・七・五の「韻律」で詠まれる定型詩である。
基本として「季語」を入れる。
一か所、必ず「切れ」がある。
余韻を残す。



韻律
俳句は定型詩であり、五・七・五の韻律が重要な要素となっている。この韻律は開音節という日本語の特質から必然的に成立したリズムであって、俳句の制約とか、規則と考えるべきではない。五の部分が6音以上に、または七の部分が8音以上になることを字余りという。

季語
俳句にとって、季語は大きな役割がある。季語を必ず入れなければならないとする有季(季語絶対)派から季語よりも季感が大切とする「季感」派、無季でもよいとする無季容認、無季俳句が旧来の俳句的情趣を打破するという「無季」派まで、さまざまな考え方がある。

切れ
俳諧では、最初に詠まれる発句は後に続ける脇句や平句の動機となる必要がある。そのため発句には、脇句に依存しない完結性が求められた。そこで編み出されたテクニックが「切れ」である。上手く切れた発句は「切れがある」と評価され、重視された。
たとえば有名な芭蕉の句

「 古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉 」

では、「古池や」の後で一呼吸、句の流れが切れている。読者はその一瞬の休符の合間に、作者を取り巻く環境や作者の思想・感情・情念・背景などを勝手に想像してしまう仕掛けになっている。このテクニックが「切れ」と呼ばれ、十七文字という限定された語数で、言葉に形と質感を与える効果を持つ。さらに、季語とあいまって句に余韻をかもしだす。



秋深き隣は何をする人ぞ : 松尾芭蕉


場所: 大神稲荷神社境内
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 19:43Comments(0)和文化