
2010年11月03日
賢木
第10帖 賢木(さかき) 光源氏23歳秋-25歳夏の物語


父桐壷帝の死。藤壷の宮の出家。朧月夜との密会発覚。・・・源氏の冬の時代到来。
世の中変りて後・・・。桐壷帝が位を去って、朱雀帝の治世となりました。
位を退いた帝は、前にも増して藤壷中宮とつきっきりの日々を送り、源氏は藤壷と逢うてだてもなく、悶々とした日々を過ごしていました。いつもの人目を忍んでのお出掛けも、元気がありません。
一方、かねてから源氏の冷淡な態度を嘆いていた「六条御息所」は、一人娘が、伊勢神宮に奉仕する斎宮に決まったのを機に、自分も一緒に伊勢に下ろうかと思い悩んでいました。
4月、賀茂神社の葵祭りが行われ、源氏がその行列に加わるというので、懐妊中の葵の上は、女房たちにせがまれて見物にでかけます。
一方、御息所も、源氏の姿をひと目見ておこうと、人目を避けて網代車で出掛けました。
一条大路の雑踏の中で、おくれてやってきた葵の上の一行は、権勢をたのんで、他の車を強引に押しのけさせますが、その中に御息所の車があったのです。
衆人注目のなかでうけたこの辱めに、御息所は悔し涙にかきくれます。これが名高い「葵祭りの車争い」の場面です。
源氏は、後で事の顛末を知り、御息所に同情します。
御息所は、車争いの一件以来、物思いがつのり、一方、懐妊中の葵の上は、物の怪に悩まされて命をあやぶまれるほどになります。 その後源氏は、その物の怪が、御息所の生霊であることを知って、愕然とします。
やがて葵の上は、男児(夕霧)を出産しますが、御息所の物の怪が再びあらわれ、ついには、息を引き取ってしまいます。
やっと葵の上とも心もとけあいはじめていた源氏は、突然の妻の死を悲しむとともに、女の怨念のすさまじさに愕然たる思いとなり、一時は出家をさえ考えるほどでした。それでも亡骸を鳥辺野に送り、49日間のしめやかな喪に服します。
喪が明けて源氏は二条院に戻り、しばらく見ぬ間にすっかり成人した若紫の姿を見て驚きます。あの藤壷のおもかげをそのまま美しくひきついでいたのです。
まもなく源氏は、若紫と新枕をかわします。そしてその日から若紫は、「紫の上」と呼ばれるようになります。
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生霊と化して光源氏と交際する女性達を次々とタタってしまう六条御息所は、娘の斉宮(さいぐう)とともに京都を離れて伊勢で暮らすことにしました。その前にまずは嵯峨野の野宮に滞在して身を清めます。光源氏はそんな六条御息所のもとを訪ねて出発を思いとどまるよう頼みますが、六条御息所の決心はかたく、伊勢に旅立ってしまいました。一方、宮中では桐壷院が亡くなり、朱雀帝の祖父である右大臣の権力が強まります。藤壷は、再三誘いに来る光源氏との仲が噂されて皇太子の出生の秘密がバレないよう出家してしまいます。また左大臣は嫌気をさして辞任します。そんな中で、光源氏は朧月夜と契りを交わし続けていましたが、ある日その密会現場を右大臣に見つかってしまします。朱雀帝の就任とともに皇太后となった弘徽殿は、このスキャンダルによって光源氏を失脚させる計画を錬ります。