
2010年11月22日
大奥(1)

大奥(おおおく)は、江戸城に存在した将軍家の子女や正室、奥女中(御殿女中)たちの居所
江戸時代、徳川の天下の中で室町時代に築城された江戸城は「将軍様のお城」として増改築を繰り返されてきました。
特に三代将軍家光の時までは大規模な増築がされ、総坪数は222,182坪、そのうち本丸の建坪は10,978坪になります。
江戸城本丸は南から北へ、「表」「中奥」「大奥」の三つの部分から成っていました。
「表」は、広大な白洲に謁見が行われる大広間があり、大名や役人が執務する多くの座敷が廊下でつながっていて、政治の中心となる所です。
「中奥」は、将軍の官邸で、将軍が自ら政務を行なったり、普段生活している場所です。
休息の間、台所、能舞台などもありました。
そして「大奥」。将軍の正室をはじめとする各女性たちが住む場所で、将軍の私邸です。
本丸の北半分の敷地を占め、中奥とは銅塀で遮断され、御鈴廊下と呼ばれる廊下のみでつながっていました。
出入り口は御錠口(おじょうぐち)のみで、将軍が大奥に入るときは、係が太いひもにつるした鈴を鳴らすので「御鈴口(おすずぐち)」とも呼ばれました。
御錠口は午前6時ごろに開き、午後6時頃に閉られ、それ以外の通行は禁じられていました。
原則として将軍以外の男は入れませんでしたが、将軍の親戚の御三家・御三卿、御台所・側室の譜代大名の親戚、老中、御留守居役、大奥付の医者や僧侶は立ち入ることができたそうです。
二代目将軍 秀忠の時代である1618年(元和4年)1月1日に「大奥法度」という法律が作られてから以後は表の世界とは完全に分離され、その体勢は江戸城開城まで続きました。


※2011年11月みるきー舞姫「不夜城」公演も無事に終了しました。お越し頂いた皆様方、有難うございました。
