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2018年01月02日

ご祭神



ご祭神

通常、神社では複数の神を祀っており、その中で主として祀られる神を主神(しゅしん)・主祭神(しゅさいじん)
それ以外の神を配神(はいしん)・配祀神(はいししん)・相殿神(あいどのしん)などといいます。




祭神を主神・配神に分けるのは、明治時代に官国幣社で行われるようになったのに始まるものです。
「主神とそれ以外の神」という観念はそれ以前からあり、「前」「相殿神」などと呼ばれていました。
配神は通常は主神にゆかりのある神だが、そのほか様々な経緯により共に祀られるようになった配神もあります。
主神と同時に祀られるようになった配神もあれば、後で加えられた配神もあり、中には本来は配神だったのが後に
主神に取って替わったものもあります。
明治時代の神社合祀により、多くの配神を祀ることになった神社もあります。

相殿(合殿とも)とは、主神を含めて複数の神が祀られた社殿のことを指します。
「相殿神」とは相殿に祀られる神のことだが、主神と配神とがある場合は配神のことを相殿神といいます。



大神稲荷神社の祭神は、三神です。
稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている宇迦之御魂神
木花咲耶姫命は、絶世の美女とされ、桜の花が満開になればやがて散るように、この神は美しさと共に花の命の儚さも象徴しています。
そして主神は、太陽を司る太陽神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。








大神稲荷神社 場所
http://maps.secondlife.com/secondlife/Milky%20House/53/58/22




  


Posted by hidesun(英寸) at 08:34Comments(0)神社和文化大神稲荷神社(SL)

2018年01月01日

2017年12月31日

大晦日(おおつごもり)



一年の月日があっと言う間に過ぎてしまう、と毎年この時期になると思います。皆様はいかがでしょうか。
今年は、神社合祀を行いました。

本年も格別のご愛顧を賜り、厚くお礼申し上げます。

セカンドライフの沢山の神社がある中、MilkyHouse-SIMの神社に足をお運び下さりありがとうございました。
心より感謝、御礼申し上げます。
また来年もよろしく御願い致します。 

大神稲荷神社 宮司 大神 英寸

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大神稲荷神社の御祭神は、三神です。
稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)月を神格化した、夜を統べる神であると考えられている月読尊(つくよみのみこと)、
そして太陽を司る太陽神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)。






  


Posted by hidesun(英寸) at 10:09Comments(0)神社和文化ご挨拶大神稲荷神社(SL)

2017年12月30日

神社参拝



大神稲荷神社 場所

鳥居には2つの役割があります。
神様の世界の入り口
結界(=邪気・邪霊の侵入を防ぎ、穢れのない神聖な空間を保つ)
鳥居の前では一礼し、「ここから先は神聖な空間だ」と思って入りましょう。
参道の真ん中は「正中(せいちゅう)」と言って、神様の通り道です。

神道では、神域に入るのはみな神と考えます。心身の罪穢れを手水舎(てみずや、ちょうずや)で祓い清めてから神域に入りましょう。


1.右手で柄杓(ひしゃく)を持ち、水をすくって左手にかける
2.柄杓を左手に持ち替えて、右手に水をかける
3.柄杓を右手に持ち替えて、左手で水を受け、その水で口をすすぐ
4.左手に水をかけて清める
5.柄杓を立てて柄に残りの水をつたわせて清め、もとの位置に戻す




参拝方法は一つではありません。必ず本殿や拝殿に近づかなければならないわけでもないんです。人が多かったり、よくない感じを受けたりした場合は、参道や本殿の脇で祈るのもOK。天を仰ぎ見て、神様と繋がっているのをイメージすることが大切です。

1.拝殿に来たら、軽く一礼する
2.お賽銭をそっと静かに入れる
3.鈴があれば鳴らす
4.二礼二拍手一礼

心を静め、呼吸を深くしてから、2回深いお辞儀をします。
手を合わせ、一呼吸おいてから両手を少しだけ斜めにずらし、パンパン!と、よく響くように2回柏手(かしわで)を打ってお祈りください。最初に神様の名前、次に自分の名前とどこで何をしているかを伝えます。心の中でお願い事はできるだけ具体的に。



大神稲荷神社 場所


  


Posted by hidesun(英寸) at 13:20Comments(0)神社和文化ご挨拶大神稲荷神社(SL)

2017年12月27日

納めの不動

12月28日

年の最後の縁日を「納めの不動」といい、1年のご利益お礼と感謝の気持ちを込めて参拝します。
 

「不動明王」は、密教特有の尊格である明王のひとつで、密教の根本尊「大日如来の化身」、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであるとされ、「お不動さん」と呼ばれ親しまれています。
 
「明王:みょうおう」は、密教における仏の称号のひとつ。密教における最高尊大日如来の命を受け、宗教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする役割を担った仏を指します。また、全ての明王は大日如来が仏教に帰依しない民衆を、力づくでも帰依させるため、自ら変化した仏であるとも伝わります。
 
明王は人間界と仏の世界の間にある天界の「火生三昧:かしょうざんまい」と呼ばれる炎の世界に住み、民衆を教えに導きながら、人間界の煩悩や欲望が仏界に波及しないよう炎で焼き尽くすと言われます。
 
憤怒の相で火炎を背負い、髪は怒りによって逆立ち、法具や装飾品は極力身に付けず、法衣は片袖を破って動き易くし、武器類を手に持った姿で表現されます。


 
憤怒の相は単なる怒りを表現したものではなく、仏法に従わない者を教化し、仏敵を退散させる働きを持ちます。煩悩をかかえ、もっとも救いがたい衆生をも、力ずくで救うため憤怒の姿をしているのです。
 
一般に炎の神力を以て祈願を行う「護摩法要」の本尊には明王が据えられます。


SL内 大神稲荷神社 場所



本殿 : 御祭神と眷属

  


Posted by hidesun(英寸) at 18:41Comments(0)和文化神話和の暦歴史

2017年12月26日

白狐(びゃっこ・はくこ)

白狐(びゃっこ・はくこ)


白い毛色を持ち、人々に幸福をもたらすとされる、善狐の代表格。稲荷神の眷属である御先稲荷も、ほとんどが白狐です。
眷属神としての「眷属」は、本来、神の使者をいいます。
多くはその神と関連する動物(想像上の動物を含む)。動物の姿を持つ、または、動物にみえる、超自然的な存在を意味することもあります。
日本の神道における例としては、蛇や狐、龍など。神に代わって神の意志を伝えるなどする、神使とよばれます。



きつね像
きつね像を見ていると口にくわえているものがいろいろあることに気がつくと思います。
きつねがくわえいている「稲穂」は「五穀豊穣の象徴」です。
現在の伏見稲荷大社は商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達などいろいろなご利益があるとされていますが、もともと稲荷大神様は穀物・農業の神なので、稲穂をくわえいています。
「巻物」をくわえているきつね像もいます。巻物は「知恵の象徴」です。
「鍵」をくわえてる鍵は「霊徳を身につけようとする願望の象徴」とされているんです。
「巻物」をくわえているきつね像もいます。巻物は「知恵の象徴」です。
他にもありますね。



話は変わりますが、安倍晴明の母親は「白狐」だったという伝説があります。
安倍晴明の母である白狐の名は「葛の葉」と言います。

「安倍保名が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を見つけ、助けます。しかし、その際に怪我を負ってしまいます。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱し、家まで送りとどけました。葛の葉が保名を見舞っているうちに、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供を授かります。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知られてしまい、葛の葉は信太の森へと帰って行ってしまいました。
数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、陰陽頭に任ぜられるまでになった。」という伝説があります。



大神稲荷神社 場所
http://maps.secondlife.com/secondlife/Milky%20House/53/58/22





  


Posted by hidesun(英寸) at 19:22Comments(0)神社和文化神話大神稲荷神社(SL)

2015年09月22日

万葉集


鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り  雨も降らぬか 君を留めむ

(雷神の音がかすかに響いて、空も曇って雨も降ってこないかしらねえ。そうすれば、あなたのお帰りを引き留めましょうに。)



返歌
鳴る神の 少し響みて 降らずとも 我(わ)は留まらむ 妹(いも)し留めば

(雷神の音がかすかに響いて、雨が降らなくても、私は留まりますよ。あなたが引き留めるならば。)





"rain-002" ORIGINAL UPLOADED BY hidesun- memories.



"rain-001" ORIGINAL UPLOADED BY hidesun- memories.



『 万葉集 』

いつ誰によって編集されたか正確には分かっていません。
序文も跋文もなく、同時代のほかの文献にも『万葉集』について書かれたものがないからです。

作歌年月が明記されている歌で最も新しいのは、天平宝字3年(759年)正月一日の大伴家持の作です。したがって、今の形の『万葉集』が759年以降に成立したのは間違いありません。それでは、それ以後のいつであるかとなると、平安時代初期まで下る説もあってはっきりしません。だいたい奈良時代の末と見る説が有力となっています。


「万葉」の意味については、「万(よろず)の言(こと)の葉」(多くの歌)とするものと、「万代・万世」(多くの時代にわたる)とするものの二説に大別されます。しかし、「葉」を「言葉」の「葉」の意味に用いるようになったのは平安中期以後であるのに対し、「葉」を「代」「世」の意味に用いた例は、上代の文献にしばしば見られ、また中国の用例にもあるため、今では後者の説が定着しています。

【 古典に親しむ 】より抜粋



http://maps.secondlife.com/secondlife/Milky%20House02/15/236/29  


Posted by hidesun(英寸) at 07:03Comments(0)和文化

2015年03月15日

ORIGAMI

ORIGAMIイベント行ってきました。
懐かしさが漂う感じです。 是非、脚を運んでください。



:: ORIGAMI ::
期間、春:3月5日〜 (桜まつり)
イベント内容
テーマ [ 桜、花見、酒、粗い京和傘、ごちそう ]

http://maps.secondlife.com/secondlife/Heiankyo/195/190/29



※ 雨風景



※ おひさしぶりです^^



※ 長屋  
タグ :ORIGAMI


Posted by hidesun(英寸) at 19:09Comments(0)和文化

2015年01月03日

屠蘇

屠蘇(とそ)または、お屠蘇(おとそ)とは、一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む縁起物の酒であり風習です。


「屠蘇」とは、「蘇」という悪鬼を屠(ほふ)るという説や、悪鬼を屠り魂を蘇生させるという説など、僅かに異なる解釈がいくつかあります。
数種の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)を赤酒・日本酒・みりんなどに浸して作ります。
屠蘇は、通常、屠蘇器(とそき)と呼ばれる酒器揃えによって供されます。
屠蘇器は、屠蘇散と日本酒・味醂を入れる銚子(ちょうし)、屠蘇を注ぐ盃、重ねた盃をのせる盃台、これらを載せる盆からなります。
小・中・大の三種の盃を用いて飲みますが、「一人これを呑めば一家病無く、一家これを呑めば一里病無し」と言われ、日本の正月の膳などに呑まれれます。 元日の朝、年少の者から年長の者への順に頂きます。

大神稲荷神社 LM 

http://maps.secondlife.com/secondlife/Milky%20House02/15/236/29

【 2015元旦 大神稲荷拝殿前 】







  


Posted by hidesun(英寸) at 10:46Comments(0)和文化

2013年05月05日

こいのぼり

こいのぼりの由来


Nagasaki-Bakumatsu SIM

室町時代末期には、端午の節句に家紋を染めたのぼり旗を飾る風習があったようです。 この幟が民衆に広がったものが、節句幟・武者幟と呼ばれるもので、江戸時代中期頃までは、こいのぼりはまだ存在していませんでした。 節句幟の中でも、よく描かれていた中に、鯉の滝登りの絵柄があります。 立身・出世の図柄で、中国の黄河上流にある竜門に泳ぎ登ることのできた鯉だけが、昇天して龍に化するという、中国の登竜門伝説を元にした絵柄です。 これがやがて大型の吹流しタイプであるこいのぼりへと変化していきました。 鯉幟こいのぼりが吹流しの形状であるのにも関わらず、幟のぼりと呼ばれる由縁は、こうした背景にあります。


Sayopiyoさん こいのぼり

江戸中期には和紙に鯉の絵を描いたものが飾られるようになり、大正時代には破れない綿製のこいのぼりが生まれ、 昭和に入り、現在のような雨にぬれても色落のしない鯉のぼりが確立されていきました。 こいのぼりが生まれた当初は、真鯉のみを揚げていましたが、明治時代からは真鯉と緋鯉の対で揚げられるようになり、昭和に入ると、こいのぼりは家族を表すものとして子鯉(青鯉)が飾られるようになってきました。 現在では緑、紫、ピンク、オレンジといった鯉も登場し、女の子も含め家族全員の分の鯉を揚げるのが一般的になってきたようです。


Sayopiyoさん こいのぼり




※ ご挨拶 ※ 

昨晩は、着物新作発表イベントに沢山の方のお越しいただきました。

本当にありがとうございました。

Toukamon Spring Collection Kimono 4 creators in Milky House




大神稲荷神社  


Posted by hidesun(英寸) at 09:53Comments(0)和文化

2013年01月16日

閻魔

今日1月16日は、新年季語に「薮入」「閻魔詣」「念仏の口明」等があります。
「閻魔詣」: 閻魔王の縁日に参詣すること。正月のものは特に「初閻魔」と言いいます。
仏教では1月16日と7月16日を「閻魔賽日」とし、地獄の釜のふたが開いて鬼も亡者も休む日とされ、そのためこの日に寺院の閻魔堂にお参りします。 



日本仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされています。
後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩は奈良時代には『地蔵十輪経』によって伝来していたが、現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しませんでした。
平安時代になって末法思想が蔓延するにしたがい源信らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになり、鎌倉初期には預修十王生七経から更なる偽経の『地蔵菩薩発心因縁十王経』が生み出されました。
これにより閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ、閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになりました。

嘘をついた者は、地獄で閻魔に舌を引き抜かれる刑に処されるという俗説があり、子供を叱る際に使われました。
またむかし和釘を引き抜くのに使われた、やっとこ形の釘抜きを「えんま」と称しました。



1月16日と7月16日は、閻魔王の休日です。この日は奉公人も仕事を休んで実家に帰れる藪入りとなりました。
1月16日は初閻魔/閻魔賽日として閻魔の縁日となります。



大神稲荷神社


  


Posted by hidesun(英寸) at 19:14Comments(0)和文化

2012年12月02日

師走

「師走」とは本来は旧暦の12月の別称ですが、いまでは新暦12月のこととして普通に用いられています。


大神稲荷神社 
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【 師走の語源または由来 】

師は学校の先生、先生が走る。
師走とは、年末で日ごろ落ちついている学校の先生も忙しくて走りまわる月だと言うところからきたという説。いまだにそう言う人もいる。

師とは坊さんなり、坊さんが走る。
師走とは「師馳(は)せ月」(しはせづき)なのだそうです。昔は正月も盆と同じように祖先の霊をともらう月でした。お経をあげるため、お坊さん(=法師とか導師と言うでしょう)があちこちの家々を忙しく走りまわったのが語源だと言う。

師とは師団の師で、兵隊さんが走る。
師走とは師団つまり、「年末になると兵隊さんがバタバタ走る」という意味らしい。

何々の終わりという意味
仕事が終わる 。師走とは、12月は1年の終わりの月であり、総仕舞いの意味の「仕極(しは)つ」が語源との説。『し』が仕事の「し」で『はす』の方は「果てる」の意味。仕事仕舞いの月、つまり仕事が終わるという意味。

為す事が終わる
「師走」とはもともと「為果つ月(しはつつき)」であり、1年の終わりの物事をなし終えるという意味があったらしい。

年が終わる 。
師走とは「としはつるつき」や「としはするつき」がなまったという説。

日時が終わる
貝原益軒の説は、日時がはつる月だから、「しはつる月」、それがなまって「しはす月」となったのであろうという説。

季節(四季)が終わる
江戸・元禄元(1688)年の『日本歳時記』(貝原好古編・貝原益軒補)という本には「しわすというは四時の訛音なり。四極月(しはつづき)なるべし」とあります。つまり四時(春夏秋冬)が果てる意味の「しはつ」がなまって「しわす」になったのだそうです。これは四季の終わり、つまり季節が終わるという意味。



当て字説
「十二月(シハス)には 沫雪降ると 知らねかも 梅の花咲く含めらずして」と万葉集巻第九~一六四八にあり、また、「十有二月(シハス)」と日本書紀にあります。 これからして、万葉・記紀時代には数字で書いて「シハス」と読み、「師走」とは表記しておりません。従って、「師走」は後世の当て字であることがわかります。

※万葉集や日本書紀という一応権威のある記録物を元にしているので信用が置ける。したがって、 昔から十二月と書いて「シハス」と読んで(呼んで)いた。当時は「師走」という表現はなかった。後の世に「シハス」という発音に「師走」という字を当てたのであろう。だから「師走」は当て字であるということはほぼ正しい。
では師走の字が当てられたのはいつごろでしょうか?  元禄元(1688)年以降ですが、その部分の手がかりはなく全く分かりません。




  


Posted by hidesun(英寸) at 20:07Comments(0)和文化

2012年11月26日

大正浪漫画家

竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、明治17年(1884年)9月16日 - 昭和9年(1934年)9月1日)は日本の画家・詩人



数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正浪漫を代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。



彼自身の独特な美意識による「夢二式美人画」と呼ばれる作品の多くは、日本画の技法で描かれ(軸物や屏風仕立てで遺る)、また、洋画(キャンバスに油彩)技法による女性像や風景画ものこされている。好んでさまざまな表現形式を試みたが、むしろ、それらは後世になってから評価されたもので、当時の時点においては、印刷された書籍の表紙や広告美術などが多くの目に触れ、大衆人気というかたちで脚光を浴びたのであった。一時は中央画壇への憧れもあったようだが受け入れられず、終生、野にあって新しい美術のあり方を模索した。



世の動きとしてみた場合、当時の画壇ではさまざまな芸術思潮が交錯し、ある意味で胎動期の不定のさなかである。都市における大衆文化の開花による消費生活の拡大を背景とした、新しい応用美術としてのデザインというものの黎明の時代であり、夢二もこれに着目した。生涯の後期にいたっては、彼の図案家としての才能の実績において、生活と結びついた美術を目指し、あるいは産業と融合すべきとの理念を持ち、むしろ積極的に、商業美術(のちにいわれるグラフィック・デザイン)の概念を描いていたようである。

「 竹久夢二wikiより 」

竹久夢二 & ショパン : 前奏曲『雨だれ』


Posted by hidesun(英寸) at 19:35Comments(0)和文化

2012年11月18日

千歳飴

七五三のお祝いにかかせないものは千歳飴

大神稲荷神社
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千歳飴の由来には2つの説があります。
1つは、元禄の頃、浅草で飴売りの七兵衛が、紅白の棒状の飴を、「千年飴」「寿命糖」と名付けて長い袋に入れ、売り歩いたのが始まりと言われる説です。
もう1つは、1615年、大阪の平野甚左衛門が江戸に出て売り始めたという説です。



千歳飴は子どもの長寿を願い、粘り強く細く長い形状で、縁起の良い紅白の飴となっています。
千歳飴の袋にも、縁起の良い鶴亀や松竹梅が描かれ、長寿と健康を願う縁起物となりました。


七五三を控えた時期の多くの神社では、この千歳飴の袋詰め作業が行われてニュースや新聞などで報道されています。
この袋詰めでは千歳飴の他、祝い箸や学業成就の鉛筆、お守りなどを入れているところもあります。  


Posted by hidesun(英寸) at 20:04Comments(0)和文化

2012年11月16日

埋み火(うずみび)

炉や火鉢などの灰にうずめた炭火



炭を燃やして暖をとっていた頃は、火種を絶やさないために炭を消さず、灰の中に埋めておきました。
それを「埋み火」「埋け火(いけび)」「「いけ炭」といいます。冷え冷えとした空気を、ほんのりと和らげてくれたことでしょう。


【 埋火のあたりは春の心地して 散りくる雪を花とこそ見れ 】

暖かい埋火のあたりは春の心地がして 散ってくる雪を花と見ている。





【 埋火も消ゆや涙の烹ゆる音 】

個人をしのんで埋火の傍に座っていると、涙が止まらない。その涙が埋火に入ってじゅっと煮える音がする。




JAPAN GRAFFITI Sakai1574 SIM 東高台の神社【 大神稲荷神社 】
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2012年11月07日

川柳

川柳(せんりゅう)は、五・七・五の音を持つ日本語の詩の一つ。



川柳も俳句も同じ<五・七・五>の17音定型です。

・俳句には、<季語>が必用ですが、川柳では特にこだわりません。

・俳句には、<切れ字>が必用ですが、川柳では特にこだわりません。
 
・俳句は、主に<文語>表現ですが、川柳は<口語>が普通です。

・俳句は、主に自然を対象に詠むことが中心でですが、川柳では、人事 を対象に切り取ることが中心です。俳句では、詠嘆が作句のもとになり 「詠む」といいますが、川柳では、詠ずるのではなく「吐く」「ものす」な どといいます。決して、詠ずるものではありません。



俳句も川柳も、同じ俳諧の中から生れました。しかし、俳句は、俳諧の<発句ほっく>(さいしょの一句)が独立したもので、季語、切れ字等の発句にとっての約束事がそのまま引き継がれ、さらに、題材も発句としての格調が保てるものに限られます。
 川柳は、俳諧の<平句ひらく>が独立して文芸となったもので、発句として必用な約束事がありません。題材の制約はなく、人事や世帯、人情までも扱われます。




場所: 大神稲荷神社境内
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2012年11月05日

俳句

日本の詩歌の伝統をひきついで成立した俳句は、五・七・五の音数による言葉の調べ(韻律)と「季語」と「切れ」によって短い詩でありながら心のなかの場景(心象)を大きくひろげることができる特徴を持っている。


俳句には次の特徴がある。
五・七・五の「韻律」で詠まれる定型詩である。
基本として「季語」を入れる。
一か所、必ず「切れ」がある。
余韻を残す。



韻律
俳句は定型詩であり、五・七・五の韻律が重要な要素となっている。この韻律は開音節という日本語の特質から必然的に成立したリズムであって、俳句の制約とか、規則と考えるべきではない。五の部分が6音以上に、または七の部分が8音以上になることを字余りという。

季語
俳句にとって、季語は大きな役割がある。季語を必ず入れなければならないとする有季(季語絶対)派から季語よりも季感が大切とする「季感」派、無季でもよいとする無季容認、無季俳句が旧来の俳句的情趣を打破するという「無季」派まで、さまざまな考え方がある。

切れ
俳諧では、最初に詠まれる発句は後に続ける脇句や平句の動機となる必要がある。そのため発句には、脇句に依存しない完結性が求められた。そこで編み出されたテクニックが「切れ」である。上手く切れた発句は「切れがある」と評価され、重視された。
たとえば有名な芭蕉の句

「 古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉 」

では、「古池や」の後で一呼吸、句の流れが切れている。読者はその一瞬の休符の合間に、作者を取り巻く環境や作者の思想・感情・情念・背景などを勝手に想像してしまう仕掛けになっている。このテクニックが「切れ」と呼ばれ、十七文字という限定された語数で、言葉に形と質感を与える効果を持つ。さらに、季語とあいまって句に余韻をかもしだす。



秋深き隣は何をする人ぞ : 松尾芭蕉


場所: 大神稲荷神社境内
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2012年11月04日

月光

月の光(つきのひかり)は太陽の光を反射した月の光のことであり、月光(げっこう)、月明かり(つきあかり)、月下/月華(げっか)、月影(つきかげ)、ムーンライト(moonlight)等とも言います。



日本では伝統的に、現代暦の各月に太陰暦で使われた呼称を引き継いだ和名(和風月名)が置かれています。



1月 睦月(むつき) 建寅月(けんいんげつ)
2月 如月(きさらぎ) 建卯月(けんぼうげつ)
3月 弥生(やよい) 建辰月(けんしんげつ)
4月 卯月(うづき) 建巳月(けんしげつ)



5月 皐月(さつき) 建午月(けんごげつ)
6月 水無月(みなづき) 建未月(けんびげつ)
7月 文月(ふみづき、ふづき) 建申月(けんしんげつ)
8月 葉月(はづき) 建酉月(けんゆうげつ)



9月 長月(ながつき) 建戌月(けんじゅつげつ)
10月 神無月(かんなづき) 建亥月(けんがいげつ)
11月 霜月(しもつき) 建子月(けんしげつ)
12月 師走(しわす) 建丑月(けんちゅうげつ



Claude Achille Debussy~clair de lune(Suite Bergamasque)
  


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2012年11月01日

つるべ落とし

秋の日は急に暮れるという意。



秋の日は「つるべ落としと」は釣瓶が井戸にストンと落ちていくように、あっという間に日が沈むことの形容で使われます。つるべ落としとは急速に落ちることをいい、秋の日の入りの速さをとてもうまくに言い表しています。秋は日照時間が短く、西日が一気に沈み、あっという間に日没となります。
紅葉狩りやハイキングで野山を歩くときは特に注意が必要です。



台風が通り過ぎ、昼と夜の時間が等しくなる秋分の日を迎える。ところで、日中時間は日々同じような幅で変動すると思ってはいないだろうか。実は春・秋は夏・冬に比べて日中時間の変動幅が3倍ほど大きくなっているのである。




大神稲荷神社
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2012年10月29日

弓張月

輝いている半円部分を、弓とそれに張った弦になぞらえたもので、弓張(ゆみはり)、弓張月(ゆみはりづき)といいます。



弓張月弦に力の漲れり


昔の人は半月を、弦(つる)を張った弓にたとえました。弓の張った形になぞらえているわけですから、完全な半月の月だけではなく、弦が上側に張っていれば「上弦の月」、下側の場合には「下弦の月」。

その弓から放たれるのは、やさしい光の矢です。



大神稲荷神社
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Posted by hidesun(英寸) at 19:59Comments(0)和文化