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2017年12月27日

納めの不動

12月28日

年の最後の縁日を「納めの不動」といい、1年のご利益お礼と感謝の気持ちを込めて参拝します。
 

「不動明王」は、密教特有の尊格である明王のひとつで、密教の根本尊「大日如来の化身」、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであるとされ、「お不動さん」と呼ばれ親しまれています。
 
「明王:みょうおう」は、密教における仏の称号のひとつ。密教における最高尊大日如来の命を受け、宗教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする役割を担った仏を指します。また、全ての明王は大日如来が仏教に帰依しない民衆を、力づくでも帰依させるため、自ら変化した仏であるとも伝わります。
 
明王は人間界と仏の世界の間にある天界の「火生三昧:かしょうざんまい」と呼ばれる炎の世界に住み、民衆を教えに導きながら、人間界の煩悩や欲望が仏界に波及しないよう炎で焼き尽くすと言われます。
 
憤怒の相で火炎を背負い、髪は怒りによって逆立ち、法具や装飾品は極力身に付けず、法衣は片袖を破って動き易くし、武器類を手に持った姿で表現されます。


 
憤怒の相は単なる怒りを表現したものではなく、仏法に従わない者を教化し、仏敵を退散させる働きを持ちます。煩悩をかかえ、もっとも救いがたい衆生をも、力ずくで救うため憤怒の姿をしているのです。
 
一般に炎の神力を以て祈願を行う「護摩法要」の本尊には明王が据えられます。


SL内 大神稲荷神社 場所



本殿 : 御祭神と眷属

  


Posted by hidesun(英寸) at 18:41Comments(0)和文化神話和の暦歴史

2017年12月26日

白狐(びゃっこ・はくこ)

白狐(びゃっこ・はくこ)


白い毛色を持ち、人々に幸福をもたらすとされる、善狐の代表格。稲荷神の眷属である御先稲荷も、ほとんどが白狐です。
眷属神としての「眷属」は、本来、神の使者をいいます。
多くはその神と関連する動物(想像上の動物を含む)。動物の姿を持つ、または、動物にみえる、超自然的な存在を意味することもあります。
日本の神道における例としては、蛇や狐、龍など。神に代わって神の意志を伝えるなどする、神使とよばれます。



きつね像
きつね像を見ていると口にくわえているものがいろいろあることに気がつくと思います。
きつねがくわえいている「稲穂」は「五穀豊穣の象徴」です。
現在の伏見稲荷大社は商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達などいろいろなご利益があるとされていますが、もともと稲荷大神様は穀物・農業の神なので、稲穂をくわえいています。
「巻物」をくわえているきつね像もいます。巻物は「知恵の象徴」です。
「鍵」をくわえてる鍵は「霊徳を身につけようとする願望の象徴」とされているんです。
「巻物」をくわえているきつね像もいます。巻物は「知恵の象徴」です。
他にもありますね。



話は変わりますが、安倍晴明の母親は「白狐」だったという伝説があります。
安倍晴明の母である白狐の名は「葛の葉」と言います。

「安倍保名が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を見つけ、助けます。しかし、その際に怪我を負ってしまいます。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱し、家まで送りとどけました。葛の葉が保名を見舞っているうちに、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供を授かります。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知られてしまい、葛の葉は信太の森へと帰って行ってしまいました。
数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、陰陽頭に任ぜられるまでになった。」という伝説があります。



大神稲荷神社 場所
http://maps.secondlife.com/secondlife/Milky%20House/53/58/22





  


Posted by hidesun(英寸) at 19:22Comments(0)和文化神話大神稲荷神社(SL)

2012年10月28日

八百万の神

「八百万の神」と言う場合の「八百万」は数が多いことの例えです。



生かされていることに感謝する。
その謙虚な心が、八百万の神々につながっているのです。



自然と共生する日本人独特の感性、「 八百万の神を感じる心 」



私たち日本人の祖先は、自然の恵みに感謝し、自然に畏敬の念を抱き、自然の摂理に従いながら生きてきました。その中で、世界に誇る豊かな感性が育まれていきました。人間も動物も、山、川、岩、草花などの自然も、太陽や月も、雨の一滴にいたるまで、あらゆるものに目に見えない不思議な気配や存在を感じ取ってきたのです。人々はそれを「神」と呼び、畏れ敬うようになりました。日本には「八百万(やおよろず)の神」がいるといわれます。「八(や)」は数が多いことを表す言葉で、八百万は実際の数ではなく、それほど多いということを意味します。現代を生きる私たちはとかく自分の力だけで生きていけると思いがちですが、共生やつながりの大切さが叫ばれる今、かつて我が国に息づいていたあらゆるものに生かされているという謙虚な考え方、そして八百万の神々を感じる豊かな心を見つめ直したいものです。




大神稲荷神社
http://slurl.com/secondlife/JAPAN%20GRAFFITI%20Sakai1574/150/122/33  


Posted by hidesun(英寸) at 19:54Comments(0)神話

2012年07月15日

7月の星空

幾千年の時を刻み、星たちが残した記憶。


それは神々と人類の壮大な物語から始まる。


星座とギリシャ神話の誕生
今から6000年以上前、古代メソポタミアの人々は、夜空の星々を人や動物達の姿に見立てました。さらに彼らは星々動きから季節や時間、方向を知ることを学びました。その文化は、ギリシャ地方にも広がっていきました。当時ギリシャでは、オリンポス12神をはじめ、様々な神々崇めていました。その信仰と、伝わってきた星座や文化の知識が結びつき、数々のギリシャ神話が生まれていったのです。



今月の上旬から中旬にかけては一晩で惑星をたくさん見るチャンスです。まず夕方、西の低空に水星を見つけよう。空が暗くなってからは、南西の空に見える火星と土星、そして明け方には東の空に金星と木星だ。水星以外は肉眼でも楽に見え、水星も双眼鏡があれば簡単に見つかるだろう。
惑星が見ごろの7月だが、とくに注目なのは明け方の金星と木星。どちらもおうし座を移動中で、プレアデス星団(すばる)やヒヤデス星団、1等星アルデバランと並ぶようすが楽しめる。早起きする価値のある美しい光景だ。15日の昼過ぎには月が木星を隠す木星食という珍しい現象も起こる。
もうひとつ、7月といえば七夕。梅雨が明けていない地域も多く雲に邪魔されてしまうかもしれないが、7月7日にしか見えないというものでもない。晴れた日には少しの時間だけでも夜空を見上げ、織り姫星と彦星を探してみたい。


スターリーテイルズ -星座は時をこえて  -予告編-  


Posted by hidesun(英寸) at 21:37Comments(0)神話

2012年07月14日

スターリーテイルズ

全国のプラネタリウム上映中 「 スターリーテイルズ 」
CGアーティストKAGAYAが描く、宇宙と神話の世界。それは神々と人類の壮大な物語から始まる。


時代をこえて、伝えられるものがある。
ギリシャ神話の名作、「オウィディウス「変身物語」の冒頭をモチーフに、神々と人々の繋がりを描き、正義の女神アストライアが語ったメッセージは未来へと続いて行く。



千年たってもわたしたちなじみの恒星の配列はそのまま残っているだろう。しかし、それを見上げる人間はそこにいるだろうか。
人類が今直面している問題だけでなく、千年の間にはわたしたちには想像もつかないような危機が訪れるかもしれない。それらを解決して、星座を見上げるべき人間が生き延びていなければならないのだ。
さらに、人間が残っているだけでは星座は残らないかもしれない。
千年の間、星座という文化を伝えていけるだけの教養と情緒を持ち続け、また、未来の夜空は人工光で昼のように照らされず、自然の暗さを保っていなければならない。そうでなければ、星座はたちまち過去のものとなってしまうだろう。
本編の千年後の未来、気配はするものの、人の姿は見えない。その有無がみなさまへの問いだ。


【 -水樹奈々ナレーション&女神アストライア- 

わたしは「正義」という言葉が鍵をにぎっていると思う。
神話によると、現代は正義が失われた鉄の時代が続いている。この時代に生まれたわたしたちにとって、一人一人が本当の「正義」を判断することは難しい。だから英知を集結して話し合い、思いやりと科学の力で模索していくべきではないだろうか。
ときには星空を見上げ、宇宙の中の人類のありかたを確かめる必要もあるだろう。
人類が今の時代を乗り越え、新たな神話を作るとき、地上で再び「正義(アストライア)」が微笑むのかもしれない。
そんな未来を願うばかりである。
  


Posted by hidesun(英寸) at 20:32Comments(0)神話

2012年01月21日

大神稲荷(高天原)

高天原(たかあまはら、たかあまのはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら)は、『古事記』に含まれる日本神話、および祝詞において、天津神が住んでいる、とされた場所のことである。


古事記においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国生みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたのであろう。天照大神が生まれたときに、高天原を治めるよう命じられた。須佐男命にまつわる部分では、高天原には多くの神々(天津神)が住み、機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があったとの印象がある。葦原中国が天津神によって平定され、天照大神の孫のニニギが天降り(天孫降臨)、以降、天孫の子孫である天皇が葦原中国を治めることになったとしている。



高天原神話
伊弉諾尊(イザナギノミコト)の禊ぎによって生まれた天照大神・素戔嗚尊・月読尊の三神はそれぞれに天上界(高天原)・海(または天の下)・夜(または海)とこの世を分担して治めることになりますが、素戔嗚尊だけは伊弉諾尊の命に従わず、伊弉冉尊(イザナミノミコト)を慕って泣いてばかりおり、素戔嗚尊が泣くことにより河川の水が涸れたり、植物が枯れるという。自然界の秩序を乱すような自体に陥ってしまいます。そこで親神の怒りをかい、素戔嗚尊は「根の国」に追放されることとなります。その時素戔嗚尊は根の国に行く前に、姉である天照大神に挨拶をしようと高天原に向かいますが、その様子が山も海も国土全体を揺り動かすほどの凄まじいものだった為、天照大神は弟が高天原を奪いに来たものと誤解し、武装して相対します。素戔嗚尊は「うけひ」を行って高天原を奪いに来た訳ではないことを示そうとします。

「うけひ」というのは占いの一方法で、この場合は、お互いに「子」を生みだし、その性別が正邪の判定の基準になっています。 この「うけひ」によって生まれた子については、『日本書紀』と『古事記』では性別が違っています。『書紀』では素戔嗚尊が生んだのは「男の子」、『古事記』では「女の子」なのですが、勝ちはどちらも「素戔嗚尊」となっています。ここに『日本書紀』と『古事記』の理念の違いを見ることができます。 (『古事記』はその成立当時の「女帝に捧げられた書物」なのではないかとkitunoが考える理由のひとつです。)

この時二神によって生み出された子の中に天皇の始祖ともなるべき「天忍穂耳尊」がいることで、この話はその後の展開の上で重要な部分となってくるわけです。



さて、「うけひ」に勝った素戔嗚尊ですが、困ったことに調子に乗って高天原でさんざん乱暴を働いてしまいます。最初は弟をかばっていた天照大神ですがついに怒って「天の岩戸」に隠れてしまいます。天照大神が隠れてしまったことで地上は闇になってしまい、混沌とした危機状態に陥ってしまいます。八百万の神々は天照大神の復帰を促そうと様々な儀式を行いますが、そのクライマックスが「天鈿女命(アメノウズメノミコト)」の踊りです。この天鈿女命は桶を伏せた上で半裸になり踊るのですがその姿に周りの神々がどっと笑ったのを聞いて天照大神が興味を持って顔を覗かせた瞬間、手力雄神(タヂタラオノカミ)手を引いて天照大神を出し、世界に光が戻ります。


みるきー舞姫2011夏公演 【 白蛇の間 】天戸開き(天照大神)より  


Posted by hidesun(英寸) at 17:05Comments(0)神話

2012年01月15日

大神稲荷(弁財天)

弁才天(べんざいてん)は、仏教の守護神である天部の1つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名である。


経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」だが、日本では後に財宝神としての性格が付与され、「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記する場合も多い。弁天(べんてん)とも言われ、弁才天(弁財天)を本尊とする堂宇は、弁天堂・弁天社などと称されることが多い。
本来、仏教の尊格であるが、日本では神道の神とも見なされ「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。仏教においては、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視されることがある。
また、日本神話に登場する宗像三女神の一柱である、市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されることも多く、古くから弁才天を祭っていた社では明治以降、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多い。



信仰

近世になると「七福神」の一員としても信仰されるようになる。中世において、大黒天・毘沙門天・弁才天の三尊が合一した三面大黒天の像を祀った記録があり、大黒・恵比寿の並祀と共に、七福神の基になったと見られている。
また、元来インドの河神であることから、日本でも、水辺、島、池、泉など水に深い関係のある場所に祀られることが多い。 そのため弁才天は、日本土着の水神や、記紀神話の代表的な海上神である市杵嶋姫命(宗像三女神)と神仏習合して、神社の祭神として祀られることが多くなった。
「日本三大弁才天」と称される、竹生島・宝厳寺、宮島・大願寺、天川村・天河大弁財天社は、いずれも海や湖や川などの水に関係している(いずれの社寺を三大弁才天と見なすかについては異説があり、その他には、江ノ島・江島神社などがある)。
弁天信仰の広がりと共に各地に弁才天を祀る社が建てられたが、神道色の強かった弁天社は、明治の神仏分離の際に多くは神社となった。元々弁才天を祭神としていたが現在は市杵嶋姫命として祀る神社としては、奈良県の天河大弁財天社などがある。神奈川県の江島神社は主祭神を宗像三女神に改め、弁才天は摂社で祀られる。
弁才天は財宝神としての性格を持つようになると、「才」の音が「財」に通じることから「弁財天」と書かれることが多くなった。鎌倉市の銭洗弁財天宇賀福神社はその典型的な例で、同神社境内奥の洞窟内の湧き水で持参した銭を洗うと、数倍になって返ってくるという信仰がある。
以上のように、近世以降の弁才天信仰は、仏教、神道、民間信仰が混交して、複雑な様相を示している。



【 七福神占い 】
http://www.so-net.ne.jp/uranai/enta.cgi?id=shichifukujin



大神稲荷神社 場所
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2012年01月14日

大神稲荷(布袋)

布袋(ほてい)は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な僧。


水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。日本では七福神の一柱として信仰されている。
本来の名は釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられた。四明県の出身という説もあるが、出身地も俗姓も不明である。図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。
雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかった、あるいは人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話が伝えられる。彼が残した偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、実は布袋は弥勒の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったという。
その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。
なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、これは後世の付会である。10世紀後半に記された『宋高僧伝』巻21「感通篇」に立てられた「唐明州奉化県釈契此」(布袋)の伝には、彼と禅との関係について一切触れていない。布袋と禅宗の関係が見られるのは、時代が下がって11世紀初頭、『景徳傳燈録』巻27に「禅門達者雖不出世有名於時者」として、梁の宝誌や、天台智顗、寒山拾得らの異僧・高僧たちと共に、「明州布袋和尚」として立伝される頃からのことである。





大神稲荷神社 場所
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2012年01月13日

大神稲荷(寿老人)

寿老人(じゅろうじん)は道教の神仙(神)


中国の伝説上の人物。南極老人星(カノープス)の化身とされる。
酒を好み頭の長い長寿の神とされる。日本では七福神として知られているが、福禄寿はこの寿老人と同一神と考えられていることから、七福神から外されたこともあり、その場合は猩猩が入る。寿老人は不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従えている。手には、これも長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っている。



【 七福神占い(今日の占い版) 】
http://www.omikuji.ne.jp/7fuku/index.html



大神稲荷神社 場所
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2012年01月12日

大神稲荷(福禄寿)

福禄寿(ふくろくじゅ)は、七福神の一つ。道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものである。宋の道士天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもある。 福禄人(ふくろくじん)とも言われる。


中国では、鶴・鹿・桃を伴うことによって、福・禄・寿を象徴する三体一組の神像や、コウモリ・鶴・松によって福・禄・寿を具現化した一幅の絵などが作られ広く用いられた。また、背が低く、長頭で長い髭をはやし、杖に経巻を結び、鶴を伴っている像とされる。 真言は「オン マカシリ ソワカ」。



福禄寿はもともと福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神である。中国において明代以降広く民間で信仰され、春節には福・禄・寿を描いた「三星図」を飾る風習がある。
福星は木星(十二次では歳星)とされ、多くは裕福な官服を着た黒髪の姿で三者の中心に描かれる。禄星は「禄」 lù が「緑」 lù と同音のため緑色の服装で、豊かさを表す金銭や嬰児を抱いた姿で描かれることが多い。寿星は南極老人星(カノープス)とされ、容貌は時期によって諸説あるが近代以降は禿げた長大な頭に白ひげをたくわえた老人とされることが多く、また厳密にはもともとこの寿星(南極老人)が単独で日本に伝わったのが寿老人である。
三星図は実にさまざまな形態で描かれるが、三者それぞれを人の姿ではなく意味や音韻に関連性がある象徴物として描くものも多く、そのバリエーションは多岐にわたる。中には、寿星だけを老人の姿で描き、その左右に福星を蝙蝠として(「福」 fú と「蝠」 fú が中国では同音のため)、禄星を鹿として(「禄」 lù と「鹿」 lù がやはり同音のため)描いたものなどもあり、こういった伝来物が日本人には二物を伴った一人の神に見えたため、日本においては福禄寿を三人ではなく一人の神格とする認識が流布したと考えられる。

【 七福神占い 】
http://www.so-net.ne.jp/uranai/enta.cgi?id=shichifukujin



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2012年01月11日

大神稲荷(毘沙門天)

毘沙門天(びしゃもんてん)、梵名ヴァイシュラヴァナとは、仏教における天部の仏神。持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神である。

インド神話の財宝神クベーラを前身とする。 ヴァイシュラヴァナという称号は本来「ヴィシュラヴァス神の息子」という意味で、彼の父親の名に由来するが、「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天(たもんてん)とも訳される。日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。
三昧耶形は宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)、宝塔。種子はベイ(vai)。毘沙門天に捧げられた真言としては「オン ベイシラマンダヤ ソワカ」がある。
その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。持物は宝塔が一般的。また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多い。 例えば密教の両界曼荼羅では甲冑に身を固めて右手は宝棒、左手は宝塔を捧げ持つ姿で描かれる。 ただし、東大寺戒壇堂の四天王像では右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握る姿で造像されている。奈良當麻寺でも同様に右手で宝塔を捧げ持っている。
インドにおいては財宝神とされ、戦闘的イメージはほとんどなかった。この頃の性格についてはクベーラの項を参照。中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになった。そして帝釈天の配下として、仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち北倶盧洲(ほっくるしゅう)を守護するとされる。また、夜叉や羅刹といった鬼神を配下とする。
また、密教においては十二天の一尊で北方を守護するとされる。また日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事に利益ありとして崇められる。



聖徳太子
物部守屋追討の折四天王に戦勝を祈願し、後に四天王寺を建立したことが日本書紀に記載されている。また毘沙門天を祭るために信貴山を開山したという伝承もある。

上杉謙信
毘沙門天を篤く信仰しており、軍の旗印にも「毘」の文字を使った。




【 秘伝七福神占い 】
http://777.littlestar.jp/777/


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2012年01月09日

大神稲荷(大黒天)

神道の大黒天 - 密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、七福神の一柱としても知られる。


先日、七福神占衣結果が「大黒天」だったので気になり調べてみました。
【 七福神占い 】
http://www.so-net.ne.jp/uranai/enta.cgi?id=shichifukujin

ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れられた。“マハー”とは大(もしくは偉大なる)、“カーラ”とは時あるいは黒(暗黒)を意味するので大黒天と名づく。あるいは大暗黒天とも漢訳される。その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。
密教の伝来とともに、日本にも伝わった。日本で大黒天といえば一般的には神田明神の大黒天(大国天)像に代表されるように神道の大国主と神仏習合した日本独自の神をさすことが多い。



日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。室町時代以降は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在よく知られる像容となった。現在においては一般には米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。
袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、大国主がスサノオの計略によって焼き殺されそうになった時に鼠が助けたという説話から、鼠が大黒天の使いであるとされる。
伊豆山神社(伊豆山権現)では、夫が大国主大神で妻が神須勢理毘売命(すせりひめのみこと)である夫婦大黒天像がある。



大神稲荷神社 場所
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2012年01月09日

大神稲荷(恵比寿)

えびすは日本の神で古来から漁業の神である。夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記し、えびっさん、えべっさん、おべっさんなどとも呼称される。えびすはえびす神社にて祀られる。


日本一大きいえびす石像は舞子六神社にあり商売繁盛の神社とされている。

日本古来の神(漁業の神・市神・福神)としての変遷
現在では一般に七福神の一員として日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神であるが、それは中世以降の信仰で、由来をたどると非常に複雑な経緯を持つ。
「えびす」を称する神は複数あって、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。
そのため、えびすを祀る神社でも祀られる神は必ずしも同一ではない。また少数であるが、えびすを少彦名神や彦火火出見尊とすることもある。
留守神という神格も後に与えられた。

外来の神(客神・門客神・蕃神)としての変遷
様々な記紀神話の神に当てられるえびすだが、いずれの神も後世の付会であって、元来の姿ではない。えびすの漢字に戎や夷などが当てられている事は、中央政府が地方のまつろわぬ民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、戎や夷の字を当てたのと同じことで、いずれも異邦の者を意味する。
「えびす」という神名の文献における初見は平安時代後期の『伊呂波字類抄』であるが、そこには「夷 エビス 毘沙門」と記されている。少し時代が下った『諸社禁忌』には「衣毘須 不動」とある。
古い時代、えびすは毘沙門天や不動明王を本地仏とする神格として信仰されていたことがわかる。えびすの神像も古い時代のものほど威厳に満ちたものとなっており、この時代のえびすは「荒々しい神」として信仰されていたものとみられる。端的にいえば記紀神話以外の外来神・蕃神である。

クジラ(海神・漁業の神)としての変遷
本来の神格は異邦より村に時たま訪れる外来物に対する信仰(神)であり、海の向こうからやってくる海神である。日本各地の漁村では近年までイルカやクジラやジンベエザメなど(これらをまとめてクジラの意味である「いさな」と呼ぶ)を「えびす」とも呼んで、現在でも漁業神として祀っている地域も多数ある。
クジラなどの海洋生物をえびすと呼んだ理由としては、それらの生物は餌となる小魚群やプランクトン群を追うところ、人間の漁獲対象であるカツオなどの魚もしばしば同じ餌を追って行動を共にしている点にあるのではないかと推測される。
つまり、クジラなどが出現すると漁獲対象魚も一緒に出現する相関関係があるため、クジラが豊漁をもたらしてくれると理解されていたのではないかと考えられる。

寄り神信仰(漂着神)
主に漂着したクジラを指し、古くは流れ鯨・寄り鯨(座礁鯨)といった。予期せぬクジラの到来により、思わぬ副収入を地域が得たり、飢饉から救われたという話が数多くあり、「鯨 寄れば 七浦潤す」「鯨 寄れば 七浦賑わう」などといわれ、日本各地で似たような話が伝承されているが、特に能登半島や佐渡島や三浦半島で、寄り神信仰として残っている。特殊な例として、海外からの漂着物(生き物の遺骸なども含む)のことを「えびす」と呼ぶ地域もあり、漁のときに漂着物を拾うと大漁になるという信仰もあるという。漁業に使う網の浮きに神が宿り正月などに祀る地域があるが、四国の宇和島周辺や隠岐などでは、その浮きのことを「えびすあば」(あばとは浮きのこと)と呼んでおり、えびすが漁業神であることを示す好例である。

平安時代後期には、えびすを市場の神(市神)として祀ったという記録が有り、鎌倉時代にも鶴岡八幡宮内に市神としてえびすを祀ったという。このため、中世に商業が発展するにつれ商売繁盛の神としての性格も現れる。それは同時に福神としても信仰されるようになり、やがて七福神の1柱として数えられるようになる。福神としてのえびすは、ふくよかで「えびす顔」の言葉どおりの笑顔で描写されている。

民間信仰として一般の民衆に広く知られるのが、「えびす講」における「えびす」である。このえびす講は、えびすを神として祭り、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全を願って行われる。



「 七福神占い(今日の占い)版 
http://www.omikuji.ne.jp/7fuku/index.html

今日のあなたに幸運をもたらす七福神は?



大神稲荷神社 場所
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2012年01月07日

大神稲荷(七福神)

七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神である。


一般には以下の七柱の神とされる。
恵比寿
古くは「大漁追福」の漁業の神であり時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となった。
大黒天
インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神と日本古来の大国主命の習合。大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった。
毘沙門天
元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神で、これが仏教に取り入れられ日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれる。
弁才天 (弁財天)
七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されることが多い。
福禄寿
道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星の化身の南極老人。寿老人と同一神ともされる。
寿老人
道教の神で南極星の化身の南極老人。
布袋
唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の僧。



一般におめでたい存在、縁起物とされる。
正月に枕の下に、「七福神の乗った宝船の絵」を入れておくと、良い初夢が見られると言われる。
七柱それぞれの社(やしろ)を順に回り、縁起を呼ぶお参りがあり、七福神めぐりと言う。

由来
インドのヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁才)、中国の仏教(布袋)、道教(福禄寿・寿老人)、日本の土着信仰(恵比寿・大国主)が入りまじって形成された、神仏習合からなる、日本的な信仰対象である。室町時代末期頃から信仰されているといわれている。寿老人と福禄寿はともに南極老人星の化身とされることから、この二者は本来同一のものとみなし、寿老人の代わりに吉祥天、猩猩(しょうじょう)、福助、稲荷神、虚空蔵菩薩[1]、お多福が入れられたことがあった。また、室町時代の竹生島の弁才天信仰の流行により弁才天が入る以前は元々天鈿女命が入っていた。これは関西から始まったものである。誰がいつこの顔ぶれに定めたのかは不明。時代によってこの顔ぶれに異同がある。

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2011年08月15日

八百万の神々

日本人は無宗教だと言われていますが、それは現代の話であって、仏教やキリスト教が入ってくるまでは、一般的に神道という宗教が信じられていました。正確に言うと、信じられていたのではなく、そう考えるのが当たり前だったと言った方が的確でしょう。その神道の主人公達であるのが、無数の神々、俗に八百万(やおよろず)の神と呼ばれる神様達です。神道における神とは、信仰や畏怖の対象です。「八百万の神」と言う場合の「八百万」は数が多いことの例えをいいます。


【 日本の神 】
神様と一端に言っても、神道の神はとくに個性的でそれ自体が山や海、火や水、土や金属を現している場合も少なくありません。では、なぜ、このように多くの神々が生まれたのでしょうか?
四季の変化、緑豊かな自然に恵まれた風土に生きてきた日本人は、地上の森羅万象は、神々によって生み出され、神々が司っていると考えてきました。そのもっとも素朴な形態は、山や森、岩や水などの自然物がに精霊が宿ると信じてきた、自然物崇拝のアニミズムなのです。やがて、山や森に宿る精霊は、どこからやって来るどういう存在なのかを人々が知ろうとするようになります。そうして、名もない精霊は『神』として意識され、人間の生活に直接関係するようになり、八百万の神として発展したのです。
地上の森羅万象を司る神は、いたるところに存在しますが、肉体には備わらず、目には見えない、得体の知れない存在です。それゆえに、神は自分から姿を現すことなく、やたらに自己を主張することもないと考えられ、常に沈黙して語らず、人間に対して何かを要求したり、いかに生きるべきかという教義を垂れることはないのです。
日本の神というのは、その存在の仕方も機能も、自由自在で多彩です。それは唯一絶対神(ユダヤ教のヤハウェのようなもの)のいないことによる自由さと開放性といってもいいかもしれません。普段、八百万の神と言ってひとまとめに呼んでいる神々も、ここの世界に焦点を当ててみると、その経歴も活動ぶりもさまざまです。有力な神に従属すると言ったことはなく、それぞれ独自な神としての個々を発揮しています。

【 天津神と国津神 】
高天原に住む神と天孫に従って天降った神を天津神、天孫降臨の前から国土に生じていた神(土着の神)を国津神といいます。天照大神は天津神の代表格、大国主神は国津神の代表格です。
天津神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊の子孫であり、国津神は日本の地に元々住んでいた地方神となります。
「天津神 」
別天津神
造化の三神(天之御中主神、タカミムスビ、カミムスビ)/ 神世七代 / 国之常立神、イザナギ、イザナミなど / 三貴神(アマテラス・ツクヨミ・スサノオ)など

「国津神」
大国主 / 大国主の御子神(アヂスキタカヒコネ、事代主、建御名方神)など / 椎根津彦

【 千と千尋の神隠し 】
「千と千尋の神隠し」にも、湯婆婆が経営する温泉旅館たくさんの八百万の神々が体を休めにやってきていました。古代の日本人は、山、川、巨石、動物、植物といった自然物や、火、雨、風、雷などといった自然現象のなかに「神」が宿ってると考え、常に信仰の対象にしていました。そして、日本は「森の国」と言っても過言ではないほど森の多い国です。日本の国土のうち約7割が森で、例えば森に囲まれているイメージの強いカナダでさえ約5割、アメリカに至っては3割程度なのです。このように日本人の生活と隣り合わせあった森は常に信仰の対象だったのです。しかし、自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼすため、人々はこれを神の「祟り」と呼んで恐れていました。つまり、八百万の神とは、信仰の対象でありながら恐怖の対象でもあったわけです。


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2011年07月17日

四神

四神(しじん)は、中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣・聖獣


東の青竜(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)である。五行説にも中央に黄竜(麒麟を据える場合もあります)を加え数を合わせた上で取り入れられています。
四霊獣(龍、鳳凰、麒麟、亀)に数えられているものもいます。
※ 四霊獣
四霊獣(龍、鳳凰、麒麟、亀)は古代中国で、この世の動物たちの長だと考えられた特別な4つの霊獣のことです。この世には魚のように鱗を持つ鱗虫、鳥のように羽を持つ羽虫、獣類のように毛を持つ毛虫、甲殻類のように固い殻や甲羅を持つ甲虫が、それぞれ360種類ずついるとされ、それぞれの軍団の長が、龍、鳳凰、麒麟、亀だといいます。また、四霊獣は瑞獣(縁起の良い獣)であり、戦乱のない平和な時代にだけ出現するとされます。

四神が揃う土地は風水で理想的な地形配置とされ、四神相応といいます。
平安京は、東に川(賀茂川、高野川、鴨川)があり、南に開けた土地があり、西に大きな道があって、北にたくさんの山(まとめて北山という)というように、この四神相応にあたるのです。

青龍
東を守護する聖獣で、姿は通常の龍と変わらなく、青い色をしています。
しかし、古代の壺などに描かれている場合は、頭だけは白や黄色のものもあります。
平安後期の説話集「古今物語集」には、夢殿にこもって聖徳太子の魂だけが青龍に乗って中国に渡り、仏教の経典を取って来たという話があります。対応するのは、色では青、季節では春、青春、五行では木、方位では東、臓器では肝臓、食べ物では酸っぱいもの、環境では川。

朱雀
南を守護する聖獣で、四霊獣の鳳凰のこと。
普通は5色の羽を持つ美しい鳥ですが、江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では背丈が1m以上で、コウノトリ、ツバメ、ニワトリ、蛇、魚、オシドリ、龍などが混じり合った姿をしているとされています。
天下太平のときだけ出現し、鳥の王のような存在で、飛べば多くの鳥がその後に従って飛ぶといいます。
対応するのは、色では赤、季節では夏、朱夏、五行では火、方位では南、臓器では心臓、食べ物では苦いもの、環境では開けた土地。

白虎
西を守護する聖獣で、白い虎の姿をしています。
江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では虎が500才になると白虎になるといいます。
白は五行思想で西の他、土も表すため土の精であるという説もあります。
対応するのは、色では白、季節では秋、白秋、五行では金、方位では西、臓器では肺、食べ物では辛いもの、環境では大きな道。

玄武
北を守護する聖獣で、亀と蛇を合成したような姿をしていて、四霊獣の一つとされます。
五行思想で北は黒を表すため玄(黒)、甲羅を背負い防御に長けていることから武と呼ばれます。
古代の壺などではしばしば蛇を体に巻き付けた亀の姿で描かれます。
のちに真武玄天上帝という神になります。
対応するのは、色では黒、季節では冬、玄冬、五行では水、方位では北、臓器では腎臓、食べ物ではしょっぱいもの、環境では山や丘。

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● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube 約4分30秒  


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2011年07月12日

ヤマタノオロチ


ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)は日本神話に登場する伝説の生物

【 大神画像 】

『古事記』では八俣遠呂智と表記しています。高志之八俣遠呂知。
「オロチ」の意味として、「お」は峰、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力、また霊力あるものの意などとする説もあります。


『 古事記 』

高天原を追放された須佐之男命は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(とりかみ、現奥出雲町鳥上)に降り立った。川上から箸が流れてきたので、川上に人がいると思って川を上ってみると、美しい娘を間にして老夫婦が泣いていた。その夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といった。
夫婦には8人の娘がいたが、毎年、高志から八俣遠呂智いう8つの頭と8本の尾を持ち、目はホオズキのように真っ赤で、背中には苔や木が生え、腹は血でただれ、8つの谷、8つの峰にまたがるほど巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまった[1]。今年も八俣遠呂智のやって来る時期が近付き、このままでは最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうので泣いているのであった。
須佐之男命は、櫛名田比売を妻としてもらいうけることを条件に、八俣遠呂智退治を請け負った。まず、須佐之男命は櫛名田比売を隠すため、彼女を櫛に変えて自分の髪に挿した。そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、垣を作って8つの門を作り、それぞれに醸した酒を満たした酒桶を置くようにいった。準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。八俣遠呂智が酔ってその場で寝てしまうと、須佐之男命は十拳剣を抜いてそれを切り刻んだ。
尾を切り刻んだとき剣の刃が欠けた。剣で尾を裂いてみると大刀が出てきた。これは不思議なものだと思い、天照御大神にこの大刀を献上した。これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。
八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、櫛として髪に挿していた彼女を娘の姿に戻し、彼女と暮らす場所を求めて出雲の須賀の地へ行き、そこで「夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。 都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁。」八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を と詠んだ。

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● キャプチャソフト : Bandcam / HD youtube動画
  


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2011年07月11日

天岩戸

太陽神である天照大神が隠れ、世界が真っ暗になってしまった岩戸隠れの伝説の舞台


天岩戸(あまのいわと)とは、日本神話に登場する、岩でできた洞窟です。
天戸(あまと)、天岩屋(あまのいわや)、天岩屋戸(あまのいわやと)ともいい、「岩」は「石」と書く場合もあります。
【 古事記 】
誓約によって身の潔白を証明した建速須佐之男命は、そのまま高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。他の神は天照大神に苦情をいうが、天照大神は、「考えがあってのことなのだ」とスサノヲをかばった。
しかし、天照大神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ馬を落とし入れたため、一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。ここにきて、天照大神はスサノヲの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。


そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、どうすればいいか相談をした。思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。
天の安河の川上にある堅い岩を取り、鉱山の鉄を採り、鍛冶師の天津麻羅を探し、伊斯許理度売命に命じて八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖命に命じて、八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた。
天児屋命と太玉命を呼び、雄鹿の肩の骨を抜き取り、ははかの木を取って占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛をかけ、フトダマが御幣として奉げ持った。アメノコヤネが祝詞(のりと)を唱え、天手力雄神が岩戸の脇に隠れて立った。
天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
この声を聴いた天照大神は何事だろうと天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。
アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、それを喜んでいるのです」というと、天児屋命と太玉命が天照大神の前に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿がその貴い神だと思った天照大神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けたとき、隠れていたアメノタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。すぐにフトダマが注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうして天照大神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。
八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。(天岩戸wiki)

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2011年05月25日

干支 【 亥 】





亥は、猪を表し、干支の由来では一番最後に神様の許に訪れた生き物で、十二支最後の12番目となりました。猪は豚の祖先であり、人間が猪を改良して家畜とした世界中に分布しています。鋭い嗅覚は、犬と同等の嗅ぎわける能力があるとされ、フランス料理でお馴染みの高級キノコ・トリュフは訓練した豚が使われます。

十二支は中国を中心に、日本・ロシア・ベトナムなど、ユーラシアの各地に伝来しましたが、中国では一般的に猪とは豚の事(猪は野豚と表記します)なので、注意が必要です。他にも十二支は国で違い、チベットやタイでは中国と同じく、亥年といえば、豚を指します。亥年の方は「猪突猛進」に代表されるように、一直線に突き進む意志の固い人とされ、バイタリティーがあるので、指導者として活躍する事もあり、義理人情の厚いタイプです。

亥は「門<亥」(がい:「とざす」)を表し、後年十二支の動物として猪が当てられました。方角は北西微北で、草木が枯れて、命も種の中に閉じ込められた状態という字義があります。

猪肉といえば、昔から万病に効く食べ物と信じられ、肉食が禁じられた時代も薬食いと称して食べられており、無病息災の象徴とされます。


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2011年05月24日

干支 【 戌 】




戌は犬であり、最も人間と深く結びついた生き物で、一番最初の家畜として狼から改良されて飼いならされ、人間に実に忠実であるとされています。1万5千年以上前の東アジアにおいてオオカミから犬へと変化した考えられており、犬に纏わることわざや言い伝えは群を抜いて多く、人名にも犬はよく含まれている事から、特別馴染み深い動物です。干支の由来によると、仲の良くない猿と争ったまま神様の御殿に向かった為に、鶏の仲裁を受けたので、十二支の順番が申・酉・戌の11番目になったと伝わっています。

元々、戌は「滅」(めつ:「ほろぶ」)の当て字となっており、字議に草木が枯れる状態を表しているとされます。戌の方角は北西微南、冬枯れの始まる旧暦9月を示し、時刻は20時を意味します。戌年は信頼関係を重んじる忠実な性格で、絆を大切にする人情家とされています。勤勉なところもあるので、着々と実績を積み確実にステップアップしていく努力家です。

お産が軽い犬から、転じて安産を祈祷する為のお払いを戌の日を選んで行うようになりました。この戌の日になると、安産祈願をした腹帯を巻いて、腹祝いをする方が多く、東京都・日本橋の水天宮は安産にご利益ある神社として有名です。


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